「まうでこ」は「まうでく」でなければならない
中納言がかぐや姫から所望された品物は燕の子安貝であった。中納言はさっそく家来に「燕が巣を作ったら教えてくれ」とふれを出す。これを聞いた家来たちは不思議に思ってわけを訪ね、それが燕の子安貝を取るためと知る。
家来たちは中納言のために真剣に子安貝を取る計画を練る。ある家来は、どこから仕入れてきた話しなのか、「燕をいくら殺しても子安貝は腹の中にはない。卵を産むときにどうやってか出すものらしい」と言い、また他の家来は、「人が見ると消える」など意見を出し合う。そして、
中納言は「それはよい」と喜び、それを実行するよう、忠実な男たち二十人ほどを大飯寮に向かわせ、「子安貝が取れたか」と、ひっきりなしに使いを出して報告させた。
しかし結果はかんばしからず、「人がたくさん上ると燕は怖がって巣に近づかない」と聞いて、どうしたものかと首をひねっている中納言のもとに、かの大飯寮の官人である
倉津麻呂は、「今いる多くの人は退かせて、一人を荒籠にのせて、燕が卵を産む間に綱を引いて吊り上げて子安貝を取るのがよろしかろう」と提案する。
中納言はその提案に従い、人々は櫓を壊し、皆帰ってきた。
中納言は倉津麻呂に「燕はどんなときに卵を産むと知って人を上げたらよいだろうか」と聞く。倉津麻呂は、「燕が尾を上げて七度回ったとき産むので、そのとき子安貝をお取りなされ」と答えた。
ここから従来の解釈文で示す。
*****
中納言喜び給ひて、
*****
この一節を読んで、いかにも違和感を感じないだろうか。
倉津麻呂の助言を聞いて、喜び勇んだ中納言が、他の人に知られぬようにして自ら寮に足を運んで、家人どもに混じって夜中じゅう燕の子安貝を取ることに熱中したと解釈できる。
しかし、その後に、「倉津麻呂かく申すを、いといたく喜びてのたまふ」とあるが、その「かく申す」とは何のことだろう。もちろん倉津麻呂の提案のことだろうが、中納言がその提案を聞いて、寮に倉津麻呂と共にやってきて、家来に混じって子安貝を取ることに熱中して、さてようやくその提案を誉め、その返礼として自らの衣を脱いで倉津麻呂に掛け与えたということになるが、「かく申す」と言うには、あまりに時間が空きすぎていないだろうか。
また、その提案を誉めるとすれば、子安貝を取る上でのある程度の成果が出ていなければおかしいとも思える。
人によっては、中納言は最初から男どもに混じって子安貝を取らせていて、倉津麻呂の進言もこの寮で行われたと考えるだろう。しかし、「中納言喜び給ひて」に続く行動は、倉津麻呂の進言を聞いてからの行動としか思えず、違和感を禁じ得ない。
さらに、思い出していただきたいのは、中納言がこの寮での作業に関して、頻繁に使いを出して状況を報告させていたことである。倉津麻呂の進言のとき、中納言が寮に居たとはとうてい考えられない。
さて、これらを踏まえて、次の一文である。
*****
日暮れぬれば、かの寮におはして見給ふに、まこと、燕、巣作れり。
*****
これはもう決定的におかしいと感じるだろう。中納言はすでに寮に出かけ、子安貝を取ろうとしていたのならば、燕の巣をこのとき初めて見たように書かれているのははなはだ不自然である。この矛盾について、誰とても認めないわけにはいかないだろう。
以下、私の考えるこの矛盾の解決法であるが、それには二箇所の変更が必要である。ひとつめは、
*****
中納言喜び給ひて、
*****
と、この中の「取らしめ給ふ」を読点で区切らずに次の「倉津麻呂」に続け「取らしめ給ふ倉津麻呂」とすることである。
つまり、誰にも知らせないでひそかに寮に居て、男どもの中に混じって夜通し子安貝を取らせていたのは中納言ではなく倉津麻呂だったと考えるのである。
