大納言と中納言の段における鏡写しの構造

 五人の貴公子がかぐや姫に求婚し、それを断る口実として、かぐや姫が五人それぞれにこの世にはない品物を要求した。

 この五人は、それが求婚を断るかぐや姫の口実であることだともわかっていたし、所望されたその品物がとうてい得がたいものであることも承知していたのだが、かぐや姫を自分のものにしたい一心で、それぞれのやり方でその品物を手に入れようとするが、けっきょく失敗に終わる。そのそれぞれの失敗談をおもしろおかしく滑稽に描いた五つの話が物語に挟み込まれている。


 かぐや姫が拾われてから月に帰るまでの話が本筋であるが、分量としては物語の三分の一で、あとの三分の二がこの五つの失敗談によって占められるのである。

 五つの話は本筋の進行にほとんど影響しない。たとえこの五つの話を読み飛ばしても、物語はほとんど支障なく進行し完結する。つまり、この五つの話は、良く言えば物語にふくらみを持たせた遊び、悪く言えば贅肉であるといえるだろう。

※ただし、五人の失敗を耳にしたかどがかぐや姫に興味を持つという意味で、なくてはならない五話といえる(『『竹取物語』こそ日本最古の小説である』参照)。


 とはいえ、この五つの話は、かぐや姫の地上滞在中における三年間を占めるれっきとした出来事であり、五話のうち四話までかぐや姫のちょっとした登場があるので、かぐや姫の性格を探る上で欠かせないものでもあり、単なる贅肉とも言えない。

 また、その五人にそれぞれまったく異なる性格づけを行うことにより、この世にない品物へのアプローチを五つのバリエーションに描きわけている。それは作者の的確な人間観察に基づいており、見事というほかない。


 さて、本題である。

 この五つの断章について、その書き出しと終わり方にパターンがある。書き出しは主人公の性格・性質を述べ、話の終わりはダジャレによるある言葉の語源説をオチとして締めくくられている。それらについて、次に箇条にしてまとめてみたい。主人公、所望された品物、書き出し、話のオチの順である。


第一話 石作いしづくりの皇子 仏の石の鉢

 「心の支度ある人にて」

 「鉢を捨つ」より「恥を捨つ」

第二話 庫持くらもちの皇子 ほうらいの玉の枝

 「心たばかりある人にて」

 「たまさかる」

第三話 安部の大臣 火鼠の皮衣

 「財豊かに、家広き人にて」

 「阿部なし」より「敢へなし」

第四話 大伴(おほとも)の大納言 たつくびの玉

 なし

 「あな食べがた」より「あな耐へがた」

第五話 石上いそのかみの中納言 燕の子安貝

 なし

 「かひなのわざや」より「甲斐なし」


 ダジャレによる落ちについて、第二話は他と少し違っていて、「たまさかる」の意味も諸説あってはっきりしない。しかし、語源説であることは確かで、何らかの言葉遊びが含まれていることも予想される。

 ところで、このように五話とも話の終わり方がダジャレ落ちというパターンで統一されているのに対し、話の始まりにおいては第一話から第三話まで、主人公の性格・性質をダイレクトに述べるというパターンで統一されているのだが、第四話と第五話についてはそれがないということに気づく。

 前半の三話のパターンが、どうして後半の二話には採用されていないのだろうか。それは作者の単なる気まぐれと決めつけてしまえばそれまでなのだが、私には少なからず気がかりになっていた疑問だった。

※五人の貴公子が、実は最初は三人として書かれたという説があるが、これはそれを後押しするひとつの根拠である。


 そうした疑問を抱く中で、私は、この二つの断章が左のような構成で一致していることに気づくのである。

 一、家来への命令

 二、家来の反応

 三、第三者の登場

 四、自ら行動を起こす

 五、失敗

 六、病気(怪我)

 七、救出、搬送

 八、結末

 もし、ここまで一致しているとしたら、これが作者の作為であることを否定できないだろう。

 とにかく、ここに示した構成にしたがって両話を要約してみよう。


●大伴の大納言、「たつくびの玉」の段

一、大納言は家来を集めて「竜の頚の玉」を取ってくるまで帰ってくるなと命令する。

二、この理不尽な命令に家来たちはとまどい、それぞれ好き勝手な所に身を隠してしまう。

三、いつまでも帰ってこない家来たちに苛立った大納言は、自らなにみなとに出向き、一人の船人に「自分の家の者が竜の頚の玉を取って帰ってきたと耳にしたか」と聞くが、船人は「そんな船はない」と笑って答える。

