第10話 ため息をつく男


 俺は冷蔵庫に走り寄った。


 中は見事に空っぽ。飲み物もない。棚にも、どこにも、アメひとつ置いていなかった。


 しかし、鍵は室内にあったと資料に書いてある。


 ドアに目張めばりなどされていた形跡もない。


 拘束されていたのか? 逃げ出せたのだとしても、それらしい道具が室内に見当たらないぞ。


 おかしい。なにを見落としているんだ?


 俺はサンタの死にぎわの動画を思いおこした。


「おい、三太さんた九郎くろうは太っていたよな? あれのどこが餓死がしなんだ⁈」


 飢餓きが状態とは思えない体型だ。


「まだ、詳細な検死報告は届いていないんです。とにかく胃と腸の中は空っぽだったそうです」


 二十四時間から七十二時間は摂食せっしょくしていないということか。


 しかし、それだけの時間で餓死することはないはずだ。


 水分も摂取しなければ、そのくらいの時間で死ぬこともあるだろうが……。


「水道は止められていたのか?」

「いいえ。料金の滞納もありません」

「病死の可能性の方が高いんじゃないのか?」

「もちろん。だから両面から捜査すると念を押したんです」

「ブチ犬、お前……」

「はい?」

「なにを隠している?」

「ええ⁈ えええ〜⁈」


 図星か。


 殺人として捜査本部が立ち上がった根拠こんきょが薄すぎる。不審死には変わりないが、毒物などの調査中だとしても死因が餓死だとすると、未必みひつ故意こいの要素が強そうだ。


 しかも拘束こうそくされていた形跡がない。


 そして、本人は大衆の面前めんぜんで絶命した。死因が、犯人が意図いとしたものでなければ過失致死かしつちしになるだろう。


 殺人から、どんどん遠のくぞ。


「おい、俺と捜査したいんだろ?」

「は、はい」

「じゃあ、全部吐け」

「そ、それはー……」

仁王頭におうずファミリーと断絶したと言いふらすぞ⁈」

「えええー! それは勘弁ですよ!」

「なら、全部吐けー!」


 俺は後輩に飛びかかってスリーパーホールドをおみまいした。


 相変わらず細っちい身体だな。


「せ、先輩! 息が……」

「言うか? 全部、言うか⁈」

「く、苦し……」

「すみませんとか、ごめんなさいじゃないぞ? 殺人と断定して大掛かりな捜査本部が立ち上がった理由だぞ?」

「く……」

「く?」

「くぅ〜……」


 あれ、ブチ犬ちゃん? 失神しちゃった? 


 おーい、戻ってこーい。


 俺は雪の結晶模様の絨毯に倒れたブチ犬の頬をペチペチと叩く。


 ブチ犬は数秒で意識を取り戻したが、目を白黒させていた。


「大丈夫か? 簡単に落ちるなよー、相変わらず弱っちーなぁ」

「先輩、ひどいですよ〜」

「すまん、すまん。で?」

「でって……言えない事情とか察してくださいよ」

「いやだ」

「子供ですか!」

「大人だよ? だからこそ、殺人の捜査をしておいて、じつは病死でしたなんて結末は税金の無駄遣いをしやがってと世間に叩かれるだろ? それを最小限にするために動く必要があると思ってんだぞ?」

「わかってますよ。だから自分も……」

「両面から捜査すると指示したんだよな? でも、マスコミは殺人だと盛り上がっているよな? なぜなんだ?」

「ぜ、絶対に誰にも言わないでくれます?」

「ああ、言わない」

らしたら……懲戒ちょうかいくらうどころかトップが入れ替わる騒動になりますよ」


 うわ、なにそれ⁈ 絶対、知りたいじゃん!


「俺を信じろ」

「ここだけの秘密ですよ?」 

「もちのろんだ」

「大丈夫かなぁ〜」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

「二回、言った! 不安だなぁ〜」

「ダイジョブ、ダイジョブ」

「カタコト! 言ったらダメなやつじゃないですか!」


 いいから、早よ、はきやがれ。


 俺は、まだ床に座り込むブチ犬の首に腕を回した。


「うわぁー! やめてください! 言いますから!」

「素直でよろしい」

「素直にしゃべってなんかいませんからね!」

「はいよ。サンタさんが不審死したと消防から一報が入りました。で、警官が病院に駆けつけます。そんで、医師から話を聞きます。で、上に報告します。それから?」

「け、警視総監が……」

「はあ⁈ あのハゲがしゃしゃり出てきたのか⁈」

「いえ……ご友人がマスコミ関係者の方で、サンタの動画が話題になっていると伝え、ハ……が、早急に犯人を捕まえるとその方に宣言せんげんしてしまい……その方が速報で報道してしまい……引くに引けなくなり……今にいたります」


 どこに、ツッコミいれようかなー。


 ん?


「待てよ、サンタが死んだのは午前中だぞ? それで昼のニュースになるとは、早すぎないか?」

「その、ご友人と朝から……というか昨夜からご一緒だったそうで……ホテルで……」

「はっ! 女ってわけか!」

「そのようです」


 ようは、マスコミの女とベッドで、しっぽりかハッスルしている時に、女がSNSのサンタ不審死動画に気づき、ハゲがカッコつけて口走った言葉を、とくダネだとスクープされてしまったってことだ。


 たしかに、これが外にれたら大スキャンダルだな。


「長官に相談したらしいですよ」


 ブチ犬は、警視総監(ハゲ)から相談された俺の親父に呼び出されたと肩をすくめた。


 親父とハゲは旧知きゅうちの仲だが、その関係はあまり良いほうではない。


 これは、かなり控えめな表現で、親父は常々つねづね、ハゲをゴキブリと呼んでいる。


 俺はゴキブリに失礼だと思っているがな。


 で、サンタが二王におうだと知り、優秀なブチ犬に捜査を仕切らせ、さらに優秀な俺さまを巻き込ませたってことだ。


 親父としてはハゲに貸しができて喜んでいるのだろう。


 万が一、捜査が頓挫とんざしてもブチ犬とハゲ(警視総監)の責任にするつもりだ。


「お前、本当に面倒を背負う男だよなー」


 俺は脱力してブチ犬の隣に座り込んだ。


 二王におうの存在だけでも面倒なのに、これは警視けいし昇進試験で、しかも、殺人に持っていかなくちゃぁならないときた。


 幸せいっぱいのクリスマスカラーの部屋で、俺とブチ犬は顔を見合わせる。


 そして、どんよりとした深いため息を同時についた。


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