本当の『竹取物語』を閉ざしていたもの

 『竹取物語』はこれまで、ただの奇異譚、物語、おとぎ話とさえ思われてきただろう。しかしそれは、内容の道筋が見失われていたからであり、その道筋をしっかりとらえていれば、この物語が現在でも通用する小説であることがわかるのである。

 すでに、『『竹取物語』こそ日本最古の小説である』で、この物語の概要を示しておいたが、これを読めば、この物語がそのようなものであったかと驚くとともに、どうしてこのような解釈が可能なのかと疑われるであろう。しかし、これはすべて物語から読み取れるものであり、私の創作は加わっていないと自認するものなのだ。

 この物語においての一番の謎は、かぐや姫の罪とは何だったのかということであろう。あまりに謎すぎて、かぐや姫は月の世界で罪を犯したので、その罰として地上に降ろされたという、まことしやかな説も横行しているが、これはまったく否定されるべきということは『月の世界はどんな所か』で書いておいた。

 また、翁が物語の最初の方で自分のことを「よはひ、七十に余りぬ」と述べていながら、物語の終結部では、「今年は五十ばかり」と地の文が翁の年齢を事実的に語っている問題についても、『翁若返り説(物語にこめられたなぞなぞの解明)』で書いておいた。


 これらをすでに読んでいただければ、翁を若返らせたり、黄金を与えたりしたのがかぐや姫自身であったこと、そして、それこそがかぐや姫の罪であったことが、この物語の根幹であることがわかるであろう。

 つまり、かぐや姫は月に生まれ変わる前、地上での死の間際に再会を誓った人との約束を果たすために自らの意志で地上に降りたが、月の時間と地上の時間のずれのために、その人もすでに死んでどこかの誰かに生まれ変わってしまっていた。その誰かとの再開を果たすため、かぐや姫は地上で罪を犯すことにより、わざと月の世界に自らを帰れなくさせたのである。その罪こそが、天人としての霊力で翁を若返らせ、また黄金を与えたことであったのである。くわしくは、『『竹取物語』こそ日本最古の小説である』を一読願いたい。


 さて、では、どうしてこのことが言えるのかの根拠はあるのかと問われるだろう。物語のどこに書かれているというのかと言われるだろう。

 それが、実際に書かれているのである。作者は、かぐや姫の罪、翁の若返り、それらをすべて謎にしつつ、物語の最終部においてその答えを明確に用意していたのだ。それにもかかわらず、その部分はまったく信じられないぐらい歪曲され、解釈されて、これまで読まれて来た。つまり、作者がせっかく用意した物語の種明かしを、みすみす捨てて来たわけである。

 それゆえ物語に一貫性を見いだせず、冒頭述べたように、ただの奇異譚、物語、おとぎ話にさえおとしめられて来たのだ。また、後に詳しくするが、翁が賤民であり、竹から出た黄金によって貴族のようになったという誤った設定もこの歪曲から起こっていたと言える。翁が最初から貴族であったことが、ほぼ疑いないことであるということは、『翁はもとより貴族である(賤民は思い込み)』に書いておいた。

 つまり、その部分は、物語を台無しにした最大の歪曲と言えよう。


 その歪曲されて解釈されてきたのは次の部分である。

 月から迎えに来た「月の王とおぼしき人」の言葉を従来の解釈で示す。

*****

、をさなき人。いささかなる功徳を翁、作りけるによりて、が助けにとて、片時の程とて下ししを、そこらの年頃、そこらの黄金こがね給ひて、身をかへたるごとなりにたり。かぐや姫は罪を作り給へりければ、かく賤しきがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限り果てぬれば、かく迎ふる、翁は泣き嘆く、あたはぬことなり。はや、返し奉れ」と言ふ。

*****

 以下、現代語訳を『評註竹取物語全釈』松尾聰著(武蔵野書院)(以下、『評註』と書く)から書き写す。

*****

お前、未熟者みじゅくものよ。わずかばかりの善根を、翁、お前が作ったのによって、お前の助けにというわけで、ほんのちょっとの間ということで、(姫を下界に)くだしたのだが、(その結果お前には)たくさんの年月のあいだに、たくさんの黄金を下さって、まるで(お前は)生まれ代っているようになってしまっている。かぐや姫は(天界で)罪をお作りになっていたので、このようにいやしいお前のもとに、しばらくおいでになってしまっているのだ。その罪の(つぐないの)期限が終ってしまったので、今こうして迎える。それを、翁は泣いてなげく、(それによって姫の昇天を止めようとすることは)不可能なことだ。はやくお返し申し上げろ」と言う。

