かぐや姫のテレパシーによる月との交信について

 まず話を始める前に、「テレパシー交信」について、ここでは「思念による一対一の遠隔交信(会話)」と規定します。

 『竹取物語』の書かれた当時、テレパシー交信に似た概念について、仏教における「六神通」のひとつ「てんつう」を上げることができますが、これは「世界すべての声や音を聞き取り、聞き分けることができる力(ウィキペディアより)」とあり、一対一の遠隔交信とここで規定するテレパシー交信とは別物と言わざるをえません。

 しかし、『竹取物語』の中で、かぐや姫が地上から月(相手は月の王と思われる)との「思念による一対一の遠隔交信」をまさに行ったことが確かに記されているのです。こうした発想が『竹取物語』の作者にすでにあったことは驚くべきことではないでしょうか。

 この概念が当時あるいはそれ以前の書物において存在するかどうかについての研究もするべきところでしょうが、私自身の年齢を鑑み、他力本願とすることをお許し願いたいと思います。


 このかぐや姫の月とのテレパシー交信についてこれから書きたいのですが、その前に、かぐや姫がこうした霊力を使えたのかどうかですが、非常に基本的なことですが、かぐや姫は月の世界から地上に下りた天人であり、天人が霊力を使えるなら、天人であるかぐや姫も当然霊力を使えたはずだと言えます。

 『竹取物語』の中で、月の世界の人(天人)は次のような霊力を使っています。

①飛行移動できる

 かぐや姫を迎えに来たとき、月の王は飛ぶ車に乗り、それに付き従った天人は雲に乗ってきました。

②敵愾心を持った相手を萎えさせる

 地上では月からの使者を迎え撃つため、二千人以上の強者が弓を構えていましたが、けっきょく体も心も萎えてしまい、一矢もむくいることができませんでした。

③念動力

 月の王が飛ぶ車を屋根の上に寄せ、「さあ、かぐや姫、こんなきたない所にどうしていつまでもいられるだろう」と言うと、家中の戸という戸、格子という格子がひとりでに開いてしまいます。

 と、こうした霊力をかぐや姫も使えたものと考えられます。ただ、物語の中にはっきり書かれている限りでは、かぐや姫はただ一度霊力を使っただけです。

 それは物語の終盤、狩りの行幸みゆきを装い翁の家に寄ったかどが、かぐや姫の部屋に押し入って無理矢理連れ去ろうとしたとき、かぐや姫は一瞬にして姿を変えたことです。これも天人の霊力の四つ目に数えてよいでしょう。そして今回のテレパシー交信が五つ目に加えられるはずです。


 さて、では、かぐや姫がテレパシー交信を行った場面を見ていきましょう。

 と、ここでまた前置きになってしまうのですが、物語にはテレパシー交信を行ったという直接的な記述はありません。さっと読み下せば、容易には気がつけないでしょう。その証拠に、このテレパシーについて触れるものはインターネット上でも今のところみつかっていません。それゆえ私説ということになるのかもしれません。

 この物語の作者が天才と言えるひとつは、後から「ああそういうことか」と思わせる仕掛けをいくつか仕組んでいることです。こういう技法は今でこそ普通ですが、当時から考えられていたのは驚きです。きっと、人をびっくりさせたり喜ばせることが大好きな人だったに違いありません。

 これからそのテレパシー交信の箇所について説明しますが、私の力不足で説得力に欠けるかもしれません。また、説得力があったとしてもぴんとはこないかもしれません。物語を是非読んでいただき、その味わいの中で、「うん、たしかにそうなのかな」と感じ取っていただければなあと思う次第です。


 かどとかぐや姫がお互い歌を詠んだふみを交換する仲となり三年ほど経ったある日、かぐや姫に異変が生じます。

*****

三年ばかりありて、春の初めより、かぐや姫、月の面白うでたるを見て、常よりも物思ひたるさまなり。ある人の「月の顔見るはむ事」と制しけれども、ともすればひとにも月を見ては、いみじく泣きたまふ。

*****

 「ある人」とはかぐや姫の侍女と考えてよいです。その侍女が、まずその異変に気づきます。綺麗な月にもかかわらず、かぐや姫はそれを見て沈鬱になり、ともすれば人目も気にせず泣いたといいます。

 ここで「春の初め」とはいつかと言えば、旧暦では一月から三月が春とされていたようなので、一月ということになります。

*****

七月十五日の月にでゐてせちに物思へるけしきなり。近く使はるる人々、竹取の翁に告げていはく「かぐや姫、れいも月をあはれがりたまへども、この頃となりては、ただ事にもはべらざめり。いみじくおぼし嘆く事あるべし。よくよく見奉たてまつらせ給へ」

*****

 さて、このように続くのですが、前の引用部が一月の出来事ですから、ここまで半年経っていることになります。そして、ここで気をつけたいことは、「例も月をあはれがり給へども」と侍女が言っていることです。つまり、かぐや姫がこの半年、満月の出る十五日ごとに、同じように嘆いていたことを意味しているのです。

 そして、「この頃となりては、ただ事にも侍らざめり」と血相変えて翁に進言しているところを見ると、その嘆きぶりがいよいよ尋常でなくなったことがわかります。

 それを聞いた翁はかぐや姫の部屋まで行き、どうしてそんなに嘆くのかと問い詰めますが、「どうして月を見ないでおられましょう」と答えるだけです。そして次のように地の文が続きます。

*****

なほ月出づればでゐつつ嘆き思へり。夕闇には物思はぬけしきなり。月の程になりぬれば、なほ時々は打ち嘆き、泣きなどす。

*****

 さて、ここですが、何か説明的な感じがしないでしょうか。つまり、月が出ていなければ、別に普通だと言い、しかしひとたび月が出ると打って変わって悩ましく嘆き、ときどき泣いたりすると言うのです。これは明らかに何かを暗示する意図が感じられます。注意深い読者なら、「え、なんで月が出たときだけ?」という疑問を抱くに違いありません。

 これが作者の仕掛けであり、この疑問に対する答えは、ずっと後にさりげなく明かされるのですが、それを書く前に、そこに至るまでの筋をざっと書いておきましょう。


*****

八月十五日ばかりの月にでゐて、かぐや姫、いといたく泣きたまふ。人目も今はつつみ給はず泣き給ふ。これを見て、親どもも「何事ぞ」と問ひ騒ぐ。かぐや姫、泣く泣く言ふ。「…中略…おのが身はこの国の人にもあらず。月の都の人なり。それをなむ、昔のちぎりありけるによりなむ、この世界には、まうできたりける。今は帰るべきになりければ、この月の十五日に、かのもとの国より迎へに人々まうでむず。さらずまかりぬべければ、おぼし嘆かむが悲しき事を、この春より思ひ嘆きはべるなり」と言ひて……

*****

 「八月十五日ばかりの月」とは妙な言い方ですが、八月十五日の満月に近い月ということでしょう。言うまでもなく、旧暦の八月十五日は中秋の名月です。そして、まさにこの八月十五日に月からの迎えが来ることになっていたのです。「八月十五日ばかりの月」は、この時点で、せいぜいその三~四日前のことであることを意味しています。

 月に帰らなければならないぎりぎりのところで、とうとうかぐや姫は自分の素性を翁たちに明かしたわけです。

 このことを聞いた御門は事情を聞くために翁の家に使いを出しますが、その使いが見たものは、心労のために見違えるように老いさらばえてしまった翁でした。

 翁は、御門に兵を出してくれるよう使いに懇願します。御門はそれに応じ、二千人の弓の使い手を翁の家にさしむけたのでした。

 かくして月からの迎えが来る宵が迫る中、迎え撃つに年甲斐もなくはやる翁をいさめつつ、かぐや姫が言った次の言葉ですが、ここにこそ例の答えがやっと明かされるのです。


*****

親たちのかへりみをいささかだにつかうまつらで、まからぬ道もやすくもあるまじきに、日頃も出でゐて、今年ばかりのいとまを申しつれど、更に許されぬによりてなむ、かく思ひ嘆きはべる。

*****

「日頃も出でゐて、今年ばかりの暇を申しつれど」は何を意味しているでしょうか。そう、「日頃も出でゐて」は、半年間、その月の満月の夜ごとに外に出ていたことであり、月にむかって「今年ばかりの暇」すなわち、せめて年末まで地上滞在を延ばしてくれるよう頼んでいたというわけです。

 これをテレパシー交信と呼ばずして何と呼ぶでしょうか。ちなみにこの交信は満月に近い状態でなければできなかったと初期の引用から想像できるでしょう。

 では、その交信の相手は誰だったのでしょうか。実は、その相手は月の都の王と考えられるのです。しかも、かぐや姫はこの王の娘、すなわち王女なのです。これについては、この数倍の別文を要するので、残念ながら、この話はここで閉じようと思います。

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