第35話 つかむ男
ところが、
桃太郎はグラスを持ったまま人差し指で前髪を直しながら、俺に向き直った。
「ねえ、あなた、フランスに家が買えるの?」
「もちろんだ。俺は二重国籍なんだ。母方の曽祖母がフランス人で曽祖父の遺言で一家総出で二重国籍だ」
ブチ犬がなにかを詰まらせてゲホゲホとむせこんでいるが、俺は桃太郎の目を真っ直ぐに見て言い切った。
「俺と結婚すればフランス国籍を手に入れられるぞっ」
「フランスって同性婚できるんだっけ……?」
「ああ、できるぞっ」
たぶんな。知らんけど。
しかし、この東京砂漠でヤクザの命令で男に体を売られる人生から少しでも逃れたいと思っていれば食いついてくるだろう。
「あなた……なにをしている人?」
よし、その質問は想定していた。
「投資家だ。金に働かせて金を増やしている」
どうだ、金持ちっぽいだろう。しかし、靴も服も車も借り物だとバレている今は逆効果か?
「フランスに住んでいたことがあるの?」
おお、俺に興味深々になったな。でも、嘘を隠すためには真実を織り交ぜないとな。
高校の時に朝帰りを
「ない。なぜならばメシがまずいし、俺はブランド品には興味がない。それに俺よりもデカイ男は抱きたくないし抱かれたくもない」
どうだ俺っぽいだろう。
鼻の穴を大きくしていると、桃太郎は肩を揺らして笑った。
そして、俺の背後で笑いをかみ殺すブチ犬に声をかけた。
「ねえ、正子さんのところで働いているの? 正子さんと……寝たことある?」
「ええ⁈ い、いえ、まさか、だって、あの人、奥さんがいる……のよ⁈」
ゲイではないと目を見開くブチ犬に桃太郎は目を細めた。
「ふふ、知ってる」
試したんかい! 数回、客として会っただけで正男がゲイではないと見抜き、それでブチ犬が本当に正男と面識があるのか確認をとりやがった。なんて頭のいい野郎だ。
よし、
「なんだよ、俺の友人を試したのか? 頭と顔は良くても友達いねーだろ、お前」
薄暗い店内でも白い頬が紅潮したのがわかった。
ブチ犬がダメ押しをする。
「そんな人、放っておいて出ましょうよ。今度、フランス料理の美味しい店を教えてあげるから。なんなら明日、ビスクを作ってあげる」
「ビスク? なんだそれ」
「エビやカニのクリームスープよ」
うわ、まじで美味そうだな。
「今から作ってくれ」
「こんな時間に⁈ ざ、材料がありません……わよ」
演技ヘタ!
「い、いいから、とにかく、こんな店出ましょうよ」
「そうだな」
ブチ犬に腕を引かれて俺は立ち上がった。
カウンターの三人に「悪いな」と手をあげて挨拶を忘れない。
これで桃太郎のせいで二人の客が帰ってしまった空気になっただろ。
田舎臭いバーテンダーは誘っても誘われてもいないのに、いったいなんだったのだろうと目をしばたいているが、それが俺に未練がある顔に見える。
よし、いいぞ田舎者。
焼きすぎの照り焼きチキンは桃太郎の悪口を告げ口される危険がなくなったと胸を撫で下ろしているが、その仕草はなにかを隠していることを知らせてしまっている。
自分に好意を持っていたはずの相手に心変わりをされたと感じ、さぞやプライドが傷ついただろ。
いいぞ、照り焼き。
短髪は普通に「ありがとうございましたー」と、俺たちから五千円札を受け取った。しかし「今度はボックス席を試してみて下さいね」と一言添えたことで、店の売上げを逃したことをハッキリさせてしまった。
グッジョブ短髪。
我がもの顔で店に出入りしている女王様としては、これほど面白くないことは他にないだろう。
さあ、どうする桃太郎。どう出る桃太郎。
引きとめるチャンスは今しかないぞ?
「ねえ」
来た来た。でも足を止めてやらねえ。
俺は聞こえないフリをして、振り向こうとするブチ犬の背中を押した。
「国籍を変えるって簡単にできるの?」
『ちょっと待って』すら言えないとは、どんだけプライドが高いんじゃっ。
なんか可哀想なやつに思えてきたぞ。
俺はゆっくりと振り返り「簡単じゃないさ」と返事をした。
「まずは就労ビザをとって、しっかりした雇い主に身元引受人になってもらい弁護士を雇って市民権を得る必要がある」
たぶんな。
(先輩、それ本当ですか?)
ブチ犬は腕をひきながら耳打ちをする。
相手が本当だと信じれば良いだけのことで真実を語る必要はなーい!
(最低です)
俺の高速口パクをよむとは、腕を上げたなブチ犬よ。
「一番簡単な方法は結婚ってこと?」
桃太郎は出入り口に並んで立つ俺たちに、なんの配慮もなくグラスの氷を回しながらつぶやくように話し続ける。
「まあ、そういうことになるな」
ブチ犬は俺の腕をぐいぐいと引き続けた。
「ボクと……結婚したい?」
桃太郎はやっと視線をグラスから俺に向けた。
それをしたいのは自分だろうにプライドの高さが素直に気持ちを出すことを邪魔していることが手に取るようにわかった。
こいつは、いったいどういう人生を歩んできたのだろうか。
日が暮れてから始まる一日を幼い頃から強要されてきたのだろうか。
桃太郎はカウンターの上でスマートフォンを握りしめたままだった。
外で待つ男に、どう連絡しようかと迷っている。
そう感じた俺は、今晩だけでも
「俺と一緒に来い」
気がつけば、桃太郎の手を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます