仮名の魔性「思ひ翁は」は「思ひ置きなば」である

 『竹取物語』の難読箇所としては最上級で、これまで多くの学者が多くの説を唱えながら、未だ解決をみない箇所についてである。

 かぐや姫の美貌を聞き、多くの男たちが妻にしようと家のまわりをうろついたが、最後までねばったのは五人の貴公子であった。そのねばりに、とうとう翁もかぐや姫に、このうち一人と結婚したらどうかと勧めざるをえなくなった。それに対しかぐや姫は、五人それぞれにこの世に無い品物を所望し、それを持って来た人と結婚しましょうと約束する。つまり、体よく結婚を断ったわけだ。

 ところが、その五人の内の一人、庫持くらもちは一計を案じ、所望された「蓬莱ほうらいの玉の枝」を偽造する。雇った工匠らと共に隠れ家に籠もり、なんと三年がかりでそれを完成させると、いかにも船旅から戻ったように見せかけ、凱旋よろしく翁の家にやってきたのだ。

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この皇子、「今さへ、何かと言ふべからず」と言ふままに、えんのぼり給ひぬ。

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 玉の枝を持って来たのだから文句は言わせないとばかりに、勝手に家にあがりこむ皇子。

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翁、ことわりに思ふ。「この国に見えぬ玉の枝なり。このたびは、いかでかいなび申さむ。人ざまもよき人におはす」など言ひたり。

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 焦る翁は、頬杖をついて黙りこくっているかぐや姫に業を煮やして、「見たこともない玉の枝だ」とか「今回は断れないでしょう」とか「人柄も良い人にございますよ」とか、何とか皇子と結婚するようかぐや姫を説得する。

 そして、次が今回の問題箇所である。

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かぐや姫の言ふやう、「親ののたまふことを、ひたぶるにいなび申さむことのいとほしさに」。取りがたき物を、かくあさましく持て来たることをねたく思ひ、翁は、ねやのうち、しつらひなどす。

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 『竹取物語』の原本は残念ながら残っておらず、多くの写本が存在するが、その中でもっとも信頼できると思われる『古活字十行甲本』を底本に、現在流通する解釈に従って句読点、カギ括弧を施し、適宜漢字を補って示している。

 これをできるだけ忠実に訳しておこう。ただし、意味が通じやすいように括弧書きを施しておく。

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かぐや姫の言うには、「親のおっしゃることをひたすらお断り申しあげるのはお気の毒そうなので……」。(かぐや姫は)得難い物をこのように意外にも持って来たことを※心憎く思い、翁は寝所の整えなどをする。

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後に語るが、「ねたし」には「ねたましいほど立派だ・心憎く思う」という意味もある。「いまいましく思い」などと解釈する解説書もあるが、文中からは、翁が皇子が持って来た蓬莱の玉の枝を本物と信じ、潮に濡れたままやってきた皇子にすっかり同情していることがわかるので、「ねたましいほど立派だ・心憎く思う」をこの場合は取るべきだと思う。

 この一文は見かけ上、おかしなところはないように思われるだろうが、実は、どこから説明してよいかわからないほど、おかしなところだらけなのである。

 まず、訳文の中に(かぐや姫は)という括弧書きを施しているが、これがなければ、翁が皇子をねたましく思いながら、寝所の支度をしているという不思議な意味になるだろう。もっともその場合、「ねたく思ひて」あるいは「ねたく思ひつつ」など接続詞が不可欠となろう。「ねたく思ひ」と連用形で文を一度切っているので中止法と判断せざるをえない。「花咲き、鳥歌ふ」というような用法である。

 つまり、かぐや姫は皇子をねたましく思い、かたや翁は寝所の支度をするという意味としたいのだが、「得難い物を……」の前に肝心な「かぐや姫は」が無いのである。「花咲き、鳥歌ふ」の例で言えば、「花」が省かれることなど考えられるだろうか。どうひっくり返しても不完全な文なのである。

 それゆえ、「……いとほしさに」で会話文が終わらず、「取りがたき物を……」に続くとして、会話文がいつの間にか地の文に移行する希有な例とする説もあるほどだ。

 また、「……いとほしさに」の後に「と」が抜け落ちたとか、また、言いさしではなく、本当は言い切りで、後続の文がごっそり落ちたとする脱文説も存在する。

 これはもはや怪文章なのである。


 ところで、「親ののたまふことを、ひたぶるに辞び申さむことのいとほしさに」というかぐや姫の言葉は何を意味するのだろうか。従来の解釈によれば、この言いさしの後に、「取り難き物を申したるに」などの意を想定しているらしい。

 つまり、かつて(三年前)五人の内の一人と結婚してはどうかと翁に勧められたとき、それを持って来てくれたら結婚しましょうと、五人それぞれに入手不可能な品物を所望したのは、五人に結婚を諦めさせる口実だったはずなのに、それを図らずも持ってこられてしまったくやしさを吐露しているというわけである。

 まあ、なんとなくわかるが、脱文説にせよ、想定説にせよ、想像にすぎないというか、納得までできるレベルではない気持ち悪さがあると思う。


 さて、私の説をこれから述べるが、この文章を怪文章にしていたのは、ただひとつの思い込みだったのである。

 問題の箇所は、写本『古活字十行甲本』の通りに示せば、次のようになっている。ただし、変体仮名を平仮名に直して示す。

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かくや姫のいふやうおやのの給ふことをひたふるにいなひ申さむ事のいとおしさに取かたき物をかくあさましくもて来る事をねたく思ひはねやの内しつらひなとす

