第3話 下の名前で呼ぶ男


 俺は仁王頭におうず王仁おうじん。警視庁捜査一課の刑事デカだ。


 運動神経抜群で頭脳明晰。おまけに顔もいい、非の打ちどころのない完璧な男だ。


 おっと、つい口から出ちまった。


「性格だけはダメダメですよね〜。顔は……微妙?」


 隣のデスクから新米しんまい刑事デカが肘をついて口をはさんでくる。


「新人、黙ってろ!」

「私、三年目ですよ。もう、新人じゃありません!」

「三歳なんて、やっとオムツがはずれたくらいだろ。うんこついてんじゃねーのか? いてやろーか?」

「それ、セクハラです!」

「三歳児にセクハラが成立するかってーの」

「します!」

「“ママがあたちのお尻を触るの、懲役三年を求刑してくだちゃい” って、言うんかい!」

「言います!」

「言わねーだろ!」

「では、証明してください!」

「へ⁈」

「三歳児はそんなことを言わないと証明してください。出来なければ私の勝ちです!」

「うぐぐ〜……」


 この三歳児に口で勝てたためしがない。


 なんで俺がそんな証明をする必要があるのかと言い返しても、倍返しにされてセクハラを認めることになるだけだ。


 法学部出身の変わり種のお嬢ちゃんは、なにかにつけて俺に噛みついてくる。


 まあ、俺は大人だから、いつも大人しく負けてやってんだけどな。


 お、大人しいは大人らしいからなのか!


 新発見だぞと変わり種のお嬢ちゃんに笑顔をむけると「成熟している・思慮しりょ深いという意味なので、仁王頭におうずさんには、まったくもって、これっぽっちも当てはまりません」と、にくたらしく言い返された。


 グサッとくるわ〜。


 一人、傷心しょうしんしていると今度は課長にどつかれた。


始末書しまつしょ、今日中だぞ」


 俺はデスクに山のように積まれた始末書と課長のメモを見比べる。


 まずはマンションの駐輪場の屋根がへこんだ件。次に信号を無視した件。その時に車の衝突事故を引き起こした件(数件)。歩行者を転倒させた件もある。


「課長、この歩行者は大丈夫だと立ち去ったんです。なので……」

「ホシが転倒させた件だ」

「それも俺の責任なんすか⁈」

「過度の追跡だったんじゃないかと上がうるさいんだよ。死者が出なかっただけ感謝しろだと」


 クーラーの効いたデスクから尻ひとつあげないお偉いさんに、なんで感謝せなならん⁈


 真夏の炎天下を走り回って容疑者を逮捕した俺に感謝せんかい!


「それと、桃子」


 課長は新人ちゃんになにやら書類を渡した。


「課長、下の名前で呼ばないでください」

「この治療費、却下きゃっかな」


 病院の領収書だったようだ。


「なぜですか⁈ 追跡中の負傷ですよ⁈」

「お前は仁王頭におうずの上着を拾ったついでにコケただけだろ。そんなもん却下だ」

不当ふとうです!」

「却下なものは却下だ」


 勤務中の怪我けがは医療費を請求すれば給料にのせられて返還されるはずだったのにな。


 俺はあわれみを込めて目を細めた。


「残念だったな、桃子」

「下の名前で呼ばないでください!」

「赤チンつけてやろうか? たかちん」

「変なあだ名をつけないでください!」

「痛いの痛いの飛んでけ〜してやろうか? 高橋桃子」

「フルネームで呼ばないでください!」

「モモ〜コ・タカハ〜シ」

「私は日本人です!」


 ついに、三年もデスクが隣同士の新人ちゃんが、どいつもこいつもセクハラにパワハラだのと、ブチ切れ始めた。


 ほかの奴らは、一瞬、顔を上げたが、また始まったとばかりに自分の仕事に戻っていく。


 俺ひとりが腹を抱えて笑っていると、課長から「そこの三歳児二人! 仕事しろ!」と、一喝された。


 へーい、仕事しまーす。


 俺が目尻の涙を手でいて始末書しまつしょに向き直ると、ふいに「仁王頭におうずいるか?」と、声をかけられた。


 顔を上げると、捜査四課の課長が俺の姿を一瞥いちべつし「仁王頭におうず、借りますよ」と、俺んとこの課長に断りを入れている。


 課長は慣れたようすで、どうぞと手をひらひらと振った。


 いやいや、本人に了解を取れよ。俺は忙しいんだっ。


仁王頭におうず、来い」


 お願いしますは?


「早く!」


 捜査四課は組織犯罪対策課だ。通称・マル暴。そこの課長・鬼塚は暴力団員よりも暴力団員らしい風貌ふうぼうで恐れられていた。


 そして中身はヤクザよりもタチが悪い。忙しい俺さまを気軽に呼び出しては人手不足を解消しようとしやがる。


「鬼塚さん、またガサですか?」


 ガサとは家宅捜索のことだ。何ヶ月か前に手伝った時は、実は切符(令状)がまだ届いていないのに、俺を時間稼ぎとばかりに放り込みやがった。


 俺がヤクザ相手に大乱闘を繰り広げている間に令状が届き、その後、無事に全員、逮捕することができたってわけだ。


 その、お礼がヤクルト一本だぞ? あ、絆創膏も一枚くれたな。


 両鼻から鼻血をらして、顔面 れあがっている人間に絆創膏一枚だぞ⁈


 それで、礼はしたとのたまうんだから、タチが悪い以外のなにものでもない。


「今度は大丈夫だ」


 いや、答えになってないしー!


仁王頭におうず、早く行け!」


 課長〜、そりゃあ他部署との連携が殺人課である俺たちにとって大事なのはわかってますよ。


 でも、前にフルボッコされて戻ってきた部下を少しは心配してくださいよ〜。


「ぴえん」


 この使い方はあっているか?


 新人・高橋桃子はグッドと親指を立てていた。


 よし。


「でも、古くて年寄り感満載ですね」


 誰が年寄りだっ。


仁王頭におうず、早く!」


 へいへい。行きますよ、行けばいいんでしょ。


 俺は乳酸の抜け切らない足に力を込めて立ち上がり、椅子にかけてあった上着をつかんだ。


 そうだ、礼がまだだったな。


「桃子、上着を拾ってくれてサンキューな」

「下の名前で呼ばないでください!」


 そう照れんなよ。


 さて、現場に向かいますか。


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