第31話 ヌく男


 平日の夜だが都内は相変わらず交通量が多った。


 しかし、なぜだか道を譲ってくれる車両ばかりで走りやすい。


 覆面パトカーじゃないのになんでだ?


 ふと、ルームミラーに映る自分の顔を見て、その理由に納得した。


 金ピカの装飾品をつけて白い歯を見せて前のめりにハンドルを握る俺は、かなりイっちゃってる奴だ。


 いかん、落ち着かなくては。


 俺は小慣れた金持ちで、一夜の相手を探している設定だった。


 深呼吸をしてスピードを落とし、外苑がいえん通りに入る。


 行き先は新宿区 市谷いちがや。古くから大名屋敷が並ぶ格式の高い住宅地だ。


 こんな場所にハッテン場なんてあることに驚きだが、江戸の昔は“影間かげま”が粋な遊びだったことを考えれば、その名残りなのだろう。


 それに、この辺りが最寄駅の有名大学も点在している。


 金持ちのおっさんと若者の出会い。その自然な流れができているってわけだ。


 俺は事前に調べておいた駅前駐車場に高級車を停めた。


 車を降りてブチ犬の姿を探して辺りを……いや、キョロキョロとしてはダメだ。


 俺は金とヒマを持てあまし遊び慣れている変態野郎だ。目的の店だって何度か来ている設定だから堂々と入店するぞ。


 俺は先の尖った靴に歩きにくさを感じながら脇にセカンドバッグを挟み、肩を揺らして、しかし、眼球だけは泳がせながら看板のない店の敷居をまたいだ。


 あれ? 


 店内はよくある上品なバーに見えた。妙に暗いがカウンター席とボックス席があり、バーテンダーが何名かシェイカーを振っている。


 正男から聞いていたシャワールームやロッカールームなどなく、エロの要素が皆無だ。


 俺は洒落た店内を見回して、誰もいないカウンター席に陣取った。


「いらっしゃいませ」


 落ち着いた物腰のバーテンダーが低い声でおしぼりとコースターを俺の前に置いた。


 なんだ、やはり普通の飲み屋だ。


「こちら、メニューになります」


 結論からいうと、差し出されたそのメニューは普通じゃなかった。


 ワンドリンク制で五千円。高い。しかし、都内のホテルのバーなどと比べれば、こんなものだろうと俺は視線を先に進める。


 飲み物の最後におかしな文言もんごんを見つけた。


 おしぼり 二千円。

 ボックス 三千円。


 はあ? いったい、なんのメニューだ?


 俺は遊び慣れた金持ちキャラも忘れてメニューをガン見した。


 しかし、わからないので、とりあえず笑顔を取り繕いオレンジジュースを注文する。


「車で来ているから、ハハ……」


 ブチ犬の高級車のキーを振って見せる。もちろん金ピカの腕時計をはめた腕でな。


 俺はバーテンダーの眉がピクリと動いたのを見逃さなかった。


「お仕事帰りですか?」


 急に砕けた物言いに変わったバーテンダーはストローのささったオレンジのグラスを俺に差し出した。


 その視線が素早く俺を値踏みしているのがわかる。


「ああ、近くまで来たから」

「それはお疲れ様です。今日も暑かったですよねー」


 俺は適当に相槌を打ち、ボックス席にチラリと視線を送った。客は数名しかいないようだ。


 それに気がついたバーテンダーは肩をすくめてみせた。


「平日だから人出が少なくてー。もうカップルができあがっちゃっていますねー」


 カ、カップル⁈


 薄暗い店内で目を細めてよく見ると、なるほど、ひとつのボックス席に二、三人がなにやらうごめいている。


 バーテンダーはカウンターに肘をついて身を乗り出してきた。


「席は空いていますよー? 僕とおしぼり……いります?」


 ハッ! そういうことか! やっと、この店のルールがわかったぞ。


 客同士、気が合えばおしぼりとボックス席代を払って、しけこむ。


 店は、しめて一万円で場を提供しているんだな。


 で、ヒマしてる客がいれば店員が相手をして売上に貢献する。


 よくできたシステムだ。


 だが……と、俺はメニューの下方を指でトントンと打ち鳴らした。


「本番禁止って書いてあるぞ」

「ええ、ここは高級志向なんで、ここではヌくだけで……」


 ようはお持ち帰りしろってことか。ん? ヌく?


「舐めるのと舐められるの……どちらがスキですか? お客さん、僕のタイプだからアウターしてもいいですよ?」


 ドッヒャー!


 貞操の危機ー⁈



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