第16話 眠い男


 俺はくわっと欠伸あくびをした。


 ブチ犬があきれた目を向けるが、お腹がふくれれば眠くなるのは生理現象だろ。


「検死報告はまだか?」

「はい、検死報告も鑑識報告もまだです」

「聞き込みは?」

「それも、新たな情報はありません」


 俺は時計を見た。もう九時だ、そろそろ帰ろっかなぁ。

 

 夜ふかしは無理な体質なんだ。


「それで正子さん、三太九郎さんたくろうはここでどのような話をされていましたか?」

「サンタちゃんは、お酒を飲まないから、来る時はいつも食事をさせてくれって若い子を連れてきていたわ。私は、そういう子たちからはお金はもらわなかったしね。時々、始発までここで泊めてあげたりしていただけよ。サンタちゃん自身は……そうね、大人しくて、いつもニコニコしていたわ」

 

 ブチ犬はメモを書く手を止めた。


「それだけですか? 悩みや兄弟の確執かくしつなどの話は? 連れの若者と親しげな様子はありましたか?」

「ううん、サンタちゃんは本当に善人よ。殺される理由なんてないわ。あるとすれば……」

「弟のほうか」

「会長ちゃんがサンタちゃんの弟だとは思わなかったわ。それに……」

「なんだ?」

「二人から兄弟の話を聞いたことがないわ」


 正男は、記憶力には自信はあるが俺たちからサンタに兄弟がいると聞くまで、二人がつながらなかったと言った。


「ま、月に一・二回くらいしか、お店に来ないし、雰囲気が全然違かったし〜」


 片方は真面目な聖人君子で、もう片方は金払いのいい遊び人か。


「二人で来たことはないんだな?」

「ないわ。本当に双子なの? 私、サンタちゃんの長いヒゲにまどわされてたのね」


 正男は悔しいと地団駄じだんだを踏んだ。床が抜けるからやめてくれ。


「あの……」とブチ犬はボールペンを握り直す。


「会長さんに連れはいましたか?」

「いたわよ〜。色白の可愛い子と、時々、来ていたわ〜」

「その女性の特徴は?」

「女じゃないわよ。男の子よ」

「え、息子さんとか?」

「こんな店に息子と来るわけがないでしょ〜。彼氏よ、か・れ・し」


 ブチ犬よ、ボールペンを落としそうだぞ、しっかりしろ。


「そ、その男性の名前は?」

「会長ちゃんは“ももたろう”って呼んでいたわよ」

「桃太郎?」

「源氏名でしょうけどね」

「と、歳は……」

「さあ、成人しているか微妙なところねー。もしかして未成年者かも〜」


 ブチ犬は目を丸くしたままペンを走らせた。


「おい、正男」

「正子って呼んで!」

「桃太郎の似顔絵を描け」

「いいけど……正子って呼んでくれなくちゃイヤ〜」

「わかった。正子」

「きゃっ! おうちゃんったら! もう一度、呼んで〜!」

「正子」

「いや〜ん、な・あ・に?」

「つけまつげが毛虫みたいだぞ」

「てめー、おうじん! 表に出ろやー!」


 隣でブチ犬が「ひっ」と息を飲んだのがわかった。


 角刈りで筋肉隆々の大男がカウンターをバンッと叩けば、そりゃあ恐ろしく見えるが、ピンクのワンピースがパッツンパッツンで笑いを誘っている。


 俺はケタケタ笑いながら椅子から飛び降りて、カウンターを離れた。


「本性が出たな、正男」

「こっちこいや! ワレー!」


 キレてるオカマをからかうのは楽しいが、泣かれても面倒なので、そろそろフォローしてやるか。


「濃いメイクがお前の良さを隠してしまっていると思ったんだよ。それに、そのピンクより、前に着ていた青いロングドレスのほうが似合うぞ」


 少なくとも肩と足は隠されていたし。


「え、そ、そう?」 

「お前の肌にはブルーが似合う」

「いや〜ん、おうちゃんにそんなこと言われたの始めて〜」


 身悶みもだえするな。気持ち悪いだろ。


「似顔絵を……」

「もう、描くわよ〜。かいて、かいて、カキまくっちゃうから〜」


 手を上下させるなっ。卑猥ひわいなやつめっ。


 俺は正男から似顔絵を受け取って、明かりに照らして、まじまじと見た。


 なるほど、ガキにしか見えない。


 ショートカットの、どこか寂しげな少年だ。


「こんな表情をしていたのか?」

「ううん。でも、笑っていてもしゃにかまえているような浮世離れした美少年だったわ」


 サンタじゃなくて、こっちに性的 搾取さくしゅの疑いが出てきたな。


 ブチ犬も同じことを思ったようで、俺を見て小刻みに頷いていた。


 さて、そろそろブチ犬の頭がショートしそうになっているから帰るとするか。


 今日は疲れた。


「正男、じゃあな」

「また、急! もう帰るの? ねえ、泊まっていかない?」

「あ、あの、ご協力ありがとうございました」


 丁寧に頭を下げるブチ犬を無視して、正男は俺の腕にからんできた。


「ねえ、久しぶりだし……泊まっていってよ〜」

「帰るに決まってんだろ」

「そんな〜。積もる話と溜まったモノを出し合いましょうよ〜」


 んなもん、出すか!


「おうちゃん〜、せっかく会えたのに〜、ブルーのドレスに着替えるから〜」


 股間を押しつけるなよ!


「眠いんだよ。サンタの弟が来たら連絡をくれ。じゃあな」


 俺は「ごちそうさまでした」と頭を下げるブチ犬の腕を引いて正男の店を出た。


 都会の夜にお似合いな、車高の低い高級車が停まる駐車場まで並んで歩く。


「先輩、正子さんとなにかあったのですか?」

「ああ? さっきのは帰る客に対する礼儀みたいなもんだ。気にすんな」

「違います。アメリカでなにか……?」


 なんだいてるんじゃないのか。さすがブチ犬くん、察しがいいな。


「今度、話してやるよ。いまは頭が回らない」

「わかりました」


 いい子で助かるぞ。


 さ、明日も長い一日になりそうだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る