はじめまして。
森下巻々(もりした・かんかん)と申します。
大変な労作と見受けられ、古典を読めず無知な僕にも興味深い文書です。
ただ、僕が思ったのは、内容の一貫性が高くプロットがある、とのことになりますと、むしろ物語のほうに近づくのではないでしょうか? プロットを見えにくくさせていても成立するのが小説だと思うのです。
また、源氏物語は小説と呼ばれることがあるけれど、竹取物語は物語とされる、というのは語り手に注目してのことではないでしょうか? 竹取物語の語り手がフラットな感じなのに対して、源氏物語には、より人間的な語り手が立ち上がってくると感じられているからではないかと推測するのですが……。
繰り返しますが、大変な労作だと思います。投稿くださり有難うございます。
作者からの返信
森下巻々さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
物語と小説の違いについてのご意見だと思います。ただ、これをつきつめて論じるつもりはありません。語り部が語るから物語と規定されれば、『竹取物語』は確かに物語だと思います。
一貫性というのは、物語にせよ小説にせよ必要なものです。私が『竹取物語』を小説だと言うのは、この物語がこれまで一貫性をもって読まれてこなかったという点において、ここが辻褄が合わないのは「物語」だからしかたないというあきらめで読まれていたということの批判なのです。この「しかたない」を専門家の間では「物語力」というのだそうです。
興味深く拝読しました。
竹取物語はファンタジーの古典として、一般的な昔話として親しまれながらも内容は色んな解釈がされていますね。
こちらのように文献として出来る限りリアルな研究解釈を試みる筆者にただ賞賛の意を評したいと思います。
拙作に
「SF小説 しん 浦島太郎」
という試みがあり、こちらは徹底的にコメディに変換したものですが、古典物語の解釈という意味では同じ考えでの作品であります。
もしも興味持って頂けたなら覗いて見てください。
この先も拝読します。
作者からの返信
お読み頂き、ありがとうございます。
今は、時間が無いのですが、浦島太郎のSF小説を、そのうち必ず読ませて頂こうと思います。