翁の五人の求婚者への挨拶の否定(会話文の法則①)
『竹取物語』において、次に示す約束事を見いだしたという文章に私はまだ出会っていない。
会話文において、始まりの語と終結の語は、「いはく」「いふやう」なら「といふ」、「のたまはく」「のたまふやう」なら「とのたまふ」、「まうす」「まうすやう」なら「とまうす」のように必ず対応する。
本当かと疑う人は是非とも物語全体を検証して頂きたいが、とりあえず例を示そう。
まず、物語で一番最初に出てくる「いはく~といふ」である。
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かぐや姫のいはく「なんでふ、さることかし侍らむ」といへば……
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また、庫持の皇子の段の次の一文。
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翁、皇子に申すやう、「いかなる所にか、この木はさぶらひけむ。あやしく麗しくめでたきものにも」と申す。
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そして、前の例に続き、皇子が翁に問われるまま話し始めた玉の枝を取ってきたいきさつを語る長大な嘘の冒険談も、
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皇子答へてのたまはく、「
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と、「のたまはく」で始まった会話文は、ちゃんと「とのたまふ」で終結している。
この物語が書かれた当時は、現代のように会話文を示す「」というような便利な記号はなかった。それで、この方法によって、どこからどこまでがひとつの会話文なのかを示したのではないかと私は考える。
他の古典においてはどうかというと、アマチュアの私にとってそれらを逐一検証する時間がなかなかとれず、ざっと見た限りのことしか言えないが、『今昔物語集』で、例は少ないが同じ法則が認められたので、この方法は『竹取物語』に限らない一般的な約束事であったのではないかと考えている。
ともあれ、『竹取物語』には、これを「約束事」とするにあまりある例がある。少なくとも『竹取物語』の書き手はこの約束事を意識的に守っていたと私は確信している。
ただし、この約束事は、対応する前後どちらかが省かれたり消失したりする例があることを注記しておこう。
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かぐや姫の皮衣を見ていはく「麗しき皮なめり。わきてまことの皮ならむと知らず」。竹取答えていはく……
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この例では、「竹取答えていはく」がすぐ後に来るので、会話が終結したことは自明であるため「といふ」が省かれたと判断できる。
また、逆に「といふ」に対する「いはく」が省かれる例もある。
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翁「嬉しくものたまふものかな」といふ。
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など、話者の名を頭につけてすぐ会話文を始め「といふ」で終結させている。これは「いはく」の多用を防ぐための省略の手段のひとつと考えられる。
また、会話文をいきなり始めて、「といふ」で終結させる例もあり、この例は、「いはく~といふ」の形をとるものよりずっと多い。これも「いはく」を省略する例であろう。誰が言っているのか自明な場合、話者の名前さえ省くことによって、文章を滑らかにしているのである。
さて、この約束事が事実だとして、実は物語の中には二箇所だけこの約束事から外れてしまう箇所がある。この約束事が守られているとする限り、それらを例外とするわけにはいかない。むしろ、それはこれまでの解釈がこの約束事を知らなかったための誤りとしなければならないだろう。つまり、早い話が、会話文における「」の掛け違いをこの二箇所は犯していたと考えられる。
この二箇所を約束事に従って「」を掛け直すと、これまでとは全く違った解釈になることにこれから驚かされると思う。
一、翁の五人の求婚者への挨拶の否定
ここで問題にする箇所は、やはり難解とされる箇所で、『評註竹取物語全釈』松尾 聰著(武蔵野書院)も脱文説を取り入れている。解読に四苦八苦する内容については省くが、この会話文の法則に則れば、ただひとところの誤脱を指摘するだけで、すっきりと読み解けるのである。
五人の身分の高い人々が、かぐや姫をわがものにしようと、かぐや姫の家の垣根に数年通い続ける。翁もとうとうかぐや姫に、この五人のうちの一人と結婚したらどうかと強く勧めざるをえない。そこでかぐや姫は、結婚してもいいが、五人のその深いこころざしを見たいという。それで、それを伝えるため、翁はさっそく五人を家に呼び入れたのだった。
