『竹取物語』新論 

@dunauzi

『竹取物語』こそ日本最古の小説である

 『源氏物語』が日本最古の小説と言われ、それより前に書かれた『竹取物語』は最古の物語ぐらいの位置に置かれている。そればかりか、一般にはお伽噺とぎばなしぐらいにしか認知されていないのが現実ではないだろうか。それは内容の一貫性にこれまで気づかなかったからであり、本来は緻密に構成された日本最古の小説と呼んでしかるべきものなのである。

 それで以下に『竹取物語』の小説としてのプロットを示そうと思う。すべて『竹取物語』から実証的に読み取ることができ、私の創作は含まれていないと自認する。


 月の都の人々は皆、顔立ちも体つきも美しく、老いることはなく、不死の薬により死ぬこともない。全ての人が羽衣をまとい、この力により、およそ地上の人の持つ愛着や愛欲、愛憎というものが消されている。一切の苦痛というものもない。

 ある日、月の王と王妃の間に姫が生まれた。名を「かぐや」という。この世界では苦痛を伴う出産というものもない。かぐや姫は九センチという小ささで王妃の体の中から生まれ出た。赤ん坊ではなく、すでに子供の姿であり、知性も知識もある。そして、体はまばゆいばかりの光りに包まれている。

 月の都に生まれることができるのは、地上で輪廻転生を繰り返しながら並ならぬ徳を積み重ねた者だけだ。まして王女として生まれたかぐや姫は、地上でどれだけの徳を積んだかわからない。「かぐや」は直前の地上での名前だろう。

 生まれたばかりのかぐや姫は、自分の肩に羽衣が掛けられようとするのを制止し、父すなわち月の王に、前世で交わした約束があるから地上に降りたいと願い出る。そんなことはできるはずはないと王は拒否するが、かぐや姫のあまりの懇願ぶりに、ちょっとの間だけという約束で、しぶしぶそれを許すことにした。かぐや姫は雲に乗って一人地上に降りたのだった。


 かぐや姫がどうして地上に降りることを懇願したのか、あるいは降りなければならなかったのかについて、仏教的な輪廻思想を知らないと理解しにくいだろう。人は死んでは生まれ変わる輪廻を繰り返す。人生は老病死という苦であり、そもそも生まれなければ苦は生じないと考える。輪廻を繰り返す中で徳を積み、二度と生まれ変わることがない涅槃に行き着くことが、仏教の目指すところなのだ。月の都は、このいわゆる涅槃になぞらえられているのである。かぐや姫が地上で死の間際、次の世でまた会おうとある人と約束したとしたら、死ぬことのない月の世界に生まれたからは、それはもう叶うことはない。かぐや姫がその約束を果たすには地上に降りるしかなかったということが理解されよう。


 月の王は、地上の都で一番徳を積んだ者を選び、その者のところにかぐや姫を下ろすことにした。それが竹取の翁と通称される貴族だった。徳を積んだと認められただけあって、この翁は欲も得もない正直で優しい心の持ち主だった。今は零落した下級貴族であるが、都の山の手に大きな屋敷を構えていた。

 翁は家の裏の山で竹を育て、その竹を色々な物に利用していた。ある日、その竹藪に一本の光る竹があった。そこから九センチほどの子を見つけた翁は、家に持ち帰って嫗と一緒に育てることにした。ところが、この子はなんと三ヶ月で地上の人と姿が同じ十二歳ほどまで成長してしまったのだ。髪上げ・裳着という女子成人の儀式をあわてて執り行った。

 また、この子を拾ってから奇妙なことがあった。竹を切った節から黄金がたびたび出たのだ。翁は私欲ではなく、かぐや姫の将来の幸福だけを願って、文武に長け、人格のしっかりした者をその都度雇っていった。そうやって家人が増えて、翁の家は繁栄していった。


 その三年後、翁は三室戸斎部秋田という者を翁のおさめる讃岐より呼び寄せ、娘に名をつけさせた。秋田は「なよたけのかぐやひめ」とつけた。偶然同じ名前を秋田が思いついたわけではなく、かぐや姫から秋田に「かぐや」とつけるよう密かな念を送ったからに違いない。名づけの祝いを執り行い、この日から三日三晩、翁と嫗そして家に仕える男女が音曲の合奏を厳かに楽しんだ。

