第30話 キュルキュルさせる男


 白のポロシャツのえりを立て、すそは短パンの中にインする。


 ゴールドのチェーンネックレスに金の腕時計。


 脇にブランドもののセカンドバッグをはさめば、ほーら、成金感満載の変態野郎の出来上がりだ。


「せ、先輩……プッ……似合いますよ。ププッ」


 思いっきり笑ってるじゃねーか。


 一つ一つは質の良いブランド品でも、全部乗せすれば、こうなっちまうぞって悪い例だな。


「指輪がないんですよねー。細いネックレスを巻いてブレスレットにしてもいいかー」

「お前、楽しんでるだろ」

「とんでもない」


 ブチ犬は目尻の涙を拭きながら肩をすくめてみせた。


「それにしても、よくこんなに金ピカなアクセサリーを持っていたな」

「ゴールドのコーディネートにはまっていた時期がありまして」


 さすが女にモテる犬淵いぬぶち警視正どのだな。


 車も高級車で、こんな官舎かんしゃに住んでいなければ連れ込み放題だろうに。


「飲み放題みたいに言わないでくださいっ。自分は心のつながりを大切にしたいんですっ。それに、ここはセキュリティーが万全なんですっ」


 なんで怒ってんだ? ま、警察官が住んでいるとわかっている家に忍び込む物好きな野郎はいないだろうが。


 俺は、少々、サイズがきつい短パンのポケットに“桃太郎”の似顔絵を突っ込んだ。


 さすがに靴は自分のでかまわないだろうと言うと、ブチ犬は外国人のように大袈裟に手を振って否定した。


「金持ちに見えるかは靴で決まるんです。足元こそ、良いものを履かないと」


 そう言って、妙に先端が尖った茶色の革靴をクローゼットから取り出した。


 なぜ靴を下駄箱に入れないのか理解できないが、この靴は別格らしい。


「べルルッティです」


 誇らしげに言われても知らんがな。


 汚すな、かかとを潰すな、踏まれないように細心の注意をはらえ、水たまりに入るななど子供へ与えるような注意事項を聞き流しながら、俺は「へいへい」と気のない返事をして玄関で服装の最終チェックを行った。


 靴が少し窮屈きゅうくつだ。


 トントンとつま先を打ち付けると、ブチ犬が鬼の形相で「やめて下さい!」と、しゃがんで靴紐を調整した。


「いいですか、この靴は三十万するんです。捜査のために提供したんです。必ず無傷で返してください」


 なんなら、今、返しても良いがと言いたいがブチ犬の気持ちを汲んで俺は大人しくうなずく。


 さて、まずは正男の友人とやらが情報をくれたハッテン場へ、いざ参ろう。


 ブチ犬の官舎を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。重くて熱い空気を吸い込む。


 今夜も熱帯夜だな、くそったれ。


 地球から言わせれば、こうなったのはお前らのせいだろうと唾を吐きたい気分だろうが、俺が生まれる前からなんだから勘弁してもらおう。


 いつものようにブチ犬の高級車の助手席に乗り込もうとすると、ブチ犬は車のキーを投げてよこした。


「なんだ?」

「一人で行って下さい。自分はタクシーであとを追います」


 なるほど。この車高の低い高級車が路上駐車場に停車すれば、いやでも目を引いてしまう。二人で降車したところを目撃されればナンパを装った捜索がやりにくくなる。


 さすが周到な警視正さまだ。


 絶対に運転させてくれなかった後輩が捜査のために折れたことに俺は感動した。キーをギュッと握りしめる。


「まかせろ」


 一度、ドリフトってやつをやってみたかったんだー。


 そんな俺の心をブチ犬はよんだらしい。


「先輩、法定速度を守って、もちろん黄色信号では停止して、幅寄はばよせしてくる車には先を譲って、そして……」

「そして?」

「無傷で返してください」


 さっきも玄関先で言われたな、そのセリフ。


 せっかくのエンジンが見せ場がないと泣いているぞ。


「泣いていません。無理にギアチェンジしたりエンジンをふかしたりすれば泣きます。自分もですっ」


 はいはい、大人しく、そ〜っと運転しまーす。

 

 俺は免許は持っているが車は所持していない。せいぜい署用車を運転するだけだ。ま、それも、滅多にないが。


 久しぶりの運転席に座るとレザーシートが体を包み込んできた。


 さすが高級車、わくわくしてきたぜ。


 俺はウキウキとシートベルトを締め、キーをかまえた。


「あれ? 鍵穴は?」

「ありませんよ! プッシュスタートボタンです!」


 なるほど、これは電子リモコンキーでしたか。


 不安げに窓から身を乗り入れて、停車時はサイドブレーキを忘れるな・ウインカーはここ・それはワイパーボタンだなどと口うるさいブチ犬を押し出して、俺はエンジンをかけた。


 おお、いい音させやがるぜ。助手席で聞くのとハンドルを持って感じるのでは迫力が違うな。


 俺は「じゃ」と姿勢を正してブレーキから足を離した。


 ブチ犬が車体から離れたことを確認してアクリルを踏み込む。


 おほっ、感度良好じゃねーか。


「先輩、安全運転で……!」


 ブチ犬の叫びに似た声を後ろに聞き流し、タイヤをキュルキュルと鳴らして官舎の駐車場から市道に走り出た。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る