いや、尊敬語が添っている限り、これは中納言についての事だと言われるだろう。しかし、思い出していただきたい。倉津麻呂はその辺のお爺さんではない。れっきとした大飯寮の官人なのである。中納言より官位は低いだろうが、それなりの身分の人である。地の文がこの倉津麻呂に対する尊敬語を中納言の家人たちを基準に添わせたと考えれば問題はなくなるだろう。
さて、この新たに解釈された内容から、倉津麻呂は中納言の家人たちをまとめて、あれこれ指揮していたと考えられる。
「こゝに使はるる人にもなきに、願をかなふる事の嬉しさ」と中納言は言っている。倉津麻呂は、大飯寮に子安貝を取ろうとしてやって来た中納言の家来たちを快く中に入れ、そればかりか自ら彼らの指揮を買って出るという協力ぶりだったのである。
また、「
家人たちは作業を始める前に、この寮の管理者である倉津麻呂に許可を当然求めなければならなかったはずだ。ふつう管理者としては、宮廷の人が召し上がるための飯を炊く神聖な場所で多くの男どもが櫓を組んでがやがやすることなど許せるはずはない。しかし、他ならぬ中納言の意向であればと、非公式に認めてくれたのだろう。中納言がこれに対しても感謝していないはずはなかった。
倉津麻呂は中納言の前に突然現れた老人ではない。中納言は、倉津麻呂が家人を寮に入ることを認め、子安貝を取るために家人の指揮さえ取っていたことを、倉津麻呂が現れる前からすでに聞き知っていたのである。
ここで今一度確認のために書くが、中納言は、倉津麻呂に衣を贈った後に、初めて寮におもむいたのである。つまり、倉津麻呂が中納言の前に進言に訪れた時から、中納言が倉津麻呂の肩に自らの衣を掛けてやるまでの一連全てが、中納言の屋敷でのひとときの出来事だったのである。
*****
「こゝに使はるる人にもなきに、願をかなふる事の嬉しさ」とのたまひて、
*****
そのことから、この中の「夜さりこの寮にまうで
『竹取物語』の原文は存在せず、現存するのはいくつかの写本である。これら写本のほとんどが「まうてこ」となっている。原文に一番近いと言われ、このテキストにも用いている『古活字十行甲文』も当然「まうてこ」である。
原文あるいは、これらの前の写本が「まうて来」であったものを、後の書写者が「まうてこ」と解釈してしまった可能性は考えられる。
これはすでに述べた、
*****
*****
を倉津麻呂ではなく中納言についての記述だとし、ふたりが寮に居ることになってしまったことにより引っ張られた解釈とも考えられる。
ちなみに、写本の中に「まうてこ」としないものがある。新井本は、「さらに」から「とのたまうて
どうもこれらの書写者は「まうてこ」に疑問を持ったようだ。特に久曾神甲本は「まうてん」すなわち「まうでむ」とし、新解釈と同じく中納言が自ら寮に出向くと言っているという解釈なのだ。こう解釈する限り、おそらくは、
*****
*****
についても、倉津麻呂についての記述だと久曾神甲本の書写者は読んでいたかもしれない。
では久曾神甲本の「まうでむ」が原文の姿だったかといえば疑問がある。「まうづ」は「行く」の謙譲語であり、中納言が倉津麻呂に謙譲語を使うとは思われないからである。対して、「まうでく」は謙譲語ではあるが、丁寧語でもあるので、「まうでく」で問題ないと私は考えたい。
さて、もう一度、次の引用文に立ち返り、これまでの解釈の問題点を指摘してみたい。
*****
「こゝに使はるる人にもなきに、願をかなふる事の嬉しさ」とのたまひて、
*****
従来の解釈では、ふたりは寮に居ることになっている。よって、「さらに、『夜さりこの寮にまうで