 かぐや姫の美貌の噂が広がり、都中の男たちが翁の屋敷の周りにたむろした。身分の低い者は一目見てやろうと、身分の高い者は妻にしようと毎日家の外に通ってきた。しかし、見ることさえ叶わぬと知ると、次第に数を減らし、最終的には五人の貴公子が通ってくるだけになった。そして、雨が降ろうが雪が降ろうが、五人は三年も通い続けたのだった。

 翁はかぐや姫を仏の化身とあがめながら、実の子のように思って育てていた。しかし年頃であれば、しかるべき者に嫁がせるのがかぐや姫の幸せと、この五人のうちの一人と結婚したらどうかとかぐや姫に申し入れたのだった。

 このとき翁は自分を「齢七十にあまりぬ」と言っている。しかし実は翁は六年前かぐや姫を拾ってから一年に一歳づつ(実質二歳)若返っている。このとき七十二歳とすれば、かぐや姫を拾った時点、翁は六十六歳であった。それから六歳若返っているので、このとき翁は六十歳であるが、本人は若返っていることなど知らないから、あくまで「七十にあまりぬ」と事実を言っているのである。

 後々、翁若返り説を取り上げるが、参考として私の考える翁の若返り説を図示する。

  A  B       C  D

  12歳 異常成長(起点)  66歳 66歳

  15歳 名づけの祝いまで  69歳 63歳

  18歳 五人への難題提示  72歳 60歳

  21歳 帝との文通始まり  75歳 57歳

  24歳 姫の昇天      78歳 54歳

 Aはかぐや姫の見かけ年齢、Bは三年単位の区切りのきっかけ、Cは翁の実年齢、Dは翁の若返り年齢である。


 竹から出た黄金といい、翁の若返りといい、これらがいったい何だったかと言えば、実はすべてかぐや姫の仕業であったのだ。地上で天人としての霊力を使い、ましてや人の運命を変えるなど、もってのほかの罪であったのだろう。この罪をわざと犯すことによって、かぐや姫は月の都に自らを帰れなくさせたのである。

 罪を犯すということは身が穢れることである。月の世界はいわゆる浄土であり、穢れたままでは帰ることはできない。かぐや姫はこれを知っていて、翁に黄金と若返りを与え、わざとその身を穢し続けたのである。

 何のためかといえば、ちょっとの間と許された地上滞在を延ばすために他ならなかった。月の都に生まれたとき、かぐや姫は前世で地上でかわした約束とその相手をおぼえていたが、地上に降りてみると、その相手はすでに死んでおり、どこかの誰かに生まれ変わってしまっていた。月の世界の時間は地上よりおそろしく遅く進む。おそらくは、かぐや姫が母の胎内に宿っていた十月十日という期間、地上では百年以上が経ってしまっていたのだろう。

 ちなみに、この月の時間については、かぐや姫の地上滞在について、月の王が「ちょっとの間がしばらくになってしまった」と述べていることから知られる。月の時間ではかぐや姫が滞在した地上の十二年(この十二年の算定については次の段落でふれる)の歳月でさえ「しばらく」なのだ。それで、すっかり成長してしまったかぐや姫のことを「身を変えたようだ」とも感想をもらしている。


 月の王に許されたちょっとの間では、その相手は見つけられないことがわかって、かぐや姫は地上滞在を自ら延ばす決意をした。「かぐや姫」という名を聞けば、生まれ変わったその約束の相手が気づいてくれるかもしれない(秋田に「かぐや姫」と名づけるよう念を送ったとする根拠である)。あるいは、運命が二人を出会わせてくれるかもしれない。そうした淡い期待をかぐや姫は抱いていたに違いない。

 天人は色々な霊力を持つが、無から有は作り出せない。たとえば、かぐや姫が月から降りるとき乗ってきた雲だが、ちょっとの間の地上滞在であれば、九センチの体のままそれに乗って月に帰れたはずだったのだが、人の大きさまで成長してしまったため、その雲には乗れなくなってしまった。それで、月から迎えが来るという結末につながるのである。

 さて、無から有は作れないのであれば、ではどうやってかぐや姫は黄金と若返りを翁に与えることができたのだろう。それは三ヶ月で十二歳まで一気に成長したことと関係がある。つまり、十二歳という自らの年齢と、黄金および翁の若返りとを交換したのである。

 月の都の人は老いない。つまりかぐや姫も老いることはできない。老いとは体の成長が止まるときから始まると考えていいだろう。地上滞在はせいぜい二十四歳までが限界であることをかぐや姫は知っていただろう。十二歳まで急成長したかぐや姫のそれからの地上滞在期間は十二年ということになる。

 地上滞在をできる限り延ばしたければ、十二歳まで急成長しなくてもよかったかもしれない。しかし、生まれ変わってしまった約束の相手に見つけてもらうためにも、かぐや姫は早く人と同じ形になりたかったと考えられもするだろう。

 かぐや姫は約束の相手に出会う運命の糸を、この十二年の延滞に期待したが、はたして、この運命の出会いが成就したかどうかについて、物語は沈黙している。しかし、五人の貴公子がかぐや姫の所望する物を得ようとして惨敗した話を耳にしたかどがかぐや姫に興味を持ち、やがてふみのやりとりを通して心通わせるようになったことを、運命の導きと捉えるとしてもそれほど難はないだろう。


 さて、五人のそれぞれの失敗談、御門との話を飛ばして、一気に結末に移行しよう。これらの話は、先に述べたように、御門に出会うまでの運命を暗示するが、本筋にはあまり影響しない。しかし、これらは物語全体の三分の二を占め、作者が存分に膨らませることができた遊びの部分なのである。

 かぐや姫は毎月の満月の前後、月の王とテレパシーで話をしていただろう。(このテレパシー通信については別文を用意している)約束を破ったかぐや姫のことをさぞかし怒っているかと思えばそうではなく、怒っているのは翁に対してだった。かぐや姫が自分の意志で黄金や若返りを翁に与えたといくら説明しても、月の王はそれを、翁がかぐや姫に強要したものとあくまで決めつけ、疑わなかったからだ。このあたり、さすがに冷静な天人も、親心を持った人の子ということだろうか。また、浄土である月の都から見れば、地上はけがれた場所であり、人はみな私欲にまみれているものとの先入観が月の王にあったのだろう。八月十五日に月から迎えが来るというとき、せめて年内まで地上に残りたいとの涙ながらのかぐや姫の懇願も、月の王からすると翁に言わされているのだと、あくまではねのけられただろう。

 月から迎えが来ると知らされ、かぐや姫を六十六歳で拾った日から十二年、五十四歳まで若返っていた翁は、頭は真っ白に、腰もかがまり、一気に老けてしまう。おそらくはかぐや姫の霊力がとけ、若返らなかった場合の実年齢七十八歳に戻ってしまったのだろう(前出の翁若返り説の図を参照)。

 徳を積んだ者と見込んで翁にかぐや姫をあずけたのに裏切られたと月の王は思い込んでいたので、翁の「二十年あまり養った子だ」という必死の嘘も、「ほかにかぐや姫という者がおられるのではないか」という苦し紛れの言葉も耳に入らない。その霊力によって家中の戸という戸を開け放ってしまう。

 それまで泣いていたかぐや姫は、表に出て羽衣を着せられた瞬間、何事もなかったような無表情な顔になり、「自分も連れて行ってくれ」と別れを悲嘆する翁への後ろ髪を引かれるそれまでの気持ちも、ふっと失せてしまう。飛ぶ車に乗る月の王の隣りに座して、百人ほどの天人を従えて月に帰ってしまった。

 翁はかぐや姫をかくまった部屋の前で、敵愾心を持つ者から力を奪う霊力に縛られてうずくまっており、嫗はかぐや姫が出て行ったその部屋の中で泣いている。二人はかぐや姫が天に昇るのを見送ることもできなかった。

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