四、それを聞いた大納言は、自ら船に乗り、竜の頚の玉を取りに海に出る。

五、しかし、嵐に遭い、命からがら岸にたどり着く。

六、航海でふうという病にかかってしまう。

七、輿ごしを作らせて、担われて家へ帰る。

八、かぐや姫を「大盗人おほぬすびとの奴」とそしる。


●石上の中納言 「燕のやす貝」の段

一、中納言は家来たちに「燕が巣を作ったら教えよ」というふれを出す。

二、それが「燕の子安貝」を取るためだと知った家来たちは、中納言のために何とかそれを手に入れようと、いろいろ情報や案を出し合い、実際にやぐらを組んで燕の巣を探ろうとする。

三、そこにくらという老人が世話を焼いて出した知恵を取り入れる。

四、子安貝がなかなか取れないので、自ら吊り籠に乗って取ろうとする。

五、しかし綱が切れて落下してしまう。

六、大釜の上に落ち、腰を折ってしまう。

七、唐櫃からひつの蓋を担架にして運ばれる。

八、かぐや姫から歌(和歌)による見舞いを受ける。


 以上、この二つの断章は、最初から一対のものとして企画されて書かれたものと考えられるのである。


 大納言と中納言が対照的に描かれていることは知られているが、こうした構成上の完全な一致を唱える解説書を私は未だ見ていない。

 誰でも簡単に気づきそうなものなのだが、気づけないのも無理もないように思う。大納言の話は大海に竜を求めるスケールの大きさなのに対し、中納言のそれはその辺の燕を相手にするというスケールの小ささである。両者を同じ視点に置くことすら難しかったのだ。

 考えてみれば私自身も、あるきっかけがなければ、これに気づけなかっただろうと思う。

 それは、「七、救出、搬送」の場面である。

 大納言

*****

国に仰せ給ひて、輿ごし作らせ給ひて、にようによう担はれて家に入り給ひぬるを……

*****

 中納言

*****

貝にもあらずと見給ひけるに、御心地も違ひて、からひつの蓋の、入れられ給ふべくもあらず、御腰折れにけり。

*****

 大納言は作らせた手輿で、中納言は唐櫃の蓋を担架がわりに搬送されるという場面的一致が、両者が同じ構成で書かれているのではないかと私に気づかせるきっかけだった。


 では、なぜ作者はこの二つの断章を同じ構成にしたのであろうか。

 その答えは、大納言と中納言が全く逆の性格を持っていることを考えれば自ずと出てこよう。二者の異なる性格を対比させ、一層際立たせるため、作者は二つの断章を同じ構成にしたと考えられるのである。

 たとえば、先に示した「七、救出、搬送」の場面を対比してみる。

 大納言は病に冒されながらも、流れ着いた国の国主にわざわざ手輿を作らせ、痛みでうんうんうなりながら担われて家に帰る。体裁を取り繕う気位の高さが表れている。

 一方、中納言は、家来たちの機転によって、唐櫃の蓋を担架代わりに用意される。大納言のように何かと命令しなくても家来たちが世話をしてくれるのである。

 この両者の性格の対比は、「一、家来への命令」と「二、家来の反応」で特によく表現されている。

 大納言がいきなり家来たちに「竜の頚の玉」を取ってこいと命令するのに対し、中納言は「燕が巣を作ったら教えてくれ」とだけ言って、それに対して家来たちが「何のためでしょうか」という問いを待って「燕の子安貝を取るためである」とその真意を伝えている。

 大納言の横暴と中納言の柔和、強引と控えめというまったく逆の性格が描かれる。

 そして、これに対するそれぞれの家来たちの反応も対照的である。

 大納言に「竜の頚の玉」を取ってくるまで帰ってくるなと家を追い出され、とまどう家来たちは、命令を無視してそれぞれ好き勝手なところに身を潜めてしまう。

 それに対し、中納言の家来たちは、「燕の子安貝」が得体の知れないものであるにもかかわらず、いろいろと知恵を出し、中納言のためにそれを取ろうと一生懸命になるのである。

 大納言は家来たちに恐れられているがもてあまされ、中納言は慕われているが少々頼りなく思われている。

 これが最初に述べた他の三つの断章の主人公の性格づけにあたると見てよい。ただ、他の三つの断章のように一言では言わず、いわば暗示するような形にしたのは、両者の全く逆の性格づけが、二つの断章の同じ構成の中で対照的に表現されていくべきものであると作者に判断されたためだろう。


 両話は「三、第三者の登場」を期に、一気に「八、結末」まで至る。

 第三者とは、大納言においては「船人」、中納言においては「倉津麻呂」という翁であるが、この二人は、それぞれの主人公が「四、自ら行動を起こす」きっかけとなるのである。