*****

 翁に対する月の王の厳しい言葉である。この訳を読んで、大方の人は納得してしまうのだと思う。現に、これまで納得して来たのである。いや、納得するしかなかったと言うべきか。

 問題点を書きだそう。

①「汝、をさなき人。」という呼びかけを、老齢の翁に対するものとする違和感。

②「そこらの年頃、そこらの黄金こがね給ひて」の「たまふ」は「あたふ」の尊敬語であり、翁は黄金を頂いているのだから、ここは「たまはる」でなければおかしい。

③傍点で示したが、前半は「汝」と呼びかけているのに、後半はいきなり「おのれ」と呼んでいるギャップの違和感。


①の翁に対する「汝、をさなき人。」という呼びかけについて、『評註』は、

*****

汝、をさなき人-「汝」は翁への呼びかけ。「をさなき人」は「心の幼稚な人・未熟者」の意で、これも呼びかけと解いておくが、「をさなし」を年齢にかかわりなく心の未熟さについて用いた例があるかどうか疑わしい。(後略)

*****

としている。


②の「あたふ」ではなく「たまはる」でなければおかしいということについて、『評註』は、

*****

黄金給ひて-「給ひ」の主語は、天の使者の主人にあたる人、すなわち「天の支配者」と解いた。(後略:後に他の人の説も多くとりあげている)

*****

として、「天の支配者」まで想定しなければならないほど苦慮するのである。


③の「汝」と「おのれ」であるが、このふたつの呼び方は全く異なる。

なむぢ」は、同等か目下の者へのふつうの呼びかけ、「おのれ」は目下の者に対して見下して呼ぶものである。

 前半は普通の呼びかけなのに、後半は見下す呼びかけに突然変わるのは、やはり違和感をぬぐえない。


 これらからして、すでに何が言いたいかおわかりになる方もおいでだろう。

 そう、全部が翁に対しての言葉ではなく、前半はかぐや姫に対して、後半が翁に対しての言葉なのである。

*****

「(かぐや姫に対して)汝、をさなき人。いささかなる功徳を翁、作りけるによりて、汝が助けにとて、片時の程とて下ししを、そこらの年頃、そこらの黄金こがね給ひて、身をかへたるごとなりにたり。

(翁に対して)かぐや姫は罪を作り給へりければ、かくいやしきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限り果てぬれば、かく迎ふる、翁は泣き嘆く、あたはぬことなり。はや、返し奉れ」と言ふ。

*****

 上で示したみっつの問題点がこれで解消するのがおわかりであろう。実際、このように解釈していた人もあるようだ。私はその論文を読んでいないが、少なくとも翁がもとは賤しい身分の者だったということを覆せる論だったかどうかはわからない。

 そう、前半を翁への言葉として捉えた場合、黄金を賜って「身をかへたるごと」なったのは翁ということになっていたが、これをかぐや姫への言葉とすると、身を変えたのはかぐや姫ということになるのである。しかも黄金を賜ったのではなく、かぐや姫が黄金を与えたことになる。誰に? 当然、翁にである。


 翁への言葉がかぐや姫への言葉として180度ひっくり返ることによって、そこから得られる情報量が多すぎて、ひとつづりでは語り尽くせないので、順おって説明することにしよう。