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 傍点部「おきな」に注目していただきたい。御覧のとおり仮名である。

 実は、この「おきな」を「翁」と解釈してしまったことが、ここを怪文章としていた原因だったのである。

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かぐや姫の言ふやう、「親ののたまふことを、ひたぶるに辞び申さむことのいとほしさに、取りがたき物を、かくあさましく持て来たることをねたくねやのうち、しつらひなどす」

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 「翁」と解釈してきたところをもともとの仮名に戻せば、傍点部「思ひ置きなば」という文があぶり出される。そして、文脈を検討すれば、「……しつらひなどす」まで全てがかぐや姫の言葉として通ることがわかるのである。これにより、連用形の問題も、そもそも無かったことになる。怪文章が一気に普通の文章になるのである。

 ところで、この「おもひおきなば」であるが、実は「思ひ置きなば」の他に「思ひ起きなば」も考えられる。どちらを選ぶか悩むものである。

 「思ひ置く」は成語として古語辞典に「考えを決めておく。思い込む」あるいは「後に心を残す。思い残す。気にかける」とある。成語であるから候補としては強い。また、その前の「かくあさましく持て来たることをねたく」に続くことを考えると「思ひ置く」を取るべきだろう。


 さて、もう一度新解釈を示して、私の訳を次に示す。

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かぐや姫の言ふやう、「親ののたまふことを、ひたぶるに辞び申さむことのいとほしさに、取りがたき物を、かくあさましく持て来たることをねたく思ひ置きなば、ねやのうち、しつらひなどす」

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かぐや姫の言うには、「親のおっしゃることを無下にお断り申しあげるのも気の毒なので、得難い物をこのように意外にも持って来たことを、たいしたものだと心に留めた(納得した)ならば、寝所の整えなどします」

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 「親ののたまふことを、ひたぶるに辞び申さむことのいとほしさに」が何を意味するかであるが、かぐや姫が五人に難題をもちかけたそんな前の話ではなく、翁がかぐや姫を説得している今の話と私は考えたい。

 翁は、「今さへ何かと言ふべからず」とせまる皇子と、「物も言はずつら杖をつきて、いみじく嘆かしげに思ひたり」というかぐや姫との板挟みになって、かなり追い詰められているのである。

 それで、かぐや姫は「親のおっしゃることを無下にお断り申しあげるのも気の毒なので、」と前置きをし、「得難い物をこのようにあっさり持って来たことを、たいしたものだと心に留めた(納得した)ならば、」と条件を示し、それにかなったなら「寝所の整えなどします」と言うのである。

 かぐや姫は皇子に会うつもりは毛頭ない。しかし、翁がかわいそうなので、一応皇子の冒険の話を聞こうというのである。かぐや姫としては、その話の中で、何か矛盾や辻褄が合わないところなど探して、最終的には断る算段だっただろう。それにしても「寝所の整えなどします」と言い切ってしまったからは、あぶない橋を渡ることになる。


 この解釈の反論として、かぐや姫の言葉だとすると、「ねたく思ひ」は疑問だという意見はあるだろう。「ねたましく」思ったら、かぐや姫は納得するのかと言われるに違いない。しかし、「ねたし」は、本来「ねたましい」という意味だが、「ねたましいほど立派だ・心憎く思う」という意味もあるのだ。

 ちなみに、「あさまし」についても、「なげかわしい・みすぼらしい」という意味の他に、「驚きあきれるさまだ・以外だ」という意味もある。

 また、もうひとつ反論を受けるとすれば、「ねやのうち、しつらひなどす」の「す」は「せむ」でなければならないのではないかということである。たしかに「せむ」は「~をしましょう」と未来の行為を表すが、「す」も現在していることだけを表すわけではない。時制的にはかなり曖昧である。「~をする」と言った場合、今行っていることか、これからすることかは状況的に判断するほかない。「ねたく思ひ置きなば」と条件をつけているので、未来に行うことと十分判断できるのである。


 この新たな解釈なら、このすぐ後に、

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翁、皇子に申すやう、「いかなる所にか、この木はさぶらひけむ。あやしく麗しく、めでたきものにも」と申す。

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と、翁が皇子に質問する動機づけにもなり、まことに繋がりがいいのである(従来の解釈では、翁が唐突にこの質問をするように感じられる)。この後、皇子は嘘の冒険談を延々と語ることになる。

 実は、本当に焦っているのは翁ではなくかぐや姫の方で、約束の手前、皇子との結婚を無碍に断ることもできず、苦し紛れの引き延ばし作戦の意味もあったろう。結果的にこの作戦が功を奏し、皇子に踏み倒された報酬をかぐや姫からもらえまいかと現れた工匠たちによって玉の枝が贋物だと知れ、かぐや姫は危機を脱することができたのだった。


 話には聞いていたが、当時の結婚とは、いきなり床入りなのであろうか。かぐや姫の焦りもただごとではなかっただろう。それにしても、その初夜の床の支度を翁がするという首をかしげざるをえない従来の解釈が、新たな解釈では無かったことになり、私自身胸をなで下ろすものである。

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