第22話 あっさり男


 鬼塚さんは木影から出ずに、俺たちに「よう」と手を挙げた。


 踏み込むつもりはないとわかって胸を撫で下ろす。ま、殺人課の捜査を荒らすほど仕事バカじゃないってことだ。


 外見は強面こわもてのヤクザでも、中身はまっとうな公務員だからな。


「四課の鬼塚課長、どうしてここに⁈」


 名簿が気になって来たに決まっているだろうブチ犬め。


 俺はザクザクと砂利を踏みしめながら鬼塚さんのいる木影に入った。


「俺に任せてくれると言いましたよね?」

任せると念をおしたぞ」

「鬼塚さんの“しばらく”は三十分だと覚えておきますよ」

「おお、覚えておけ」


 皮肉も通じないんかい! これだからヤクザよりもタチが悪いんだ!


 だいたい、この場所は……


「ここはビルから丸見えです。マル暴(組織犯罪対策課)の鬼塚を知らないヤクザはいません。ヤサを変えられてしまう」


 俺としても一緒にいるところを見られたくないのだが?


「鬼塚課長、場所を変えましょう」


 階級が上のブチ犬に言われれば、さすがの鬼も従うしかあるまい。


「何階だ?」


 しかし動かない鬼塚さんの背を押しながら「五階です」と俺は答えた。


「今は何人いる?」

「六人です」

「俺とお前の二人なら……」


 乗り込むってか⁈ いいから駐車場に行きますよー!


 俺はビルを見上げて未練タラタラの鬼塚さんを後部座席に放り込み、大きなため息をひとつ吐いてから助手席に乗り込んだ。


「戻るぞ」


 エンジンをかけつつ俺の顔をうかがうブチ犬に進路を示す。


 戻るとは、もちろん捜査本部にだ。


 後部座席からの圧がハンパないが、愚行にフォローする気にはなれない。


 ここは情報をもらうのが得策だと頭を切り替えた。


かなめ会のガサは始めから顧客名簿が目的だったんですね?」


 そして、見つからず、小鳥遊たかなし会に流れたとふんだ。しかし、そこでも発見できなかった。


 正男のよみが大当たり〜ってわけだ。


「指定暴力団のかなめ会から“すずめ”と呼ばれる新参の小鳥遊たかなし会に名簿が流れた理由は……?」


 ブチ犬はバックミラーに映る鬼塚さんに恐る恐る尋ねた。


 階級が上なんだから答えろと迫ればいいようなものだが、不機嫌に腕を組む鬼塚さんは鏡越しでもメッチャ怖い。


 ま、俺も警視正さまに運転させているのだから同じようなものか。


小鳥遊たかなし会の組長は、かなめ会・若頭わかがしら小鳥遊たかなし将兵しょうへいの息子、小鳥遊たかなし翔馬ぺがさすだ」


 なんだそのキラキラネームは! 源氏名か⁈


 思わず振り向いてしまった俺に鬼塚さんは「本名だ」と、ぶっきらぼうに言った。


 あ、何度も言わされている顔ですね。はい、ごめんなさい。しかし、すずめと馬なんて、さながら日本昔話だな。


「こいつは子供のころから素行が悪くて、九歳のときに喫煙で補導してから喧嘩や万引きを繰り返してな。あれよあれよとかなめ会の組長とさかずきかわわして組を持つ身になった。組織としては小さいが後ろ盾はバカでかい。俺たちが今一番、警戒している組織だ」


 まだ、三十代の若造だがと鬼塚さんは鼻で笑った。


 なるほど。どおりでチャラチャラした野郎が多かったはずだ。


 組長を名乗ってはいるが実態は半グレ集団に近いのだろう。


 ヤクザの中でも義理や人情の感覚が乏しい組織は、その辺の犯罪者集団よりも恐ろしくて厄介だ。


 そいつらがかなめ会規模のシノギを手に入れたら……


 俺は目を見開いて血の気が引いた顔を後部座席に向けた。


 それを見た鬼塚さんは片方の眉を上げる。


仁王頭におうず、俺が来た理由がわかったか?」

「はい……わかりました」


 メッチャ、わかりました。理解しました。了解でーす!


「抗争が多発……戦争?」

「そうだ。若造が日本最大級のヤクザを支えられるほどの金を手に入れる。日本がひっくり返るぞ」


 ハンドルを握るブチ犬が小さく「ひっ」と息を飲んだ。


「今の日本に売春類似行為を罰する法律はない。だから顧客名簿の野郎を片っ端から脅して、客がいない状況を作らなくてはならない」


 捕まえる法律はないから罰せられないが、男を買っているのを世間にバレらされるのは困るはずだからな。でも、刑事デカが脅すとか言わないのー。


 俺たちは本庁の駐車場に入っても車を降りなかった。


かなめ会のシノギは他にもある。賭博とばく・ドラッグ・特殊詐欺。その中でも売春が占める割合はでかい」


 鬼塚さんはなんとしてでも名簿を手に入れたいと繰り返した。


「鬼塚さん、これは言ってなかったのですが……」


 俺は、殺されたサンタの兄弟が新宿二丁目で男を伴って遊び、その兄弟はあのビルの一室を小鳥遊たかなし会に貸していることを話した。


「サンタの会長は男色で、顧客名簿に名前が載っている可能性が高いってことか」


 さすが察しがいいな鬼塚さん。


 サンタの会長がそれによって脅され、ヤサを提供している可能性もあるが、今のところ、その事実は確認できていない。


「俺たちもサンタの会長が客なのか元締めなのか知りたいんですよ」

「それによってはサンタ殺しの捜査方針が変わるからか」

「はい、なので俺たちも名簿が見たい。でも見たいのは会長の名前だけです。そのあとは鬼塚さんに任せます」


 俺は助手席から体ごと振り返り、鬼塚さんに真剣な眼差しを向けた。


 暗い地下駐車場で車高の低い高級車に乗ったまま、三人の男が顔を突き合わせている。


 なんてシュールな状況なんだ。


 おや? 可愛い婦警のお姉ちゃんが、この車を見つけたな。お、運転席のブチ犬を見てニコニコと近寄ってきたぞ。


 しかし、助手席に座る俺と後部座席で憮然ぶぜんとする鬼の鬼塚を見た途端、口に手をあててきびすを返しやがった。


 失礼だぞ?


「わかった。名簿が手に入り次第、渡してくれ。邪魔して悪かったな」


 鬼塚さんは俺と目を合わせずに、あっさりと車を降りていった。


 あり? なんだ、この違和感。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る