①かぐや姫を地上に降ろしたのは、これを語っている者自身、すなわち「月の王(作中では「王とおぼしき人」となっているが、「月の王」であろう)」である。

*****

いささかなる功徳を翁、作りけるによりて、汝が助けにとて、片時の程とて下ししを…

*****

と、「下しし」と言っているが、これが自分のはからいでなかったとすれば、違う言い方になるだろう。たとえば、これが月の王の代理であれば、「下されしを」となるだろう。


②かぐや姫は月の王の娘、すなわち月の王女である。

 前の①につづき、「下しし」に謙譲が添っていないのには意味がある。

 月の王以外の天人はかぐや姫に尊敬・謙譲語を用いている。

*****

「壺なる御薬奉れ。きたなき所の物、きこし召したれば、御心地悪      あしからむものぞ」

*****

 それゆえ、普通の天人より上の階位であることがわかる。その上で、この月の王も、

*****

「いざ、かぐや姫、きたなき所に、いかでか久しくおはせむ」

*****

と尊敬語「おはせむ」を用いている。

 では、かぐや姫はこの月の王より上の位階かというとそうではない。

*****

天人(月の王)、「遅し」と心もとながり給ふ。かぐや姫、「物知らぬことなのたまひそ」とて、いみじく静かにおほやけに御文奉り給ふ。

*****

と、かぐや姫も「のたまひそ」と、月の王に尊敬語を用いているのである。

 普通の天人には尊敬・謙譲語を使われるかぐや姫が、月の王と相互に尊敬語を使い合い、そして、月の王はかぐや姫に謙譲語を使わないとすれば、月の王とかぐや姫は親子関係とみるほかないのではなかろうか。

*****

この衣着つる人は、物思ひなくなりにければ、車に乗りて、百人ばかりの天人具して昇りぬ。

*****

 「車」とは月の王のみが乗る「飛ぶ車」である。その車に月の王と共に乗って、百人ばかりの天人を従えて月に帰ったという場面で、かぐや姫が月の王女であったことがはっきりわかるしかけになっている。


③翁を賤民とする根拠の希薄化と、もともと貴族であった可能性の増大。

 これまでの解釈では、翁を助けるためにかぐや姫を下ろしたということになっていた。これは、かぐや姫を養うための黄金を授け、翁を貧乏からすくい上げるという解釈だっただろう。しかし、これがかぐや姫への言葉となれば、月の王が、かぐや姫の地上滞在での助けになるだろうという配慮から、いささかの徳を積んだ翁を見込んで、その元に下したということになる。かぐや姫は実際幼かったので(私の説では生まれたばかりである)、当然のはからいということになるだろう。

 ここでわかることは、黄金は月から与えられたものではないということである。では、誰から与えられたのか。それは後にくわしくするが、かぐや姫から与えられたものにほかならない。

 しかし、翁を助けるための黄金ではないとはいえ、いずれにせよ翁は黄金を手に入れるので、賤民からのし上がったという従来の設定を覆すまでにはいかない。しかし、翁を賤民とした最大の原因は、翁への言葉、「かぐや姫は罪を作り給へりければ、かく賤しきがもとに、しばしおはしつるなり。」の「かく賤しき」にあるだろう。『古活字十行甲文』で「かくいやしき」と仮名であったものの解釈だが、実は「かく卑しき」と漢字を当てるべきものなのだ。

 『月の世界はどんな所か』で詳しく論じたが、月の世界は、地上の輪廻転生を繰り返す間、徳を積んだ者だけが行くことができる涅槃になぞらえられている。つまり、月の世界の価値観は身分の貴賤ではなく、心の貴卑なのである。月の王が、翁に対して、身分が賤しい者と言うはずはない。翁の心が卑しいと月の王は言っている。月の王がどうしてそのように言うのかは、別項で書くことにしよう。

 また、月の王が、かぐや姫の地上での助けにと翁を選んだとすれば、そもそも、身分はともかく、非常に貧乏な者にかぐや姫を任せるだろうか?

 『翁はもとより貴族である(賤民は思い込み)』でも書いたが、物語の中に、翁が賤しい身分の老人だったという証拠をひとつも見つけることはできない。むしろ、貴族であったという証拠しか見つからないのである。

 言い換えれば、この月の王の言葉の曲解のみが、翁を貧しい賤民とする根拠だったのである。それが崩れた今、翁をもともと貴族であったと認めざるをえないだろう。


④月の世界と地上との時間の流れの違い。

 かぐや姫への言葉で「の程とて下ししを」と言っているが、後半の翁への言葉では、「かぐや姫は罪を作り給へりければ、かくいやしきおのれがもとに、おはしつるなり」と言っている。

 つまり、月の王はかぐや姫を地上に「片時」すなわち「ほんのちょっとの間」という約束で下ろしたのだが、かぐや姫が罪を犯したので、それが「しばし」に延びたと言っている。かぐや姫の地上滞在は、少なく見積もっても十二年である(これについては、『翁若返り説(物語にこめられたなぞなぞの解明)』を一読願いたい)。それを月の王は「しばし」と言っているのである。