 とはいえ、この二人がそれぞれの主人公に対してそれをそそのかしたわけではない。主人公が二人の話を勝手に誤解してしまうのである。

 全く逆の性格の両者には、やはり逆さまな欠点が生じる。

 大納言の場合は、その強引な性格が行き過ぎて独善的になり、人の話を曲解してしまうという欠点。それに対し中納言の場合は、人の話をよく聞き過ぎて、それを鵜呑みにしてしまうという欠点である。

 実は、この真逆の欠点が、両者に「思い込みの激しさ」という同じ性質をもたらし、第三者の言葉を誤解させてしまうわけである。

 大納言は、船人が「竜の玉を取りに行った船など存在しない」という意味で言った「さるわざする船もなし」という言葉を「まだそんな船は帰ってきていない」という意味と思い込み、家来たちがいまだに海に出たまま竜探しに手こずっていると思い込み、「なにをぐずぐずしているのか」と腹を立て、「自分の弓の力を持ってすればすぐさま竜を射殺せるものを」と自ら海に出ることになる。

 中納言の場合は、一言で説明するのは難しいのだが、倉津麻呂という翁の「尾を上げて七度回ったとき卵を産むので、そのとき子安貝を取りなされ」などという言葉から、倉津麻呂が子安貝を取った経験があるとさえ勘違いしてしまうのである。倉津麻呂の提案で、燕を脅かさないよう人一人が籠に乗ってそれを吊り上げて燕の巣を探らせるという手法をとったのだが、「巣を探っても子安貝がない」という報告を聞いて、「取り方が悪いのだ」と憤慨し、経験はあるにしても高齢の翁を上らせるわけにいかないから自分が上るしかないと決意するのである。

 そうやって両者が自ら行動を起こした結果は惨憺たるものであった。

 大納言の乗った船は嵐にあい、竜の玉を取ろうとしたので竜の怒りをかったのだという船頭の言葉を信じて、最初の威勢はどこへやら、龍神に許しを請う言葉を唱え続ける。やがて、船は岸に漂着して助かったが、「もし幸いに助かっても南海に吹き寄せられ、そこの意地の悪い国王に仕えて、つまらない死に方をするだろう」という嵐の中での船人の言葉を鵜呑みにして、臆病にも船底に隠れ籠もってしまう。助け出されたときは、ふうという病にかかり、目が李の《すもも》ように腫れ上がってしまっていた。

 一方、中納言は、自ら籠に乗り吊り上げられて燕の巣を探ると子安貝らしい手応えがあってそれをしっかり握ったが、綱が切れて背中から落ちて腰を折ってしまう。しかも手に握っていたものを見ると、それは燕の糞であった。

 全く逆の性格の二人の主人公を同じ構成の上に立たせるという手法をとるこの二つの断章の、まるで鏡写しのような緻密に計算された構造には驚嘆を禁じ得ないし、その作者の発想力にも敬服するばかりである。


 ところで、大納言の顛末について、あまり気づかれていないのではないかと思われることがある。

 大納言から「竜の頚の玉を取ってくるまで戻ってくるな」と家を追い出され、それぞれ勝手な所に身を潜めていた家来たちであったが、大納言が竜の玉を取ることがいかに無謀かを身をもって知ったからは、もはや自分たちに咎めはあるまいと大納言の家に戻ってくる。かくして確かに家来たちは大納言から咎めを受けなかった。そればかりか、大納言は家に残っていた金品を家来たちに分け与えているのである。

 なぜ大納言は家来たちに褒美を与えたのだろう。家来たちの行動は同情できるにしても明らかな命令違反である。咎めないにしても、褒美までとらせたはずはないだろう。

 ここでは原文を掲げての詳しい説明や証明を省くが、次のような事情であったと私は解釈する。

 家来たちは自分たちが身を潜めていたことを大納言が当然知っていて、それを許してもらえるだろうと戻ってきたが、実は大納言は、家来たちが今しがた海から戻ってきたものと未だに信じ込んでいたのである。家来たちの思惑と、大納言の反応の食い違い、さらにそれに両者がお互いに気づけないという状況に笑いどころがあるのである。

 世に出回る解説書の中には、これを大納言の優しい側面などと書くものがあるが、物語の面白みをひとつドブに捨てたようなものである。

 最後まで家来たちの裏切りに気づけない大納言の哀れなまでの独善を作者は最後まで笑うと同時に、家来たちを無罪にすることによって、顛末を完全な主人公の自業自得に仕立てているのである。