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翁出でて①いはく、「かたじけなく、きたなげなる所に、年月を経てものし給ふこと、極まりたるかしこまり」と②申す。「『「翁の命、今日明日とも知らぬを、かくのたまふ公達にも、よく思ひ定めて仕うまつれ」と申すもことわりなり。いづれも劣り優りおはしまさねば、御心ざしのほどは見ゆべし。仕うまつらむことは、それになむ定むべき』③といへば、これ良き事なり、人の恨みもあるまじ」④といふ。
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この従来の解釈の中で例の約束事を逸脱しているのは、傍点部①の「いはく」で始まる翁の言葉が傍点部②の「と申す」で閉じられている箇所である。約束事に照らせば、「いはく」で始まれば「といふ」で閉じられるはずである。
では、傍点部①の「いはく」はどこで閉じられるべきであろう。そう、傍点部③の「といへば」あるいは④「といふ」で閉じられるはずである。つまり、①から始まり③か④で終結するまでの長い文すべてが、ひとつの連続した翁の言葉だったと言え、傍点部②の「と申す」は地の文ではなく、翁の言葉に含まれることになる。
これまでの解釈は、傍点部①「いはく」から傍点部②「と申す」までの会話文を、例外なく五人に対する翁の挨拶と考えている。
「みっともなく汚げなこの家に、何年もお通いになられたことは、きわめて恐れおおいこと」
翁が五人の前に姿を現してすぐの言葉であり、内容からいっても、先人がこれを翁の挨拶ととらえたことは無理からぬことではある。
では、これを「いはく」なら「といふ」で閉じられるという会話文の法則に則って書き直してみよう。
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翁出でて①いはく、「『かたじけなく、きたなげなる所に、年月を経てものし給ふこと、極まりたるかしこまり』と②申す。『翁の命、今日明日とも知らぬを、かくのたまふ公達にも、よく思ひ定めて仕うまつれ』と申すもことわりなり。『いづれも劣り優りおはしまさねば、御心ざしのほどは見ゆべし。仕うまつらむことは、それになむ定むべき』③といへば、これ良き事なり、人の恨みもあるまじ」④といふ。
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①「いはく」に対する会話文の〆は③「といへば」か、④「といふ」であると述べたが、③「といへば」で閉じた場合、「これ良き事なり、人の恨みもあるまじ」が五人の言葉となるが、このすぐ後の
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五人の人々も、「よき事なり」といへば、翁入りていふ。
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と重複してしまうので、まずありえない。
それで④「といふ」で閉じられるという結論になるのである。「五人の人々も~」の後文とのつながりもよい。
ところで、③と④どちらでも閉じられないという可能性もある。つまり「といふ」が省かれる例とも考えられるだろう。しかし、これだけ長い会話文が「といふ」で閉じられないのもどうだろうと考える。また、そうした場合、
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「『いづれも劣り優りおはしまさねば、御心ざしのほどは見ゆべし。仕うまつらむことは、それになむ定むべき』といへば、『これ良き事なり、人の恨みもあるまじ』といふ。」
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となるが、翁とかぐや姫の会話を伝えるだけのこととなり、「五人の人々も~」の後文とのつながりが弱い。また、どちらがかぐや姫の言葉か曖昧となるので、気持ちが悪い面がある。
さて、新たな解釈を少しずつ切り崩しながら検証していこう。
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「『かたじけなく、きたなげなる所に、年月を経てものし給ふこと、極まりたるかしこまり』と申す。
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これはこれまで翁の五人への挨拶と考えられていたが、実は姫の言葉を翁が五人に伝えていると考えられる。
もちろん、「みっともなく汚げなこの家に、何年もお通いになられたことは、きわめて恐れおおいこと」などとは、かぐや姫は一言も言っていない。このことにより、これはどうしても翁の言葉ではなければならないと考えられて来たのだろう。しかし、これは翁の五人への気遣いによる方便なのである。
これをふまえ、次の所、
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『翁の命、今日明日とも知らぬを、かくのたまふ公達にも、よく思ひ定めて仕うまつれ』と申すもことわりなり。
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「『翁の命は今日明日ともしれないのだから、こうしておっしゃってくださる公子たちの中からよく考えてお一人を決め、お仕えなさい』と申しあげるのも道理です。」