 これは、月の時間が地上に比べて、非常に、いや異常にゆっくり進むことを物語っている。これについては、『月の世界はどんな所か』を一読願いたい。


⑤かぐや姫は翁に若返りと黄金を与えた。

 「そこらの年頃、そこらの黄金こがね給ひて、身をかへたるごとなりにたり。」が、かぐや姫への言葉とすれば、「そこらの年頃、そこらの黄金こがね」は、かぐや姫が翁に与えたということになるが、これを従来通り、「たくさんの年月のあいだに、たくさんの黄金を」与えたと解釈すべきなのだろうか。

 実は、ここは、「たくさんの年齢、たくさんの黄金を」与えたと考えるべきなのだ。そうしないと、翁が若返った理由が永遠に説明されないままになるだろう。「そこらの年頃」を与えたとは、かぐや姫が翁を若返らせたことを言うのである。翁の若返りについては、『翁若返り説(物語にこめられたなぞなぞの解明)』を一読願いたい。

 それに、月の王はかぐや姫の地上滞在を「しばし」と言っているので、「たくさんの年月」という感覚は疑われる。


⑥「身をかへた」のは成長したかぐや姫のことである。

 「そこらの年頃、そこらの黄金こがね給ひて、身をかへたるごとなりにたり。」と、かぐや姫が翁に若返りと多くの黄金を与えたことにより、身を変えたようになったという。これはもう、三寸(九センチ)という小ささで拾われたかぐや姫が、三ヶ月で十二歳程度まで成長したことを指す以外にはないだろう。そして、今、かぐや姫は二十歳余りにまで成長しているのである。

 このかぐや姫の年齢は、この月の王の言葉に対しての翁の言葉、「かぐや姫を養ひ奉る事、廿余年になりぬ。」によって知られる。かぐや姫はすぐに十二歳程度に成長したので、二十余年養ったというのは、月の王に対してかぐや姫が普通の子であったと訴えたい翁の必死の嘘である。しかし、ここからかぐや姫の見かけの年齢が二十歳余りとわかるのである。

 では、かぐや姫は若返りと黄金をどうやって翁に与えることができたのだろう。

 それは、かぐや姫の天人としての霊力を使ったのである。しかし、天人といえども無から有は作り出せないのだろう。かぐや姫は十二歳という自らの年齢とそれらを交換したのである。

 月の王としては、しばしの間に、九センチほどであったかぐや姫が二十歳あまりにまで成長してしまったのだから、「身をかへたるごとなりにたり。」は自然な反応だったろう。

 たった三ヶ月で十二歳程度まで成長したのにもちゃんと意味があったわけで、ただの奇異譚ではないことがわかる。逆に言えば、作者はこうした奇異譚に意味を与え、小説にまで昇華させるという驚くべきことをやってのけていたわけである。


⑦かぐや姫の罪とは翁に若返りと黄金を与えたことである。

 後半、翁への言葉。

*****

かぐや姫は罪を作り給へりければ、かくいやしきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限り果てぬれば、かく迎ふる、翁は泣き嘆く、あたはぬことなり。はや、返し奉れ」と言ふ。

*****

 「かぐや姫は罪を作り給へりければ」といきなり切り出している。

 かぐや姫の罪が何であったのか、不明確にも見えるが、翁に若返りと黄金を与えたことであるに他ならない。

 なぜそう言えるのか説明したい。月の王はかぐや姫を「片時」という条件で地上に降ろしたのだったが、かぐや姫が罪を犯したので地上滞在が「しばし」に延びてしまったと言っている。とすれば、かぐや姫の罪は、これまで言われたような月の世界での罪ではなく、明らかに地上で犯された罪であることは明白である。ならば、その直前に言われたこと、すなわち翁に若返りと黄金を与えたことに他ならないだろう。

 地上で霊力を使い、人の運命を変えることが罪だったのである。

 また、このことからは、罪が消えなければ月から迎えに来れなかったということもわかる。罪を犯せば身が穢れるので戻れないのである。月の世界を浄土になぞらえていることがわかる。


➇かぐや姫は地上で交わした約束を果たすため自らの意志で地上に下りた。

 このことは、すでに、かぐや姫が翁・媼に自らの素性を明かす場面で、

*****

おのが身は、この国の人にもあらず。月の都の人なり。それをなむ、昔の契り有りけるによりてなむ、この世界にはまうで来たりける。

*****

と、かぐや姫の言葉により明確に語られている。

 もし、従来の解釈のように、かぐや姫が月の世界で犯した罪のために地上に下ろされたのなら、この言葉は、かぐや姫が嘘をついていることになるだろう。

 この項目は、今問題にしている月の王の言葉から直接推察できるということではないが、これを踏まえておかないと月の王の言葉を正しく理解できないので、特に書いておくものである。


