第23話 満腹の男


「先輩? 降りないんですか?」


 ブチ犬は、じっと鬼塚さんの背中を見送る俺に声をかけた。


 なんだろう、なにかを聞いた気がするが、それがなんだか……あー、昨日からモヤモヤする。


 俺は、なにかを見て、なにかに気がついているはずなのに、それが繋がらない。というか、わからない。


 たしかに、なにかを……


 あー、わからん! なにか、なにかじゃ捜査は進まない!


 やめだ、やめだ! それにモーレツに腹が減ったし!


「肉が食いたい」

「えっ、唐突とうとつ!」

「本部に戻る必要はあるのか?」

「い、いえ、特には……」

「んじゃ、食いに行くぞ」

「はぁ」


 ブチ犬はサイドブレーキを戻してアクセルを踏んだ。


「肉って、焼き肉系でいいですか?」


 ハンドルを切りながら、安くて美味い焼き肉ランチの店があると言う。


「和牛が食いたい」

「和牛⁈ だったら、少し足を伸ばして和牛焼き肉の専門店に行きましょうか」

「山形牛が食いたい」

「あー、たしかあったと思います」

「山形牛のシャトーブリアンが食いたい」

「それは……問い合わせする時間をください」

「山形牛のシャトーブリアンを炭火で炙って食いたい」

「そんな店、予約しないと無理ですよね⁈」

「今すぐー」

「わがまま!」


 誰がわがままだ、馬鹿やろう。


 俺はブチ犬に新宿通りに出ろと指示をして、一本、電話をかけた。


仁王頭におうずだ。二人、空いているか?」


 通話相手がもちろんと快諾かいだくしたことを確認し、俺は車を赤坂に向けさせた。


 車内で俺は無口だった。


 昨日から感じているモヤモヤを頭の中で整理しているのだが、いかんせん腹が減って思考が空回りしている。


 うーん、糖分と脂質が必要だ。あと、タンパク質も。


 もういい、決めた。メシを食ってから考える。


 ブチ犬に道案内をして、適当なパーキングエリアに車を停めさせた。


「先輩、この辺りに店なんてないですよ?」

「いいから、ついて来い」


 眉をひそめるブチ犬を先導する。古びた漆喰の壁沿いを歩いて進むと、木造の門が現れた。


 俺は、看板などはないその門の敷居をまたぎ、石畳みを踏んでカラカラと音をさせなが引き戸を開く。


 すると、音を聞きつけた着物の女性がを鳴らしながら笑顔で現れ、板の間に膝を折って俺たちの前で三つ指をついた。


王仁おうじんさま、ご無沙汰しております」

「女将、急に悪いな」

「とんでも御座いません。そちらはお初で御座いますね」

「あ、は、はい」

「後輩の犬淵いぬぶちだ。覚えておいてくれ」

「まあ、犬淵さま、これはようこそ」

「よ、よろしくお願いいたしまっ」


 なんでメシ屋の女将によろしくなんだ、ブチ犬よ。しかも、かんでるし。


 女将の案内でいつもの座敷に入ると、すでに二人分の御膳おぜんがセッティング済みだった。


 俺は手前の座椅子にあぐらをかき、脇息きょうそく(肘置き)に肘を乗せる。


 ブチ犬は眼球を揺らしながら向かいに腰を下ろした。


「先輩、ここ、料亭……久しぶりって常連なんですか⁈」

「俺じゃねーよ。爺さんだ」


 爺さんだけでなく、仁王頭家におうずけは先祖代々、この料理屋の世話になっている。


「小学校の運動会はここの弁当だった」

「おぼっちゃま!」


 なんだ、そのツッコミは。


「親父とおふくろの初デートもここだったってよ」

「デートで料亭⁈」

「センス、疑うよな」

「いや、ランチでこんな高級店に来る先輩も……」


 なんだ文句あるか。


 そんなくだらない会話をしているとふすまが開いて、ゾロゾロと料理人と仲居が腰を低くして入ってきた。


「ようこそお越しくださいました」


 料理長が両手をついて額を畳につける。


「いつものようで、よろしいでしょうか」

「ああ、頼む」

「かしこまりました」


 あっという間に先付さきつけと小鉢を並べ、御膳の右側に七輪と肉を置く。


 すでに熱された七輪の網にサシの少ない牛肉を数枚乗せ、ご飯をよそって膳に添えた。


「では、御用のさいはお呼びくださいませ」


 すべての料理を並べ終わり、全員が入ってきた時と同じように腰を低くしたまま、目を合わせずに出て行った。


「これこれ、これが食いたかったんだよ」


 唖然とするブチ犬を尻目に、七輪でサッと炙ったシャトーブリアンをご飯に乗せ、ワサビを塗りたくって口に放り込む。


 ん〜、最高〜!


「肉にワサビを合わせたのは、ここが最初なんだと」


 本当かどうかは知らんが、美味しければどうでもいい。


 ブチ犬も焼けた肉を口に運びながら、七輪の煙で部屋がすすだらけになるのではと格天井ごうてんじょうを見上げた。


 俺は箸を動かしながら肩をすくめてみせる。


「日本家屋ってのは簡単に取り替えやすくできてるから構わないんだろ」

「はぁ。畳もふすまもはめてあるだけですもんね」

「とにかく、食え」

「は、はい」


 俺たちは無言で食い続けた。時折りブチ犬が「うわぁ、この茄子なず、美味しいですよ」「なんだろうこれ、百合の根かな?」「お出汁がすごいですねー」などと、いちいち感嘆するのがうるさいが、まあ、口に合ったのなら良かった。


「先輩、自分、こんな本格的な会席料理は始めてです」


 たかが昼飯に目を輝かせるな。それに……


「ここは本当は懐石なんだ。俺はチマチマ料理が出てくるのを待つのが嫌で、一気に運んでもらってんだ」

「へ? かいせき? 難しい字の懐石ですか

?」

「そうだ」


 会席と懐石の違いがわからないと言うので、自分で調べろと一瞥して、俺は湯呑みを傾けた。


 あっという間に完食し、腹が落ち着いたところで、三太さんた九郎くろうの事件を考察する。



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