第5話 長官の男


「えー、みんな聞いてくれ。仁王頭におうずはしばらくサンタ事件の捜査本部に行くことになった」


 課長の言葉に仲間たちは「はーい」と気のない返事をする。


 俺はというと、突然現れた後輩と課長を見比べて、なにがなんだかわからない。


 そうだ、アイスを食べて落ち着こう。


 ガサガサと袋を開け、溶けつつあるチョコ棒にかじりつく。


「先輩、よろしくお願いします」


 いやいや、ブチ犬くんよ。なんで俺がサンタなの? そして、なんでお前がよろしくなの?


 そんな俺を横目に、新人ちゃんがブチ犬に話しかけた。


「あの、もしかして犬淵いぬぶち警視けいしですか? あの、サンタクロース殺人事件の本部長に抜擢ばってきされた?」

「はい、犬淵いぬぶちです。先輩がお世話になっています」


 頭を下げるブチ犬に、新人ちゃんは恐縮して立ち上がる。


「そんな、お世話だなんて……噂どおり、イケメンですね〜」

「ええ⁈ どんな噂かなぁ、怖いなぁ」


 たんに顔がいいだけだという噂だと聞こえなかったのか?


 眉間のシワを深くする俺を無視して、新人ちゃんは目をハートにしている。


 女ってのは、いい匂いに弱いよな。まったく、イヤになるぜ。こちとら汗だくでい! なんか文句あっか⁈


 うわ、俺、臭っ。


 自分の脇に鼻を近づけて吐きそうになった。


「先輩、大丈夫ですか? 事件について話があるのですが」

「お前が俺を捜査本部に入れたのか?」

「はい。久しぶりにご一緒できて嬉しいです」


 相変わらず可愛いことを言うやつだな。


 中学の時にカツアゲから救ってやった縁で、俺と同じ高校から〜の警察学校と金魚のフンのようについてきやがった。


 今じゃ、トントン拍子に出世して俺よりも階級が上の警視さまだ。


 富士のすそのの県警けんけいにいたんじゃなかったのか?


「自分の部屋に来てください」


 そうか警視さまは自室を与えられるんだったな。


 ブチ犬が課長と警部に挨拶をすませる間、俺は簡単に荷物をまとめた。


「桃子、じゃあな」

「下の名前で呼ばないでください!」

「なんだよ、アイス買ってきてやったのに」

「だから受け取りたくなかったんです!」

「生理か?」

「セクシャルハラスメント!」

「セクハラという名のモラハラを受けている気分だぞ」

「私のセリフです!」

「俺のセリフだ!」


 一触即発いっしょくそくはつ状態の俺たちにブチ犬は気の抜けた声をかけた。


「先輩、遊んでないで行きましょう。では、高橋さん、失礼します」


 新人ちゃんは再び立ち上がり、ブチ犬に丁寧に会釈を返した。


 どうやったら、そんなに態度をコロコロと変えられるんだ? 女ってのは本当にわからない。特に若い女は苦手だと自覚しているぞ。


「おい、新人ちゃんの名前、高橋だってよく知っていたな」


 俺は廊下を進む見慣れた背中に語りかける。


 ブチ犬は歩みをとめて、クルリと振り返った。


「先輩のことは、なんでも調べ済みです。隣のデスクの彼女が法科大学院出身の才女さいじょ・高橋桃子さんですね」


 才女かどうか知らんが、変わってる奴だってことは実体験している。


「たしか、現役で司法試験に合格した直後に警察大学校に入学した変わり種ですね」

「司法試験に合格⁈ しかも現役で⁈ あの桃尻ももじり桃子が⁈」

「桃尻だって知っている仲なんですか⁈」


 おい、ブチ犬よ。なぜ気色けっしきばむんだ。そして、廊下で大きな声で言っていい単語ではないと思うぞ?


「知らん」


 ブチ犬は辺りを警戒するように見回してから脱力した。


「まったく、先輩のペースに乗せられないように気をつけるつもりだったのに……」


 なにをブツブツ言ってんだ。早く、部屋に案内しろ。


「はいはい。こちらです」


『新宿サンタクロース殺人事件捜査本部』と書かれた半紙はんし、通称・戒名かいみょうの前を通りすぎ、俺とブチ犬は応接セットの揃った部屋に入った。


 ふーん、こんな部屋があったなんて知らなかった。


 それにしても捜査本部は一番デカイ総会議室をあてがわれたのか。


 そんなにデカイヤマなのか?


 俺はソファーにドサッと座った。階級は下だが、遠慮する間柄ではない。


「で? 俺を呼んだ理由は? ってか、どうしてお前が抜擢ばってきされたんだ? 県警けんけいからここに異動になったのか?」

「えーと、まず、異動になったわけではありません、出向しゅっこうです。抜擢ばってきされた理由は警視けいし試験テスト事件ケースがあまりにも簡単に解決してしまって、上が、もっと経験をさせようと思ったのではないかと想像しています」


 警視の筆記試験に合格すると実践の評価も行われる。あまりにも統率力や情報収集力・解決力に欠けると判断された場合、合格が取り消しになる。


 簡単に解決したのは、お前の優れた采配さいはいのおかげなんじゃないのか?


長官ちょうかんに聞いてみてくださいよ」


 長官? ああ、親父おやじか。


 俺の一族は、この国を守る警察庁のトップを多数 輩出はいしゅつしているエリート一族だ。


 で、俺の親父は現役の警察庁長官。兄貴は愛知県警本部長を、姉貴は本庁で警視長をやっている。


 高校時代に荒れに荒れた俺だけがノンキャリアの刑事デカってわけだ。


 ブチ犬はおふくろのお気に入りだ。可愛い次男坊の後輩がたなぼたで警視に合格したと後ろ指をさされないよう、おふくろに泣きつかれて配慮したってとこか。


 でもって、検挙率けんきょりつナンバーワンを保持して、かろうじて一族に泥を塗っていない俺を頼ってきたってことは、捜査が行き詰まっているのか?


 ありゃ? 捜査本部が立ち上がったのは今日だよな?


 それで、行き詰まっているなんて有り得ないでしょ⁈



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