⑨月の王はかぐや姫を地上に下ろしたくなかった。

 かぐや姫が地上で交わした約束のために自ら地上に下りたのなら、かぐや姫は月に生まれる前は地上に居たことになる。つまり、必然的に輪廻転生という仏教思想がからんでくることは予想できるのである。月は地上で何度も生まれ変わる間に多くの徳を積んだ者だけが行くことができる涅槃として設定されているのである。涅槃たる月に生まれたからは、もう死ぬことはなく生まれ変わることもない。かぐや姫が約束を果たすためには、地上に下りるしかなかったのだ。その約束とは、かぐや姫が死ぬ前に「次の世で会おう」と何者かと交わしたものだろう。

 これを踏まえると、月の王が「片時」すなわち「ちょっとの間」だけかぐや姫を地上に下ろしたのは、しぶしぶだったからに他ならない。

 それは、月の王の次の言葉からも察知できる。

*****

「いざ、かぐや姫、きたなき所に、いかでか久しくおはせむ」

*****

 「さあ、かぐや姫、きたない所にどうして長くおいでになれようか」。

 月の王は、地上というきたない所に下りるなどもってのほかと思っていたのである。つまり、このことから、かぐや姫は前世の約束のため地上に下りたいと必死に月の王に頼み込んだことが想像できる。それで、しぶしぶ「片時」という約束で下ろすことにしたのである。

 ちなみに、②で述べたように、かぐや姫は月の王と妃の間に産まれた王女であるが、地上に下りたいと申し出たのは産まれてすぐのことだっただろう。なぜなら、羽衣にはすべての悩みを取り去る力があり、かぐや姫がそれを着せられていたら、前世の約束など気にしなくなっていただろうからである。羽衣については、『月の世界はどんな所か』を一読願いたい。


⑩かぐや姫は罪を自ら犯した。

 このことは疑いがない。⑥で述べたように、かぐや姫は霊力を使い、自らの十二歳という年齢と引きかえに、翁に若返りと黄金を与えるという罪を犯した。

 では、なぜかぐや姫は罪を犯したのであろう。それは、月の王からゆるされた「片時」という間では「昔の契り」が果たせなかったからに他ならない。④で述べたように、月の時間に比べ、地上の時間は恐ろしく早く進む。かぐや姫が妃の腹の中に宿った十月十日の間に地上では百年以上が過ぎてしまって、その約束の相手はすでに死んでおり、どこかの誰かに生まれ変わってしまっていたのだろう。

 かぐや姫は、その約束の相手を探すために、月の王との「片時」という約束を破り、罪を犯すことにより身を汚し、わざと月に帰れなくして、地上滞在を延ばしたのである。


⑪月の王は若返りと黄金を翁がかぐや姫に要求したと思い込んでいる。

*****

かぐや姫は罪を作り給へりければ、かくいやしきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限り果てぬれば、かく迎ふる、翁は泣き嘆く、あたはぬことなり。はや、返し奉れ」と言ふ。

*****

 後半、月の王の翁に向けた言葉であるが、ここで翁のことを「おのれ」と卑下して呼んでいる。しかも「かくいやしきおのれ」とも言っている。なぜなのだろう。

 「かくいやしき」は、「このようにいやしい」と訳されよう。「このように」とはどのようにということなのだろうか。「いやしい」については、「賤しい」ではなく「卑しい」であり、心が卑しいことであるとすでに③で述べた。

 実は、月の王は、若返りや黄金を、翁がかぐや姫に要求したと思い込んでいると考えられるのである。もちろん、翁はそれらがかぐや姫のしわざということさえ知らない。完全なる濡れ衣である。

 思い込み、先入観というのは、さすがの天人でもあるらしい。かぐや姫は満月の前後、月の王とテレパシー交信をしていたはずである(『かぐや姫のテレパシーによる月との交信について』を参照)。かぐや姫は、それらが翁から要求されたのではないと説明できたはずだが、地上の人は皆欲にまみれているという先入観が、その言葉さえ翁に言わされているのだと思い込ませてしまったのだろう。

