第14話 思いあたる男


 正男の店は新宿二丁目の路地を進んだ小さな公園の脇にある。


 その小さな公園よりも、さらに小さなバーを正男は一人で切り盛りしていた。


 レンガ作りの壁がレトロな雰囲気を演出する落ち着いた店内だ。


「角刈りの大男がカウンターにいると、さらに店が狭く見えると思わないか?」


 俺の苦笑いにブチ犬は「え、えっとー……」と答えに詰まった。


 なんだよ、正直に言えよ。


 正男が出してくれた、よく冷えたオレンジジュースを飲み干す。


「もー、犬淵いぬぶちさんでしたっけ? おうちゃんは口を開けば皮肉ばっかりで嫌になっちゃうでしょ?」

「い、いえ、そんなことは……」

「そんなに緊張してないで〜。食べちゃいたいくらい可愛いけど、私、ノンケだから〜」

「ええ⁈」

「あら、イヤだ! この子、正直〜」


 ブチ犬は完全に正男の空気に飲まれている。


 俺は相棒を助けることにした。


「正男は既婚者だ」

「えええ⁈」

「その驚き方、失礼〜。特別に見せてあげるわ〜。ほら、これがワイフよ〜」


 正男は手を伸ばして酒瓶の並ぶ棚から写真立てを取り、ブチ犬に渡した。


 そこにはブロンドの髪が美しい白人女性が優しく微笑んでいた。


「外国の方ですか?」

「そうよ〜、アメリカで知り合って結婚したの〜」

「俺と正男はFBIの研修中に知り合ったんだ」

「あ、先輩はアメリカ研修に行ったんでしたね。研修中ってことは、まさ……子さんも関係者だったのですか?」

「私は特殊部隊志望でね〜。SWATで学んでハクをつけようとイキがっていたのよ〜」

「ス、スワット⁈」

「そうなの〜、得意なのは寝ワザよん♡」


 正男のウインクに固まるブチ犬に補足する。


「正男はアメリカ生まれで米軍にいたんだ。FBIのSWATチームに入るために研修中で……」

「で、おうちゃんと知り合ったってわけ。おうちゃんったら、絶対、日本語しか話さなかったのよ〜。上官が話しかけているのに『うるせえっ』って言い返すもんだから、こっちがヒヤヒヤしたわよ〜」

「うわ、先輩、アメリカでもそんなことしてたんですか」

「そんなこととは、どんなことだ」

「い、いえいえいえ……」


 顔の前で両手を振るブチ犬に、正男は目を細めた。


「結局、私は暴力的なことから足を洗って、このお店を始めたんだけどね〜。おうちゃんに、こんな相棒がいたなんて安心したわ。この人、無茶ばかりするから助けてあげてね〜」

「はい、もちろん! というか、いつも自分が助けられています」

「まあ、理解のある相棒なのね〜。おうちゃん、丸くなったのねぇ」


 丸くなかった覚えなどないが?


 俺はグラスを振って、オレンジジュースのおかわりを催促さいそくした。


犬淵いぬぶちさんも、おかわりいかがです?」


 正男はカウンター越しに、オレンジジュースのボトルを持ち上げて、ブチ犬のグラスの上に差し出した。


「あ、ああ、ありがとうございます」


 筋肉隆々の大男に、十リットル業務用容器から片手でドバドバとお酌され、ブチ犬はグラスを押さえていることしかできなかった。


「正男、そういうのはピッチャーにいでから、お酌をするもんじゃないのか? 十リットルを直接、そそぐなよ」

「なによー、今日は休みなのー。洗い物、増やしたくないのよね〜」


 正男はそう言いながらも写真立ての前にオレンジジュースをそそいだショットグラスを置いた。


「あ、奥さん、いただきます」


 ブチ犬は写真立てのショットグラスに自分のグラスをかかげる。


 正男は、一瞬、目を見開いたが、目尻のシワを深くして微笑んだ。


 ブチ犬はこういうところがある。目の前にいない人間にも敬意を払う人の良さだ。


 こいつは、俺がいない場所でも決して俺をないがしろにしていないという安心感を与えてくれる。


 信頼にあたいする人物。それが正男にも伝わったようだ。


 正男は声を低くして本題に触れた。


「少し前に小鳥遊たかなし会ってヤクザの下っ端がね、お店に来たのよ。でね、お金を欲しがっている男の子がいたら、いい稼ぎがあるから紹介して欲しいって言われたの。お客はたくさんいるからって」

小鳥遊たかなし会? そこなら、今日、ガサ入れしたぞ?」


 俺の顔を見て、ビビって大人しくなったやつらだ。


「そうなの⁈ なにか、出たかしら?」

「さあな。俺はにらみをきかせていただけだ。男娼だんしょうを集めてんだな」

「男同士の性行為は売春にあたりませんからね。そこに目をつけて新しい商売を始めようとしているのですね」


 ブチ犬は正男と同じく、真剣な顔をして頷いた。


「でもね、おうちゃん、小鳥遊たかなし会って“すずめ”って呼ばれているほど弱小な組織なのよ。そこがね、この辺りを牛耳ぎゅうじっているかなめ会に黙って、そんなことができるはずがないのよ」


 かなめ会? ああ、それなら俺が大立ち回りを演じて壊滅状態にしてやったぞ?


「何ヶ月か前にね、かなめ会にガサが入ったんだけど、その時に、そのヤサにあった顧客情報が漏れたんじゃないかなぁ、って思うのよ」

「えー! 書類やパソコンなんか、すべて警察が押収してますよ⁈」

犬淵いぬぶちちゃん、その前にガサ入れの情報そのものが漏れていたら、どうかしら? 組織の一番のシノギさえ守れていれば、立て直しは簡単よね?」


 俺の顔から血の気が引いた。


「おうちゃん、なにか知っているの?」


 正男とブチ犬にガン見される。


「先輩、思い当たることがあるのですね?」


 思いっきりある〜。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る