第25話 無視される男


 いまだ、七輪しちりんの熱が漂い、炭火で焼かれた肉の良質な匂いが残る座敷の時間は、時を刻むのを忘れたようだった。


 犯人がエレベーターで降りたから三太さんた九郎くろうは仕方なく非常階段であとを追った。


 しかし、飢餓状態の細胞膜はその衝撃に耐えられず壊れ、カリウムの血中濃度を上げた。


 何階あたりで心不全をきたしたのかわからないが、文字通り、必死で追いかけていたのだろう。


 ということは『クネヒト』は犯人を指しているのか?


 ブチ犬も同じことを考えたようだ。


「ダイイングメッセージ……先輩、犯人が写っている可能性も視野に入れて画像解析を急がせます」

「おう」


 ブチ犬がスマートフォンで捜査員たちに新しい情報だと知らせている間、俺は次になにをすべきか考えた。


 ブチ犬のスマートフォンに届いた検死報告には写真は添付されていない。取り急ぎ報告を入れたのだろう。


「本部に戻れば遺体の写真は見られるのか?」


 ブチ犬は通話を切りながら「はい、ファックスが届いているはずです」と頷く。


 俺は座敷に響くように手を打ち鳴らした。


 間をおかず、スッとふすまが開くと仲居が頭を下げていた。


「帰る。親父につけておいてくれ」

「承知致しました」


 仲居はそれだけ言うと、再び、スッと襖を閉じた。


「おい、本部に戻るぞ」

「は、はい」


 ブチ犬はすっかり冷めきったほうじ茶を飲み干し「支払いは長官でいいんですか?」と立ち上がる。


「ふん、俺を巻き込んだギャラだと思えば安いもんだ。それに二人分のメシ代くらい親父にはなんともないだろう」


「でも、ここ、お高そうですよー?」と心配顔を見せる気の小さい後輩に、本当のところは知らないが(自分で支払ったことがないからな)「大丈夫だ」と言い切り、むんずと座敷をあとにした。


 玄関口ではすでに俺たちの靴が並べられ、女将が正座をして待っていた。


「相変わらずお忙しいのですねぇ。ご挨拶にうかがう前にお帰りですか」


 俺は差し出された靴べらを手で遮って断る。


「俺に気を遣わなくていい」

「それは、ありがとうございます。犬淵いぬぶちさま、今後ともご贔屓ひいきに」

「は、はい! ご馳走様でした!」


 女将に見送られ、俺たちは門をくぐり駐車場に戻る。


 ブチ犬は笑顔で俺の顔を覗き込んだ。


「先輩、あの女将さん、一回で自分の名前を覚えてくれましたよ」


 なんだ、そんなことか。たしかに“犬淵いぬぶち”は覚えづらいからな。


「当たり前だろ。客の名前を覚えるところから女将修業が始まるんだ」

「へー! そうなんですか! 自分も“仁王頭”のツケで食べにきていいですかね?」

「“仁王頭”の誰かと聞かれるぞ」

「その時は先輩だって言っていいですか?」

「ざけんなっ。俺はお前よりも薄給だっ」


 そんな無駄話をしながら本庁の捜査本部に戻ると、聞き込みに出ていた捜査員たちと画像解析を行っていた捜査員たちがモニターの前で顔を突き合わせていた。


 皆、ブチ犬を見るなり「警視正、新情報です!」と鼻の穴を膨らます。


 なんだ、なんだ?


 俺も皆が取り囲むモニターが見える位置に立った。


 聞き込みに出ていた捜査員は、皆、顔が真っ赤だった。この炎天下でさぞ暑かったのだろう、ご苦労さんと思いきや、それだけではないようだ。


「警視正の三太さんた九郎くろうが犯人を追っていた説の裏がとれました!」


 錯乱した三太九郎の目撃者から、三太九郎は『まて』と、息もたえだえに言っていたと証言がとれ、しかも、その声が動画に残されていたと興奮しながら報告をした。


「犯人を追っていた証拠です! 警視正の仮説は正しかった!」

「よく、こんなことを思いつきましたよねー。逃げているとしか考えていませんでしたよ」

「さすがです!」


 顔面を紅潮させて「ホシがエレベーターで降りたのなら、その時刻のこちらの建物の防犯映像はどうですか」「ここにコンビニがあります。前を通っていれば不審人物がうつっているかもしれません」と地図をさしながら興奮する捜査員たちは、次の指示をくれとブチ犬を取り囲んだ。


 ブチ犬は捜査員たち以上に顔を赤くして視線を泳がせる。


 そして、その視線を俺にとめた。


 あきらかに助けを求めてんな。うん、そうだよな、三太さんた九郎くろうが犯人を追った説はお前の思いつきじゃないもんな。


 しかし、この事件はお前の昇進テストでもあるのだから、ここは百歩譲って夕飯で黙っててやるぞ。


「つ、次の指示ですか……ええっと……」


 ブチ犬は三太九郎が部屋を出た一時間前に遡って周囲の防犯映像を確認するように述べたが、そのあとは口をパクパクさせるだけで続かない。


 しょうがねーなー。


 俺は夕飯にデザートをつけてもらうぞと勝手に決めて、助け舟を出すことにした。


 捜査員の背後からブチ犬にむけて、まず、人差し指を立て、そして反対側の手の人差し指も立て、それぞれの腕を交差させる。


 ほら、入れ替わりだ。兄と弟が本当に入れ替わっているのか調べるんだ。


 ほれ、会長の証言の裏をとれと指示するんだ。


 俺は何度も指を立てたまま腕を交差させた。


 こら、変な顔するな。わかるだろ? サンタの入れ替わりだっ。入れ替わり!


「で、では、仁王頭におうず警部補と代わります……?」


 バカ犬! ちがーう!


 思わず般若はんにゃ形相ぎょうそうになってしまった俺を返り見た捜査員たちはギョッとした顔をする。


 俺は咳払いをして誤魔化し、姿勢を正した。


「ニセ……日本サンタクロース協会の会長が、実は自分が弟の“影吉かげきち”であり、死んだサンタが兄の“影大かげまさ”だと言っている。その裏をとってこ……ください」


 俺の発言にもかかわらず、捜査員たちは「それが本当ならグリーンランドのサンタクロース協会を騙して認定を手に入れていたってことですね⁈」「兄の影大かげまさには窃盗の前科があります!」「昔の仲間と今もつながっていたなら、そこに動機があるのでは⁈」「そういうことですよね⁈ 警視正!」と、ブチ犬を取り囲んだまま口々にわめき立てた。


 お前ら、俺様を無視すんなって。


 ブチ犬は俺に申しわけなさそうに口角を下げながら、俺たちが抱いた会長の印象や隣の教会の神父から聞き出した話を捜査員たちに聞かせた。


 聖人君子せいじんくんしのサンタに前科があったのか。


 叩いても埃ひとつ出てこない三太さんた九郎くろうに、殺される理由の見当すらついていなかった捜査員たちは色めき立った。


 あー、あと、あのことを知らせておかないと面倒なことになるぞー。


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