第17話 イク男


 ブチ犬は、どこかで晩めしを食っていかないかと俺を誘ったが、俺はあのお得用チャーハンで腹はいっぱいだった。


「じゃあな」

「おやすみなさい」


 車で送ってもらい、安アパートの鉄階段を上る。


 ブチ犬は俺が玄関を開けるまで見送り、車高の低い高級車で颯爽と立ち去った。


 この辺りでは最安値の家賃をさらに値切った六畳一間の万年床まんねんどこに倒れ込む。


 このアパートのいいところは、玄関を入って三歩で布団に到達できるところだ。


 実家は、裏門をくぐってから俺たち家族が暮らす屋敷まで石畳いしだたみを歩き、この部屋ほどの玄関をあがって、無駄に幅のある廊下を通り、長い階段を昇らないと自分の部屋に入れない。


 しかも、途中で姉貴あねきに会おうものなら問答無用で回し蹴りをくらわせてくる。


 姉貴と出会わないようにと、表門おもてもんから本屋敷ほんやしきを通ってみたこともあったが、爺さんに見つかり、剣道の稽古に付き合わされた。


 あの家で、一時だって心が休まったことはない。


 それに比べて、ここには口うるさい使用人もいない。ああ、一人って最高ー!


 …………気がつくと朝だった。


 やべ、寝落ちしていた。


 時計は七時を指している。よかった、遅刻はしなくてすみそうだ。


 むくりと起き上がると、俺の部屋じゃなかった。


 いや、俺の部屋だ。しかし、物の配置が違う。


 あの雑誌は床に落ちていたはずだ。このテーブルって、こんなに広かったっけ? 限界に挑戦中だったゴミ箱のゴミの山が消えている。


 あれ? うちにお手伝いさんなんか……


「先輩、おはようございます。シャワーを浴びてきてください。すぐ、ご飯にしますよ」


 ブ、ブチ犬⁈


 そうだ、そうだった。万が一を考え、こいつに合鍵を渡してあるんだった。


 それにしても……


「部屋がきれいだ」

「先輩、忙しいのはわかりますが少しは片付けをしてくださいよ。洗濯物を干してきますね」


 有名ブランドのロゴが嫌でも目につくエプロンをして、ブチ犬は狭いベランダに苦労しながらも俺の服を干していった。


 手際がいいな、さすが独身独居男子。あ、俺もか。


 朝食は完璧だった。クロワッサンにベーコン、フルーツサラダと紅茶。まったくもって俺の好みのものばかりだ。


「こんな食材、うちにあったか?」


 とりあえず、いただきます。


「昨日、買っておいたんです。ところで、冷蔵庫に靴下が入っていましたよ?」

「ああ、乾かそうと思って」

「冷蔵庫では乾きませんよ! 乾燥機を買ってください!」


 そんな贅沢なもん、いらねー。


「もう、生活力ゼロなんだから……」


 ん? なんか言ったか?


 ブツブツと文句をたれるブチ犬に「ごちそうさまでしたー」と手を合わせ、ピカピカになったシンクに皿を放り投げる。


「すぐに洗えばいいんです! せめて水につけてください!」


 へいへい。あとは、よろしくと俺はシャワーを浴びに行く。


「先輩、あと三十分で出ますよ!」


 へいへーい。


 このアパートの難点は風呂が狭いことだ。足が伸ばせない浴槽に入る気にならず、引っ越してきてからはシャワーしか使ったことがない。


 やはり、風呂は泳げる広さが必要だ。


 疲れがマックスの時は、実家のヒノキ風呂に泳ぎに行く。


「お風呂で泳いで疲れを取るなんて始めて聞きました」

「全裸で快適だぞ」

「自宅だからマナー違反と注意されることもありませんしね」

「自宅でも、庭の池で投げ縄漁をやった時は叱られたぞ?」

「当たり前です!」


 そんな中身のない会話をしながら本庁に到着し、サンタ殺人事件の捜査本部に顔を出す。


 そこには新宿署の佐藤係長しかいなかった。


「ほかの奴らは?」

「すでに指示を与えて動いてもらっています」


 さすがブチ犬くん、仕事のできる男だ。で、仕事のできない……っぽい、佐藤係長がすり寄って来た。


仁王頭におうず警部補、犬淵いぬぶち警視、おはようございますー」


 語尾を伸ばすな、気持ち悪い。


「おはようございます。今日は新宿署に応援要請していないと思いますが?」


 おお、ブチ犬、ストレートにいったな。


「あ、はい、そうですが……昨日は、現場はいかがでしたか? なにか、お調べしておきましょうか?」


 ゴマすりまくってゴマペーストができそうだ。


「なんでも、お申し付けください」


 うわ、ゴマ油がしぼれるな。


「あー……先輩、なにかありますか? 佐藤係長に調べてもらいたいこと」


 そう、あからさまに邪険じゃけんにしてやるな。お年寄りは大事にしないとな。


「指定暴力団のかなめ会と小鳥遊たかなし会を調べてくれ。特に、両者に接触のある……いや、小鳥遊たかなし会が新しいシノギを始めようとしている。それがなにか突きとめてくれ」

「かしこまりました!」


 はい、いいお返事です。いってらっしゃ〜い。


 さてと。


「俺たちはニセモノサンタ協会に行くぞ」




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