第13話 正子の男


「ま、正男!」

「正男じゃないわよ! 正子よ。ま・さ・

こ♡」


 角刈りの大男が青いアイシャドウと長いつけまつげで原型をとどめていない目をしばたいている。


 ガッシリした肩に細いドレスのひもが食い込んでるぞ。せっかくのドレスが可哀想だ。


 俺は車の窓を開けた。


「正男、久しぶりだな」

「正子って言ってんでしょ!」

「二丁目から出てきたのか?」

「今日はねー、キャンディちゃんのバースデーパーティーなの〜」


 後ろにいるダルマみたいなロン毛の男がキャンディちゃんか? ああ、ハイヒールが可哀想だ。


「うわ〜、イイ男じゃな〜い。正子ったら隠してたのね〜、紹介して〜」

「嫌だ〜、おうちゃんは私のものなの〜、誰にも触らせないんだから〜」

「彼が噂のおうちゃん? 想像よりもかっこいいわね」

「ちょっとー、お金持ちじゃん! お知り合いになりたーい!」


 いったい何人いるんだか、亜熱帯の蒸し暑さに化粧の匂いと野郎の匂いが混ざって、まるで地獄だぞ。


「あ、あの、ちょっと、車に触らないで……」


 もう遅いぞブチ犬よ。ほら、ボンネットに尻をおくミニスカートの強者つわものも現れた。


「ちょっと、座らないで……」


 そんな控えめな訴えが、こいつらに通じると思うのか?


「おい、座んな。逮捕するぞ」

「いや〜ん、おうちゃんにタイホされた〜い!」

「きゃー!」


 いかん、火に油を注いだようだ。


「そっちの可愛いイケメンはどなた? あなたがお金持ちなの? そうよね〜、おうちゃんがこんなにセンスのいい車を持っているはずがないわよね〜。まさか、彼氏⁈ そうなの⁈ おうちゃんったら、私がいるのに浮気してるの⁈」


 正男は明太子がはじけたような唇を噛んで、俺のえりつかんできた。


「正男、やめろ!」

「死ぬ前に一度くらい正子って呼んでよ〜!」

「こ、殺す気か⁈」


 ブンブンと揺さぶられ、俺の首はもげ落ちそうだ。


 その時、前の車がゆっくりと前進した。


「先輩を離してください! 車が進みますよ!」

「まあ、先輩だなんて! リア充ってこと⁈ 妬けちゃうわ! 正子が一番って言ったのにー!」


 角刈りの大男は、すっかり半身はんみを乗り込んで俺を離さなかった。


 後ろの車からクラクションが鳴り響く。


「先輩、押し出してください!」

「なにおー! この小童こわっぱ! 元・SWAT《スワット》をなめんなよ!」


 こら、いきなり本性を出すな。ブチ犬がビビってんだろ。


 近い、顔が近い! ニンニクと酒の臭いがプンプンする!


 この混沌こんとん打破だはするために、俺は低い声を出した。


「正男、今度、店に行く。今日は大人しく帰れ」


 前の車がさらに前進し、後ろのクラクションの数が増えてきた。


「ウソ。そうやって、いつも来ないじゃない。正子、ずっと待っているのよ?」


 セリフだけなら可愛いんだけどな。


「悪い、忙しいんだ。だから手を離してくれ」


 相変わらずデカイ手だな。仲間にパンツが丸見えになってんぞ?


「先輩、すみません。少し、前に出します」


 ブチ犬はそう言って、車窓から正男の尻が出たままブレーキを離した。


 車体がゆっくりと進むと、取り囲むオネエ様たちは「拉致らちよ!」と騒ぎ立てる。


「先輩、本当に通報されかねません」

「そうだな。正男、時間切れだ、またな」

「待って! 相談があるのよ〜」

「この状況で相談なんかのれるか!」

「お願〜い。最近、ヤクザが私たちを狙っているの〜。ゲイの金持ちに売り飛ばされそうになった子もいるのよ〜?」


 ヤクザが男娼だんしょう斡旋あっせんを始めたのか。まあ、昔からよくある話だが、一応、鬼塚さんの耳に入れておくか。


「……乗れ」

「ええ⁈ 先輩⁈」

「いいから。話だけは聞かなくちゃならないだろ」

「もー……わかりました。早く、乗ってください」

「ありがと〜♡」


 正男は、その窓から尻を振りながら足をバタつかせて乗り込んできた。


「なんで、ここからっ」

「いいじゃな〜い。おうちゃんのお膝の上〜」


 低い車高の高級車がめっちゃ沈んだ気がするぞ。


 正男はさらにバタバタと暴れるように後部座席に移動した。


 あー、苦しかった。


「バイバーイ」


 騒ぐキャンディちゃんたちに投げキッスをして、正男はデカイ体を小さくして後部座席から俺とブチ犬の間に身を乗り出した。


 真正面からパンツが丸見えになっているだろうが想像したくないので無視することにする。


「で? どこに行くの? おうちゃんち?」


 俺は仕事中だっ。


「ブチ犬、本庁に戻れ。四課の鬼塚さんに正男を預けるぞ」

「はい」

「いやよ〜。私、おうちゃんに相談したいの〜」

「俺は殺人事件の捜査中なんだっ。大人しくしてやがれ」

「ひど〜い。それって、もしかしてサンタクロースのやつ?」


 なんて勘のいいやつなんだ。


「だって、話題になってるもんねー。やっぱり、あのラリ方はヤク? でも、すんごいイイ人だったから常用者じゃないわよねー」

「正男! 三太さんた九郎くろうを知ってんのか⁈」

「当たり前じゃない。新宿の有名人よ。お店にも何度か来てくれたことがあるんだからー」

「もしかして、弟もか⁈」

「弟さん? あの人が弟さんかしら〜? もちろん、あるわよ〜」


 俺は眉間をおさえて考える。このままニセモノサンタ協会に行っても、捜査員と同じ内容しか聞き出せないだろう。


 しかも、すでに退勤時間だ。本人はもちろん、双子をよく知る従業員もいない可能性が高い。


 それならば、先に正男から情報を仕入れるのが賢いやり方だ。


「あの、先輩? まさ……子さんとは、どのようなご関係で?」


 ブチ犬はやっと動き出した車列から目を離さずに、恐る恐るといった感じで口を開いた。


「同じ釜の飯を食った者同士よね〜。あ、同じカマを掘ったのほうがピッタリかしら〜?」


 ゲラゲラと下品に笑う正男に、俺は前を向いたまま、くだらねーと鼻で笑った。


「カ、カマ⁈」

「気にするな。進路変更しろ。二丁目に行くぞ」

「ええ⁈ まさ……子さんのお店ですか⁈」

「やった〜! おうちゃんってば、話がわかる〜」

「先輩、本気ですか⁈」

「ああ、そこで俺と正男の関係を説明してやる」


 あまり楽しい話じゃないから適当にな。



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