 さて、大納言と中納言の話が鏡写しの構造を持っていることをふまえると、先の大納言の結末と同じような事態が中納言の結末にもあるはずだという見込みがつくだろう。

 中納言の結末において、倉津麻呂はどうなったであろう。中納言は倉津麻呂の言葉を信じ、彼の言う方法に従って子安貝を取ろうとしたが、結果は燕の糞を掴まされたのである。当然大嘘つきとして倉津麻呂を罰したはずではなかろうか。

 ところが、倉津麻呂の処遇についてはまったく書かれていない。罰を受けたが書かれていないだけなのだろうか。いや、大納言の話をふまえ、中納言も倉津麻呂を最後まで信じていたと考えれば、倉津麻呂は嘘つきの汚名を着せられることはなかったはずなのだ。

 しかし、中納言が子安貝だと思って掴んだものは燕の糞であったのは事実である。いくらなんでも倉津麻呂への疑いを持たないはずはない。あくまで倉津麻呂を信じ続けたとすれば、中納言は自ら掴んだ物が確かに子安貝だったと信じていたことになろう。

 その日、燕の子安貝を取ろうとしたのは夜であった。わずかな火をともしていたが、燕を驚かせないように明かりを持って天上には上がれなかっただろう。中納言は、ほとんど暗闇の中で燕の巣を探ったと考えられる。

 中納言は手応えを感じて巣の中のそれを握りしめる。

*****

手を捧げて探り給ふに、手に平める物さはる時に、「われ物握りたり、今は下ろしてよ。翁、しえたり」とのたまひて……

*****

 ここで、中納言は下の倉津麻呂に向かって「翁、しえたり」と言っている。中納言がその握った「物」を燕の子安貝と確信していなければ、こういう言葉は出てこないだろうとも思われる。

 そう言った後、運悪く綱が切れて中納言は落下してしまう。意識が遠のきそうになりながら、持ってこさせた明かりの中で握っていた手を開くと、それは燕の糞であった。

*****

それを見給ひて、「あなかひなのわざや」とのたまひけるよりぞ、思うに違うことをば、「かひなし」と言ひける。

*****

 「あなかひなのわざや」は通常「あな、貝なのわざや」とされ、「貝が無いありさまであることよ」などと解釈されている。しかし、その意なら「あな貝なきわざや」とするのが自然なので、この解釈は苦しい。

 ちなみに、「あな甲斐 のわざや」の解釈は成り立たない。物語の中では、このことがあってから「甲斐無し」と言うようになったという語源説を言っているかだ。

 それで、私は「あな、貝、のわざや」という解釈も成り立つのではないかと思っている。

 「貝よ、おまえの仕業であろう」というのだが、これはどういう意味であろうか。

 この中納言の段の最初、燕の子安貝と聞いて、家来たちが色々な情報を集める中で、「人だに見れば失せぬ」というものがあった。中納言の頭にこの情報がよみがえったのであろう。子安貝が人に見られてはならぬと瞬時に燕の糞に身を変えたのだと思ったと考えられる。


 大納言が最後までその独善によって家来たちの裏切りに気づけなかったと同じように、中納言も人の意見を鵜呑みにしてしまうという性格が行き過ぎて、人を疑うということを知らなかったのである。

 中納言が、自分の握った燕の糞が本当は燕の子安貝であったと最後まで信じていたことは、かぐや姫の見舞いの歌「年を経て波立ち寄らぬ住の江の待つかひ(甲斐・貝)なしと聞くはまことか」への返しの歌によっても知られる。

*****

かひはかくありけるものをわび果てて死ぬる命をすくひやはせぬ

*****

 これは従来、貝は無かったが、かぐや姫から歌の見舞いをもらえて嬉しいというような雰囲気で解釈されてきたが、どう見ても「貝がなかった」とはこの歌は一言も言ってはいないのだ。「かひはかくりけるものを」と、はっきり「貝がこのようにある」と言っているのである。

 「貝は確かにあったのだが、このようにひからびてしまって、弱り切って死んでいくこの身を何ら救いはしないのだ」と素直に解釈すべきだろう。

 ちなみに、この歌の「かひ」は「かひ」と「かひ」が掛けられている。かぐや姫からの歌を匙にたとえ、その匙をもってしても自分の命を救えない(掬えない)とも歌っている。

 また、

*****

それよりなむ、少し嬉しき事をば、かひありとはいひける。

*****

と、この中納言の段は結んでおり、「甲斐あり」の語源説を言っているので、「かぐや姫の歌をもらえて甲斐があった」という解釈は成り立たない。


 その歌の通り、その歌を詠んですぐに中納言は息絶えてしまう。

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