 「いささかなる功徳を翁、作りけるによりて、汝が助けにとて、片時の程とて下ししを」と、月の王は翁を信頼してかぐや姫をあずけたのである。それを裏切られたと思ったわけだから、月の王が「おのれ」と翁を卑下したのもうなずける。

 ところで、「罪の限り果てぬれば、かく迎ふる、翁は泣き嘆く、あたはぬことなり。」の「かく迎ふる」について、従来、月の王がかぐや姫を迎えると説くようだが、翁が月の王を迎えると説くこともできる。「かく迎ふる」は、天人を追い払おうと二千人が弓矢で敵対して迎えたこと、そして、翁が泣き嘆くのも、すでにかぐや姫の罪が消えたからには無駄だと言うのである。

 私は、ここを、「罪の限り果てぬれば、かく迎ふる翁は泣き嘆く。あたはぬことなり。」と解釈したいと思っている。「かく迎ふる」で切らず「翁」にかかる。「翁は」の「は」は係り結び的に終止形で結ぶ。「泣き嘆く。」で読点を当てるのは自然である。

 訳すならば、「罪のすべてが消え果てたので、このように(敵対して)迎える翁は泣き嘆くのだ。意味のないことである。」となるだろう。この解釈が正しければ、月の王は、翁がかぐや姫に黄金と若返りを要求したのだと思い込んでいることが明らかになる。翁が泣き嘆いているのは、それらがもう得られなくなったからだとはっきり言っているのである。

 また、翁がその欲によって、金ずるであるかぐや姫をなんとしても手放すまいと弓矢で迎えたのだと月の王は思っている。かぐや姫の罪が消えたからは、そんなことは無意味だ、諦めろと言っていると考えられる。


 月の王は翁のかぐや姫を思う真の心情を理解しない、あるいはできないのである。

 『月の世界はどんな所か』に詳しく書いたが、天人が必ず身につけている羽衣はすべての苦悩や憂いを消してしまうという一見すばらしい機能を持っている。しかし、反面、人の心というものを失わせてしまうのだろう。

 ひとりの天人がかぐや姫に羽衣を着せようとした場面。

*****

その時にかぐや姫、「しばし待て」と言ふ。「きぬ着せつる人は心異  ことになるなりといふ。物一言、言ひ置くべき事ありけり」と言ひてふみ書く。天人、「遅し」と心もとながり給ふ。かぐや姫、「物知らぬことなのたまひそ」とて、いみじく静かにおほやけに御文奉り給ふ。あわてぬ様なり。

*****

 「天人、「遅し」と心もとながり給ふ。」は、地の文が「給ふ」を使っているので、衣を着せようとした天人の言葉ではなく、月の王の言葉である。早く地上を離れたい月の王は、これから手紙を書こうというかぐや姫の悠長な行動を大いにじれったがる。しかし、かぐや姫は、「ものをしらないことをおっしゃいますな」と、びしりとたしなめるのである。

 いかに父親とはいえ月の王に対して、この言葉は不遜であろう。しかし、これは、羽衣を纏い、「心異  ことに」なった者に対しての、心を持った者の誇りと奢りなのだ。いかに不老不死となり、苦悩のない涅槃に居ても、人としての心を失ってはいかなるものぞという作者のメッセージと私はとらえている。

 月の王は、こうして弓であがらい、気が狂ったように泣き嘆く翁の、かぐや姫に対する強い愛情を最後まで理解できなかっただろう。


⑫かぐや姫の罪はなぜ消えたのか。

*****

(翁に対して)かぐや姫は罪を作り給へりければ、かくいやしきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限り果てぬれば、かく迎ふる翁は泣き嘆く。あたはぬことなり。はや、返し奉れ」と言ふ。

*****

 月の王は、「罪の限り果てぬれば」と、かぐや姫の罪が完全に消えたと言っている。それで罪の汚れがなくなり、かぐや姫は月に帰れることになったわけだ。

 しかし、どうして罪が消えたのだろうか。

 もともと、罪はかぐや姫自身がわざと作っていたものであった。つまり、かぐや姫が罪を犯さなくなったということになる。それは、言うまでもなく、翁に対して黄金や若返りを与えなくなったということである。では、かぐや姫はなぜそれをやめたのだろう。

 天人は不老不死の薬によって老化しない。あるいは老化できないというのがネックになりそうだ。かぐや姫も天人であるから、老化することはできない。老化とは成長が止まった時点から始まると考えられる。かぐや姫も成長が止まった時点で月に帰らなければならなかったと考えられるのである。

 ⑥でのべたように、「かぐや姫を養ひ奉る事、廿余年になりぬ。」という翁の苦肉の嘘から、かぐや姫の見かけの年齢がうかがわれる。たとえば「廿余年」が二十四歳として、女性が成長が止まり老化が始まる年齢と言ってもおかしくはない。

 これらのことから、次のような説が浮かぶ。

 かぐや姫は自らの年齢と翁へ黄金と若返りとを交換したのだが、最初の異常成長で黄金を、あとの成長で翁に若返りを与えたという考え方である。

 それについて次の模式図がわかりやすいだろう。『翁若返り説(物語にこめられたなぞなぞの解明)』より以下を引用する。物語の考察から私の考える、かぐや姫と翁の若返りとの関係模式図である。


*****

  A  B         C  D

  12歳 異常成長(起点)  66歳 66歳

  15歳 名づけの祝いまで  69歳 63歳

  18歳 五人への難題提示  72歳 60歳

  21歳 帝との文通始まり  75歳 57歳

  24歳 姫の昇天      78歳 54歳

 Aはかぐや姫の見かけ年齢、Bは三年単位の区切りのきっかけ、Cは翁の実年齢、Dは翁の若返り年齢である。

 髪上・裳着の時点でのかぐや姫の見かけ年齢は十二歳~十五歳と幅があるが、十二歳としておく。

 翁が一年に一歳づつ若返ったとする。ちなみに、一年に一歳づつ若返るということは、実は実質二歳若返っていることになる。

 翁が、かぐや姫に結婚を勧めるため、自分の年齢を「年、七十に余りぬ」と言ったのは、表の「五人への難題提示」のときであるから、翁の実年齢を七十二歳として、これを基準に前後の翁の年齢を決めている。そうすると、かぐや姫を竹藪で拾った時点で六十六歳となり、これは十分「翁」と呼べる年齢といえる。

 五人への難題提示の時点、「年、七十に余りぬ」と言ったのは翁の主観である。この時、翁は六十歳まで若返っているが、まさか自分が若返っているとは気づいていない。翁は自分の実年齢をそのまま言っていたと考えることができる。

*****


 最初の異常成長での十二歳程度を黄金と交換し、後はかぐや姫自身が一歳年をとるごとに翁を一年に一歳ずつ若返らせたという考え方ができる。この考え方なら、かぐや姫が二十四歳になった時点で、かぐや姫が年を取れなくなり、翁を若返らせることができなくなったので、罪が消えたという説明ができる。また、月に帰らないためには罪を間断なく犯し続けなければならないという意味でもこの説明は納得できる。


 しかし、この説には欠点がある。かぐや姫は地上の時間に支配されない、つまり年を取らないという条件が必要なのだ(天人なので、それもありうる)。また、かぐや姫の意志で自分の年齢と翁の若返りを交換しているので、一年に一歳ずつ交換せず、一年ごとの若返りをもっと少しずつにすれば、もっと長く地上滞在が可能だということが言えるのである。

 それゆえ、天人であるかぐや姫といえども、地上の時間に支配されたという考え方で説を編む必要もあるだろう。

 その説として、最初の異常成長で黄金と翁の若返りを一時に交換したとも考えられる。その後、黄金は小出しにし、翁を若返らせるのは自動的に行われたとするのである。自動的とはいえ、罪を犯し続けることに違いはないだろう。この若返りが停止するまでかぐや姫は月に帰れなくなると考えられる。

 しかし、この説にも欠点はある。やはり、翁の若返りを少なく設定すれば、一気に十二歳まで成長せず、もっと低い年齢に抑えることができ、地上滞在をもっと延ばせたはずなのだ。これについては、かぐや姫自身、約束の人と巡り会うためには、ある程度成長しておきたいという思惑があったと説明することもできよう。

 私は、整合性からいって、後者の説をとっている。



 以上であるが、これが、『『竹取物語』こそ日本最古の小説である』で描かれた竹取物語が私の創作ではないということの証明にもなっているだろう。すべては、かぐや姫への言葉を翁への言葉として曲解してきたことにより隠されてしまったストーリーなのである。

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