そこで、「さらに、『夜になったらこの寮に参ります』とおっしゃって、寮にお遣わしになった」とし、中納言が倉津麻呂を寮に遣わせたとの解釈も可能だろう。しかしこちらも、自主的に協力している倉津麻呂に対して、中納言の立場からでも「派遣する」という言い方は違和感を禁じ得ない。しかしながら、「後から私も行くので、先に行っておれ」という意味で状況が的確に把握できるので、こちらを取るべきだと考えている。
また、中納言はどうして寮に行くのを夜にしたのだろう。考えられるのは、この籠に乗って吊り上げるという作戦は、夜しか許されなかったということではなかろうか。大炊寮の飯かしぐ屋は、すなわち飯を炊く建物であり、朝から夕方までは、多くの人が働いているだろう。夕餉の支度をして片付けが終わり、この者たちが帰るまで、この作業はできなかっただろう。
さて、では逆に新解釈に問題はないだろうか。実は、「さらに、夜さりこの寮に……」の「この寮」が最大の問題点なのである。
「この寮」と言っている限り、ふたりは寮に居なければならないと考えられて来たのは無理もない。しかし、どうだろう。中納言の屋敷での会話として、その主題にのぼる寮について、「この寮」と言うことは十分あるのではなかろうか。むしろ「かの寮」とか「その寮」とか言う方が不自然でさえある。あえて言えば、「こが寮」がより適切とも思われる。また、「
*****
日暮れぬれば、かの
*****
さて、その後の一節であるが、この従来の解釈もまた、「まうでこ」の影響を受け、大きく歪曲されてしまっていると私は考える。
日が暮れたので中納言は寮に出かけ、さっそく男どもに、倉津麻呂が言うようにやらせてみたが、「何も無かった」と男どものひとりから報告を受ける。
なるほど、何の問題もないし、特に違和感もないように見える。しかし、「倉津麻呂申すやう」以下、次のように解釈できまいか。
*****
倉津麻呂申すやう、「尾うけてめぐるに、
*****
つまり、「尾うけて」以下「物もなし」まで、倉津麻呂の言葉とするのである。
新解釈においては、男どもを指揮していたのは中納言ではなく倉津麻呂であるのだから、この解釈が可能なのだ。
実のところ、旧来のこの部分の解釈を決定的に否定する材料はない。ただ、この後、中納言が自ら籠に乗って、子安貝が取れたと思って、「我物握りたり。今は
新解釈において、倉津麻呂が男どもを指揮していたのであれば、倉津麻呂が先に来ていて、すでに新しい方法を試しており、そこに中納言が来たとすれば、倉津麻呂がこうした報告をするのは自然であろう。
さらに、この新しい解釈は、なお重要な意味を持つという意味で、より正しいと私は考えている。
これを倉津麻呂の言葉とすると、「燕が尾を浮かして回ったので、荒籠に人を乗せて吊り上げさせて、燕の巣に手を差し入れさせて探ったが、何もありません」と言っているのだが、これに違和感をおぼえる人もあるだろう。私自身、違和感をおぼえたものだ。
倉津麻呂は自分の提案なのに、それを逐一復唱し、さらに「何もありませんよ」と、ある意味すまし顔なのである。すっとんきょうといえばすっとんきょうではないか。
実はこの違和感が、旧来これを倉津麻呂の言葉とできなかった一番大きな理由なのかもしれない。しかし、この違和感は大きな意味を持つと私は考えるのである。
倉津麻呂は男どもを指揮して燕の子安貝を取ろうとしていた。櫓を組む方法ではだめだとわかり、籠を吊り上げる提案を中納言にする。考えてみれば、確かに目的は子安貝を取ることだが、倉津麻呂は燕の卵を産むところに人を送り込む方法を示しただけなのだ。それでその通りにやってみたが、「何もありませんよ」と報告することに何の不自然なところはないのである。
しかし、なぜここに違和感をおぼえるのだろう。それは、中納言への倉津麻呂の進言に潜んでいると私は考える。
「子安貝取らむとおぼしめさば、たばかり申さむ」
「この燕の子安貝は、あしくたばかりて取らせ給ふなり」
