第32話 イっちゃった男


 流し目でせまってくるバーテンダーから俺は逃げるように身を遠ざけた。


「お、俺はタイプじゃない。タイプは華奢きゃしゃなタイプがタイプだ」


 タイプ言いすぎた!


 しかし、さすがに仕事中だからかバーテンダーはあっさりと身を引いた。


「なーんだ、残念。じゃあ、あの子はどう? 先月からバイトに入った子だよ?」


 バーテンダーは、ニキビあとの残る少年のような一人を指差した。


 ペコリと頭を下げて向けてくる笑顔は田舎臭さが残っている。上京したてってとこか。


「いい子そうだが……」


 俺も仕事中だ。


「もっと色白で中性的なタイプは来ないのか?」


“桃太郎”のような男ってことだ。どうだ? 思いあたるか?


「んー、そうねー……お客さんで時々、そういうタイプはいるけど、どうかなー?」

尻が好きなんだ」


“桃”と聞いて、桃太郎を連想しないか? どうだ?


 似顔絵を出せないのはもどかしいが警戒されても面倒なので連想ゲームで頑張ってみよう。


「どこか冷めた目をした」

「んー」

「浮世離れした美少年」

「ああ……」

「プロでもいいぞ?」

「ああ、いるいる。でも、今日は来てないなー」

「そ、そいつは、いつ来るんだ⁈」


 そいつが“桃太郎”かもしれない! 教えてくれ!


「たぶん、もうすぐ来ますよ」


 カウンターの下から声がした。そして、焼きすぎた照り焼きチキンのような男が立ち上がった。


 バーテンダーの制服である、白いシャツごしにでも日焼けした肌とゴリゴリの筋肉が見てとれる。


 うわ、正男よりも胸筋厚そうだ。こんなのに襲われたらウンコがとまらなくなるぞ。


「でも、お客さん。そいつ、評判が悪いんですよ」


 気まぐれでわがままで、女王然じょおうぜんとした態度がいいというファンも多いが、金を払っても必ずヤレるとは限らない、まるで吉原の花魁のような振る舞いだと補足した。


 そして、ヤクザの情夫じょうふらしいとの噂があることも。


 俺は確信した。そいつが“桃太郎”だ。


 胸の高鳴りを隠してバーテンダーたちに平静を装う。


「それは会ってみたいな。そいつの名前は?」

「この間は“すぐる”と名乗っていた」

「僕は“あきら”と聞いたよ?」

「あの、“あけみさん”の事ですよね?」


 いくつ名前を持っとんねん! 桃太郎じゃないんかい!


「名前まで気まぐれに名乗っているのか」


 なんてやつだ。


 その時、田舎臭さの消えないニキビ顔バーテンダーが異議を唱えた。


「“あけみさん”は、評判ほど悪い方ではありません。僕の売上をいつも気にかけてくださっていてボックス席に誘ってくれるんです。いろいろ教えてくださるんです」


 その“いろいろ”は説明しないでくれ。オレンジジュースを噴出してしまう自信がある。


「今日は田舎……あんたがいるから、もうすぐ来ると?」


 ゴリゴリ筋肉バーテンダーは、そうだと頷いた。


「えー! 知らなかったー! “あきら”さんってば金持ちしか相手にしないと思ってたよー!」


 短髪は自分も売上ノルマに困っていると言ってみようかと腕を組んでみせた。


「やめておけ。“すぐる”は自分の感情ひとつで動く人間だ。かかわるとろくなことにならない」


 おお、ゴリゴリ、鋭いな。ま、俺の勘も鋭いがな。


「ふーん、あんたフラれたな?」

「な! なんでそれを⁈」


 かかわって、ろくなことにならなかったから言えることだ。


「ちょっとー! 客と付き合っちゃいけないって、あんたから教えられたんだけどー⁈」

「でも気持ちはわかります。“あけみさん”は本当はすごく優しい方だと思います。僕も……」

「やめておけ」

「自分が玉砕したからって!」


 客(俺)を放っておいてバーテンダーたちは、やいのやいのと言い争いを始めた。


 俺はそれを耳半分に聞きながらオレンジジュースを飲みつつ作戦を練る。


 金だけに引きつけられない花魁タイプの男娼を口説く方法は?


 姿を現したら身分を明かして任意同行を促してもいいのだが、だんまりを決めこまれるのがオチだな。


 サンタ会長と小鳥遊たかなし会の関係、三太さんた九郎くろうを恨んでいた人物、そして顧客名簿の行方。


 どんなことでもいいから情報を聞き出したい。そのためには“桃太郎”が俺に興味を持つように仕向けなくてはならない。


 まさか一軒目で見つかるとは想定すらしてなかったな。


 一旦、引いて外で張るか? やつのヤサさえ特定しておけば、あとでどうとでもなる。


 うん、ここが“桃太郎”のお気に入りのハッテン場だとわかった以上、長居は無用だ。


 ブチ犬と合流して計画を練り直そう。


 俺はブチ犬から借りたハイブランドの財布を取り出して、五千円札をカウンターに置いた。


「帰る」


 客(俺)を無視して、カウンターの内側でゴリゴリ照り焼きチキンと田舎小僧と短髪は、まだ言い争っている。


 お互いの欠点を言い合い、掴みかかりそうな勢いで本格的なケンカに発展しつつあった。


 お、ハッテン場は発展する場という意味だったのか!


 ブチ犬に教えてやろうと五千円札をコースターの下にはさみ、俺は立ち上がった。


「なあに? このお客さんでケンカしてんの?」


 突然の気だるい声に振り向くと、青みがかったグレイの前髪の隙間から覗く灰色の瞳が俺を写していた。


 真っ白いTシャツから伸びる腕は、透けるように青白く、どこまでも細かった。


 そして、見覚えのある顔だった。


「も、もも……!」


 ヤベ、名前言っちまった。



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