第12話 明太子はあまり好きではない男


「屋上にあんなものが……先輩、よく気がつきましたね」


 現場保護のためにクソ暑い屋上で待機していた俺たちは、やっと現れた鑑識に任せて三太さんた九郎くろうの自宅で冷房にあたっていた。


 ああ〜、クーラーのある時代に生まれてよかった〜。


「この写真だ」


 壁に貼られた写真を指ではじく。


 三太さんた九郎くろうを中心に子供たちの笑顔が写っている。その背景は、晴れ渡った青空と、遠くに見える都庁だった。


「この写真で屋上に気がついたのですか。さすがです」


 観察して記憶しろと親父にきたえられたからな。


「問題はクッキーだ」


 めっちゃ美味しい俺も大好きなメーカーのやつ。


「自殺だとしたらハゲ(警視総監)の首が飛ぶが……それはそれで面白いのだが、自殺ではないな」

「面白くないですよ。自殺なら通行人に助けを求めるようなマネはしませんよね」

「助け……あれは助けを求めていたのか?」

「え、あ、そうか、なにかを伝えたくて……」

「死にそうなほど腹ペコの三太さんたは、階段を一階ぶん上がった場所にあるクッキーよりも、階段を七階ぶん降りることを選んだ。それには必ず、理由がある」

「先輩……」


 ブチ犬は口を塞いでうるうるとした瞳を向けてきた。


「なんだ?」

「先輩を呼んで本当に正解でした。捜査してるって感じ、この感じは先輩としか味わえません」


 それは、いったいどんな味なんだ?


「お前だって県警けんけいで事件を解決してきただろ」

「違うんですよー。なんていうか、とにかく先輩といるとドキドキがハラハラで……」


 動悸どうきか?


「病院、行けよ」

「なんでですか⁈」

「動悸がするんだろ?」

「違いますっ!」

「意味わかんねー」

「もう、いいです!」


 なんで、キレてんだ?


 体の熱がおさまったので、ブチ犬があとは頼むと鑑識に伝えて二人でビルを出た。


 狭い茜色あかねいろの空が明日も晴天だと嘲笑あざわらっているようだ。


 太陽が沈んでも東京の熱は下がらない。今夜も熱帯夜ってことだな。


 暑いのと寒いの、どっちが好き? なんて訊いてくる女を殴ってやりたい。ちょうど良いのが一番に決まっているだろう。


「サンタ協会に行かせた捜査員から報告は?」

「あ、入っています」


 ブチ犬は眉をひそめてスマートフォンを読み上げた。


「日本サンタクロース協会の会長は三太さんた九郎くろうの弟でした」

「弟⁈」

「はい、双子の弟だそうです」

二王におうが二人になったってことか⁈」

「そうなりますね」


 クソが。


 まさか、どちらかが天才的な犯罪者の気質きしつ継承けいしょうしていたら……


「おい、ニセモノサンタ協会に行くぞ」

「え、捜査員が行ったばかりですよ?」

「自分の目と鼻で確認するんだよ!」

「鼻⁈ は、はい!」


 雑居ざっきょビルの周りにはマスコミが押し寄せていた。


 一度は引き上げた鑑識が戻ったことで、記者たちが新たな情報を得ようとむらがっている。


 そんな中、俺とブチ犬は、足早にブチ犬の車高の低い高級車に乗り込んだ。


 一瞬、追いかけてきた記者もいたが警察じゃないのかと肩をすくめてビルの前に戻って行った。


 署用車に乗らないこだわりが、こんなところで役に立つとはな。


「なんか複雑な気分です」


 ブチ犬は口を尖らせてエンジンをかける。


「そう、ふてくされんなって。始めて高級車でよかったと思ったぞ」

「警官がスポーツカーに乗っていてはおかしいですか⁈ そんな考えがおかしいですよ!」


 俺たちには、貧乏でダサいってイメージがあるんだろ。


 ここに捜査本部のトップがいるのに、最近のブン屋は鼻がかないんだな。


 さて、ニセモノサンタ協会に乗り込みますか。


 そろそろ歩行者天国の時間が終わるからか、道端に警察官の姿がちらほら見える。


 しかし、歩行者は減る様子もなく、ただでさえ回り道をして行かなくてはならないのに右折もままならない。


「十八時まで、待てばよかったですね」と、ハンドルによりかかって悠長なことを言うブチ犬に「いてしまえ」と答えながら、シートを倒して目をつぶった。


「先輩? 眠いんですか?」

「眠いさ」


 朝からどれだけ走らされたと思ってんだ。そのあとにガサ入れに駆り出され、しまいには、二王におうサンタだぞ? 疲労困憊ひろうこんぱいとはこのことだ。


 ほんの少しでも休みたいと口にすると、つぶるまぶたの裏にブチ犬の心配顔が浮かんだ。


 そっと目を開いてみる。


 案の定、ガキの頃から変わらない、すがるような眼差しで俺を見ていた。


「帰りたいですか?」


 だから、なんだ、その質問は。


 帰りたいと思っても帰れないのが刑事デカってもんだろ。


「ふん、帰ったって事件が気になって休めない性分しょうぶんなんだ。それより、まだ進まないのか?」

「渋滞に巻き込まれましたね。先輩、無理しないでくださいよ」


 俺は無理したくないが、周りが俺に無理をさせているんだ。


 ま、可愛い後輩に愚痴っても仕方がない。


「ああ、俺が丈夫なのは知っているだろ?」


 俺は、う〜んと伸びをしてシートを戻した。


 茜色あかねいろの空は藍色あいいろに変わりつつある。この時間帯が俺は好きだった。


 空の色が秒で変化する。取り巻く空気の温度も湿度も変化して、まるで心地よいゆりかごに誘われているようだ。


 眠らない街・東京にも夜のとばりは下りる。


 夜は寝るためにある。


 人間は、そうできているんだ。


 それを……


 歩道から、わぁきゃあと騒がしい声があがる。すでに酔っているのか、派手なドレスに身を包んだオネエの皆さんが真っ赤な口紅を塗りたくった明太子みたいな唇で投げキッスを飛ばしていた。


 家に帰って寝ろよ。


 俺が目をそらした時、車の窓ガラスが激しく叩かれた。


「おうちゃ〜ん! 知らんぷりんなんて〜、いけず〜」


 見ると、派手なオネエ様方がブチ犬の高級車を取り囲んでいた。


「うわっ! 先輩、お知り合いですか⁈」

「し、知らんぞ⁈」

「でも、おうちゃんって呼んでますよ⁈」

「こんなバケモノと知り合いでは……あ」


 知った顔が明太子が割れたような唇を突き出していた。



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