第19話 たかなしの男


「フィンランドにある国際サンタクロース協会の存在を知った兄は、本物のサンタになりたいと申請書を送ろうとしましてね。しかし、審査基準が厳しくて前科のある兄には認定は不可能でした。兄は過去を後悔して涙を流して……そこで、私は兄の願いを聞き入れることにしたのです」


 弟の影吉かげきちの名で申請を行い、活動実績が認められて見事に認定をとり、弟の本名を三太さんた九郎くろうに改名したと述べた。


「私は前科のある影大かげまさとして、兄の活動を支えてきました」


 自称・影吉かげきちは立ち上がって引き出しから戸籍抄本と住民票を取り出し、ブチ犬に渡した。


「私が弟の影吉かげきちで、亡くなったのは兄なのです」

「そうでしたか。しかし、これだけでは……」


 戸籍抄本も住民票も他人が手に入れられるモノだ。


「運転免許証も持っています」


 ヒゲのない写真に“二王におう影吉かげきち”の名がある。更新日は一年前だった。


 これにはブチ犬は納得をしたようだ。あのヒゲが一年であそこまで伸びるはずがないからな。


 ブチ犬は昔の悪い仲間と今もつながっている可能性はあるのかと話題を変えた。


「そんなことはないと信じていますが……正直いってわかりません」


 影吉かげきちは生活のすべてを把握していたわけではないと、寂しげに首を振った。


 しかーし! 狐顔きつねがおの男が出て行ったのを俺はたしかに見たぞ。暴力団の構成員の出入りがあったじゃないか。


 俺はこの野郎にカマをかけることにした。


 ポケットから正男が書いた狐顔の男の似顔絵を取り出し、肩越しにブチ犬に渡した。


 ブチ犬はそれをニセモノサンタ会長に見せる。


「この顔に見覚えはありませんか?」


 ブチ犬に俺の意図は伝わったようだな。よしよし。


 これで、知りませんと言ったら、お前が容疑者に浮上するぞ。


 しかし、捜査というものはそう簡単に運ぶものではなかった。


「ああ、この方は教会の信者さんですよ。内装業を営んでいましてね、壁紙の張り替えを頼んだら快く引き受けてくれました。この方がなにか?」

「いえ……名前や住所はわかりますか?」

「鈴木さんです。住所はわからないなぁ。教会の神父様ならご存知かもしれません」


 影吉かげきちは、人の良さそうな柔らかい笑顔を終始崩さなかった。


 そして、その顔は今年のクリスマスはどうしようと悲しい笑顔に変わった。


「幼稚園の子どもたちが楽しみにしていましてね。養護施設や病院なんかからも声がかかっていたのですが……」


 それほど兄は皆にしたわれていたと強調する。


「殺されたなんて……過去は充分に償っていました。これからどうすればいいのか……」


 顔を覆い、声を震わす影吉かげきちに気づかれないように、ブチ犬は俺に視線をよこした。


 桃太郎の件を聞くべきかと迷っているんだろ?


 俺は小さく首を横に振る。


『なぜですか』


 そんなブチ犬の声が聞こえた気がした。


 もっと裏をとってからでも遅くはない。今のところ正男の証言だけで、しかも捜査員(俺)と知り合いだときている。


 しらばっくれられたら押しようがなく、証拠能力も薄い。それに、桃太郎が姿をくらますかもしれないだろ?


 裏の世界の人間が地下に潜られたら、探し出すのは運に頼るしかなくなる。


 叩く時は一気に。


 我が家の当主・気狂い爺さんに教えられた戦法だ。


 ブチ犬は立ち上がり腰を曲げる。


「我々はこれで失礼いたします。お忙しいところ、ありがとうございました」

「いえ、とんでもない。犯人逮捕に協力はいといませんよ」


 捜査に進展があれば知らせてほしいと影吉かげきちは俺たちに頭を下げ返した。


 真っ赤な絨毯を大股に踏みしめて、俺たちは廊下に出た。


 明るい室内から暗い廊下に出ると目が慣れず、さらに暗く感じる。


 その時、エレベーターが鳴って化粧の濃い秘書の女がコンビニの袋を持って上がって来た。  


 俺たちに出すはずの飲み物を買って来ていたようだ。


「あ、も、申し訳ありません! レジが混んでいて……」


 秘書は茶を出せなかったことを大袈裟に詫びた。


「遅いと思っていましたよ。これからは切らさないように管理しておいてください。刑事さん、いたらなくてすみません」


 会長の影吉かげきちが、ブチ犬に心底、申し訳ないと顔を向ける。


「いえ、かまいません。もう、帰りますので大丈夫です」


 ブチ犬は何度も頭を下げる秘書を労い、エレベーターに乗り込んだ。


「お疲れさまでした」


 そんな、少し場に合わない影吉かげきちの挨拶に見送られて『閉』を押す。


 そして、俺は五階のボタンを押した。


「五階? 先輩、ずっと無言でしたね。なにか気づきましたか?」


 なんか、引っかかるぞー。それと……


「人の気配がする」

「え⁈」

「五階に誰かいる。一人や二人じゃない、まとまった人数がいる」


 俺は耳がいいんだ。


 ブチ犬の顔に緊張が走った。


 四階で秘書が会長の影吉かげきちに連絡をとっていた時から、上の階の気配に気がついていた。六階には、ほかのドアを開けて確認したわけではないが、影吉かげきちしかいなかった。


 五階でエレベーターが開く。


 俺はブチ犬に扉を押さえさせ、待っていろと伝えた。


「先輩、自分も行きます!」


 大丈夫だって。


「すぐ、戻る」


 そう言って薄暗い廊下に足を踏み入れる。


 締め切られたドアの向こうに人の気配がないか、一部屋ごとに耳をすませて確認して進むと、わずかに室内の明かりが漏れるドアがあった。


 いる。ここだ。


 俺はそっと身をよせて、隙間から中を覗き見た。


 そこには、五、六人の男が机に座り、なにやら書類仕事をしていた。


 一見、ここの社員にも見えるが、しかし、服装がいただけない。


 派手なアロハや昇竜のぼりりゅう柄のTシャツはチンピラ感満載だ。


 その中に見た顔があった。


 まぎれもなく小鳥遊たかなし会の残党だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る