たしかに翁はかぐや姫にこう言っている。しかし、前の文がかぐや姫のことばであるなら、この文が「と申すも」と「も」をともなっている限り、これも前言に引き続き、かぐや姫の言葉なのである。
傍点部「も」は、これを翁の言葉でなければならないとする書写者が「こそ」とつけ替えたものであると私は考える。この「も」は係り結びとして強調を作るが、この場合、結びがはっきりせず、列挙・並記の意味合いもあり、「公達にも」は、他にも居る中、この五人にもチャンスを与えようというような感じがあり、五人を前に述べるには不適切に私には感じられる。
つまり、
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『翁の命、今日明日とも知らぬを、かくのたまふ公達にこそ、よく思ひ定めて仕うまつれ』と申すもことわりなり。
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「翁の命は今日明日ともしれないのだから、こうしておっしゃってくださる公子たちにこそ、よく思い定めてお使い申しあげます」
ということになる。
これについても、かぐや姫は一言も言っていない。むしろ、「翁の命、今日明日とも知らぬを」は、翁がかぐや姫に言った言葉である。しかし、これを翁はかぐや姫の言葉として五人に伝えているのである。前言に引き続き、翁の嘘というより、五人に気を遣った方便ということができるだろう。
事実をそのまま伝えれば、五人に不快を与えかねない。かぐや姫が自主的にそれを望んでいるとしておけば、五人が悪い気を起こすこともない。また、言い方を変えただけで、伝える内容に間違いはなく、大きな支障もない。
さて、話を戻すが、「も」を「こそ」の誤と見て、改めて次に示す。
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『翁の命、今日明日とも知らぬを、かくのたまふ公達にこそ、よく思ひ定めて仕うまつれ』と申すもことわりなり。
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ここで使われている係助詞「こそ」は已然形で結び、最大級の強調を表す。「仕うまつれ」は命令形ではないので注意が必要だ。
已然形と命令形は、ほとんどの場合同じ音なので、この一文を翁自身の言葉でなければならないと思い込んだ場合、どこかの段階での書写者が「こそ」を「も」に書き換えて命令形に仕立てたものと考えられる。あるいは、「もこそ」であったものを、「こそ」を削除した可能性も考えられる。「もこそ」は「ひょっとしたら~かもしれない」というような期待の言い回しも作るので、有力かもしれない。
この「こそ」~已然形の係り結びは、くしくもこの問題箇所より少し前、翁がかぐや姫に五人と会うように勧める場面で、かぐや姫の言葉として使われている。
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変化の者である身とは思わない。(あなたを)親としか思っておりません。
さて、残りの箇所。
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「『いづれも劣り優りおはしまさねば、御心ざしのほどは見ゆべし。仕うまつらむことは、それになむ定むべき』といへば、これ良き事なり、人の恨みもあるまじ」といふ。
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「これ良き事なり、人の恨みもあるまじ」を「『いづれも劣り優りおはしまさねば、御心ざしのほどは見ゆべし。仕うまつらむことは、それになむ定むべき』といへば、」に対しての答えではないと私は判断した。
つまり、次の「五人の人々も、『よき事なり』といへば、翁入りていふ。」に続く翁の五人への問いかけと考えるのである。
この考え方では、「『いづれも劣り優りおはしまさねば、御心ざしのほどは見ゆべし。仕うまつらむことは、それになむ定むべき』といへば、」は、翁のかぐや姫への言葉と判断される。
五人のこころざしを見ようと言ったのはかぐや姫である。それを翁は自分がかぐや姫に言った提案として五人に伝えているのである。
このように、翁は終始、事実とは逆さまに五人に伝えている。
すべては翁の五人に対する配慮のためだったが、五人は翁の言葉により、かぐや姫が自分たちが通ってきていることをありがたく思っていて、自分たちとの結婚にも前向きだといい気持ちにさせられたはずだ。しかし、後にかぐや姫の所望するこの世にない品物を言いつけられ、翁のこの配慮があだになり、かえって落胆の度を大きくしてしまったと考える。
作者が翁とかぐや姫の言葉を逆転させたねらいはそこにあったのではなかろうか。
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「もっとやさしく、もうそのあたりを歩かないでください」と言われた方がましだった、と五人の落胆のほどがうかがえる。
「いはく~といふ」の会話文の約束事から逸脱するもうひとつの箇所については、後に別文にて書きたいと思っている。
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