「まめならむ人一人を荒籠に載せ据ゑて、綱を構へて、鳥の子生まむ間に綱を吊り上げさせて、ふと子安貝を取らせ給はむ、よかるべき」
「さて、七度めぐらむ折、引き上げて、その折子安貝を取らせ給へ」
おわかりだろうか。倉津麻呂は言葉のはしばしに「子安貝を取らせ給へ」と言っているのである。
卵を産むときに子安貝を出すらしいと中納言の男どもから聞いていた倉津麻呂が、その目的として、「子安貝を取らせ給へ」と言っているのは別に不自然ではない。しかし、こう何度も「子安貝を取らせ給へ」と言っているので、何やら本当に子安貝が取れるという自信が倉津麻呂にあるように思えて来ないだろうか。
そのうえで、「何もありませんよ」とあっさり報告する倉津麻呂に違和感を感じるのではなかろうか。
さらに、倉津麻呂自身が自らの提案をわざわざ復唱するのも違和感がある。来たばかりの中納言に対し、ただの状況報告として言っていると考えれば何の問題もないが、やはりもっと簡便な言い方もあったと考えられよう。
私はそこに作者の意図を感じざるをえない。つまり、「子安貝を取らせ給へ」と執拗に繰り返すことにより、読者に倉津麻呂に子安貝を取れる自信があるように思わせ、結果として倉津麻呂に自らの提案を復唱させたあげくに「何もありませんよ」と肩すかしを食らわせるのである。
倉津麻呂は燕の子安貝が取れなかったことに対してまったく責任を感じていないのである。それはそうであろう。この世にあるともわからない物なのだ。取れなくて当然であり、責任などはなから持てるはずもない。作業に従事する男どももそうだ。主人のためにと真剣にやってはいるが、本当に取れるとは信じてはいない。倉津麻呂はただ、燕が卵を産むところに人をやる提案をしただけなのだ。
*****
中納言「
*****
倉津麻呂の「何もありませんよ」という報告を聞いた中納言が俄に腹を立て、自ら上って子安貝を取ると言い出す。この衝動的な動機の裏に、倉津麻呂に対する過度な信頼、子安貝が必ず取れるものと信じる確信めいたものがあったと考えられないだろうか。中納言も、倉津麻呂の「子安貝を取らせ給へ」を繰り返す言葉による例の呪縛にとらわれていたに違いない。
この中、「誰ばかりおぼえむに」は、「誰といって思いつかないから」と解釈するのが一般的だし、まあそうかなと漠然とは思われるが、それならば「おぼえぬに」とするのが自然かもしれない。
底本は「たれはかりおほえんに」である。他の解釈も可能だろう。
最初、私はこれを「誰はか、理おぼえむに」とも解釈できるのではないかと考えたが、疑問文に「に」が接続するのはおかしいし、「自分以外の誰かがことわりをわかるだろうか、いやないから」という訳も無理矢理な感じは否めない。
そこで、「誰、計り、おぼえむに」としたらどうかと考える。
「(あなたと私以外)誰もその見当(コツ)がわかろうはずはないから」と訳してみたい。「はかり」には「計量すること。またその道具」の他に、「目当て、見当、めど」、「限度、際限」などの意味がある。
また、この解釈であれば、この直前の「
子安貝を取るのに失敗したと聞いた中納言は、一番詳しいはずの倉津麻呂を上らせようと一瞬考えたかもしれない。しかし、老人を危険な目にあわせるわけにもいかない。倉津麻呂と計画において十分意思疎通した自分が上るべきだと決意したのだろう。
この中納言の段は大納言の段と鏡写しの構造をしており、大納言が船人の言葉を曲解したように、中納言は倉津麻呂の言葉の呪縛に陥る。それにより、それぞれ危険な行動に移るのだが、『大納言と中納言の段における鏡写しの構造』及び、『大納言は船人ばかりか楫取りの言葉をも曲解した』を一読願いたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます