第34話 ヘタな男


「あ〜、桃太郎さんと会えたんですねー。良かったですぅ」


 嫌な汗でビシャビシャの俺が知った声に振り向くと、なんと、ブチ犬が立っていた。


 紫のシルクのシャツにスラックス姿で第二ボタンまで開けている。


 唖然呆然とする俺の肩に手をかけ、妙なシナを作りながら隣に腰をかけた。


「ど、どうして……」


 俺は桃太郎に後頭部を見せてブチ犬の顔を見る。


 ブチ犬は薄ら笑いを浮かべたまま、短髪のバーテンダーにビールを注文した。


「正子さんにあんなに桃太郎さんのことを訊ねていたからー、気になってー。でも、ほら、言った通りのお店にいたでしょー?」


 なんだ、その気持ち悪い喋り方は。


 ブチ犬は俺にウインクをして見せ、ビール片手に腕を組んできた。


 そして、おえっと吐きそうな俺の肩に枝垂しだれかかり耳打ちをした。


「話を合わせてください。あとは、先輩に任せます」


 そうか、聞いていたのか。


 お前は正男の店の従業員の設定で、俺と桃太郎の繋ぎ役を演じてくれている。


 でかした、助かったぞ。でも、それ以上、近づくな。

 

 桃太郎は、この突然現れた男を俺にしたように視線をわして値踏みしていた。


 よし、桃太郎が俺に興味があるうちに、この状況を利用させてもらおう。


 ブチ犬がどこから聞いていたかはわからんが長い付き合いだ。ノリで乗り切ってくれ。


 俺はブチ犬の頭を遠慮がちにでた。


「ああ、お前のおかげだ。あれだけの情報で、よく当ててくれた。靴と車、サンキューな」

「もう会えたんだから帰りません? お店、開けてもいいしー」


 一旦、引けという合図だな。


 しかし、一目惚れして探しにきたと言っている男がここで引くのは不自然な流れだ。


 顔を知られてしまった以上、このまま心理戦を繰り広げつつ情報を得るのが得策だろう。


「ああ……しかし」


 俺は桃太郎をかえりみた。


 ただ見ただけじゃないぞ。目を細めて未練たっぷりに下唇を突き出してだ。


 俺はお前といたいんだぞ? でも、いやらしく第二ボタンまで開けている男に連れて行かれちゃうぞ? 


 ほら、引き留めたくなるだろ?


 桃太郎は表情を変えず、ぷいっと横を向いた。


 ああ、女王様がヘソを曲げてしまった。これ以上は無理か……?


(先輩、出ましょうよ!)


 腕を絡ませたままブチ犬が視線と口パクで訴えてくる。


(待てって)


 俺も口パクで返事をして、桃太郎の気をひく、ほかの方法を考える。


 いやはや、こんなにノープランだとは我ながら呆れてしまう。だいたい、対象と鉢合わせする状況を想定していなかったバカな自分をむちで打ちたいくらいだ。


 ん? 鞭? そうか、上手くいく保証はないがやるだけの価値はあるな。


 俺は田舎臭さの残るバーテンダーに声をかけた。


「すまん、今日はボックスにはいけない。他をあたってくれ。また、誘ってくれよ」

「え? あ、は、はい……?」


 都会ズレしていない若者は素直でよろしい。


 次に焦げる寸前の照り焼きチキンに声をかける。


「あの話は秘密にしておく」

「は?」


“すぐる”の悪口のことだよ!


 カウンターに肘をついてぷいと顔を背けたままの桃太郎を顎で指すと、照り焼きは理解したらしく「あ、お願いします」と軽く会釈をした。


 そして短髪が「なに、なに? 秘密ってなに?」と、狙い通り食いついてくる。


「なんでもない」


 照り焼きが言い返す。そりゃあ、本人の前で、かかわらない方がいいやつだとは口が裂けても言えないよな。


「なんで隠すんだよー。だいたい“あきら”さんに振られたって本当なの? あ、もしかして失恋の痛みをこのお客さんで慰めてもらったとかー⁈」

「あの“あけみ”さん、僕はあなた以外とはけっして……」

「ちょっと! このお客さん、誘ったんでしょ⁈ なに、二股かけてんのさ!」

「二股なんてかけてないです!」

「お前、“すぐる”だけでなく……」

「あなたもお客さんと秘密を持っているんですよね⁈ それってプロとして……」


 三人は再びやいのやいのと言い争いをはじめた。


 俺はそこに「いや、俺が悪かった」「俺のせいだ」と、微妙にズレてはいるが俺を挟んでケンカになっている状況を装う。


 洞察力の優れた桃太郎にどこまで通用するかわからないが、桃太郎が来店した時にも三人はケンカをしていたのだから騙されやすいだろう。


 帰ろうと腕を引く男と、カウンターの中の俺を取り合う男たち。


 四人にモテている俺様を女王気質のお前が気にならないわけがないよな?


 しかし、桃太郎はケンカを止めるどころか我関われかんせずとそっぽを向いたままだった。


 よし、むちは与えたから次はあめだ。


(先輩、引いた方がいいですって!)


 しつこく腕を引くブチ犬の肩をガシッと抱き、俺は自分に吐きそうになりながら猫なで声を出した。


「そんなにせかかすなよ。いい子にしていたらイタリアに連れて行ってやるから。ほら、なんていったか、あのブランドが好きなんだろ?」


(イ、イタリア? 先輩、なに言って……)


 鳩が豆鉄砲を食らった顔をして小首をかしげるブチ犬に、桃太郎のシャツについているブランドのロゴを目配せしてみせた。


 あれくらい俺だって知っている。LやVのアルファベットが組み合わさったマークだ。


「あ、ああー……」


 ブチ犬は察して俺に話を合わせる。


「フランスの約束でしょ? たくさん、お買い物してもいいって言ったわよねー」


 おっと、フランスのブランドだったか。


「そう、フランスだ。なんならフランスに家を買ってやってもいいぞ」

「家⁈ あ、いや、う、うれしーなー」


 この作戦が失敗したら、演技力なさ男のお前のせいだぞ、ブチ犬め。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る