第7話

 王城はたくさんの木々に囲まれた、すべらかな白木の建造物だった。ただし、建物は周囲の街並みと等しく黒ずんで、年をかさねた木々は葉を落とし、むき出しの枝が奇怪な模様を屋根に差し掛けていた。

 ほりにかかった橋を渡り、城門の中までバイクで乗り入れる。門にもライフルを持った兵士が立っていて、うるさくエンジンをうならせてやってきた僕たちに迷惑そうな視線をよこした。ここでもモルタが自分たちの人数を告げ、立ち入るための許可を取っていた。

 前庭でバイクから降りるなり、ノラユとモダが土に向かって吐いた。黒い土の上に、白っぽい液体がこぼれて湯気を立てた。

「吐いたものは、自分で埋めとけよ。中では絶対に吐くんじゃないぞ」

 モルタが、マフラーにはねたおう物を慌ててぬぐう見習いたちをにらみつける。移動と大量死のこんせきに内臓を揺さぶられ、青い顔をして泣くノラユの背中を、アスユリがさすっていた。

「おい、大丈夫かよ? 今回は期間が短いんだ、子守りまでしてられないぞ」

 ユキタムがわざと全員に聞こえるように言い、入口の前で僕たちを見回した。

「この城の中にある書物を持ち帰れば、将来、アスタリットだけじゃなく、メイトロンで生き残った人たちのためにもなる。しゃきっとしろよ。メイトロンの文化を死なせるな」

 きつけるユキタムへ、見張りの兵士がかすかなさげすみのこもった視線をよこした。それに気づいたはずなのに、涼しい顔をしたままニノホが先に歩き出す。写本士たちは背の高い扉を抜け、メイトロンの王城へ踏み入っていった。

「……お前、よく平気だな」

 ホリシイが、こっそりひじでつついてきた。戻しこそしなかったものの、ホリシイは顔を真っ白にしている。僕だって、ちっとも平気なんかじゃなかった。自分が歩いているのが不気味なくらいだ。ただ、あまりに途方もない破滅のあとを駆け抜けてきて、僕の頭はしてしまったんだ。

 人が生きていた街。古いメイトロン龍国の母語で書かれた、僕には読めない看板の文字。狭い路地に立てかけられていた自転車やほうき、たぶん犬らしきものの黒いがい

 この光景を文章にするなら、どう書けばいいのだろう。

 書くなら、人に読ませるに充分なものを。

 ナガナ師の警告が耳の奥に甦る。王城へ立ち入る直前、僕は黒ずんで死んだ庭園と、その向こうに浮かぶ気球群と飛空艇をふり返った。


 アスタリットとヴァユとの戦争のとき、メイトロンはふたつの国の補給ルートであり、戦場だった。戦争当事国であるアスタリット、ヴァユ両国よりも、メイトロンで戦場となった土地の面積の方が広いという。密偵の疑いがかかって両方の国から追われ、処刑されたメイトロン人は五百人を下らないともいわれている。

 この国で書かれたものは不思議だった。アスタリットと同じ言語で書かれているのに、メイトロンの本は意味のつかめない表現にたびたびぶつかる。文章や物語がはじまりから終わりへと進んでゆくのではなく、何度も円環を描くように、行ってはまた戻りをくり返す。だけど決して堂々巡りにはならず、まるで時空を自在に行き来する思考によって書かれたかのような印象を受ける。メイトロンの人々は、僕らとは精神の構造がちがっているのではないか。そう感じることが何度もあった。

 ふたかかえはある太い柱の並ぶ広間を、奥へと進んでゆく。木の床は継ぎ目もわからないほど平らで磨きがかかっており、靴のまま踏んでいいのかとためらわれた。

「……立派そうに見えるけど」

 ニノホが、絵の施された天井を見上げる。

「建て替えられたばかりなんだよね、この城。戦争で一度めちゃくちゃになって、王族の信頼も落ちて、ようやく国民からの支持が戻って王城も再建して──結構急ごしらえだから、あちこち補修しながら維持してるはずだよ」

 高い天井は四角く仕切られていて、そのひとつずつに多様な図柄の絵が描かれている。人、植物、獣、鳥、天候、星、龍……

「とてもそんなふうには見えないけどなあ。王さまが住む場所なのに、そんなおざなりなこと、するもんかな」

 ユキタムが眉をひそめると、ニノホは顎を上げて長い髪を揺らした。

「確かに、誰かさんの鞄の中身よりは、ずっとちゃんとしてるわね」

「うるさいなあ。あれは……」

「前の任務のときだったね。鞄の中で水筒が開いて、ノートがびしょれになったの」

 二人の後ろでアスユリが小さく笑うと、ユキタムは口をとがらせてそっぽを向いた。

「不測の事態だったんだよ。ノートがだめになったのは、インクの溶けやすい紙のせいだし……」

「溶けやすいのをわかってて水筒のふたをきちんと閉め忘れるなんて、信じられない」

 ニノホが同輩をにらんで、黙らせた。

「王城の書庫は、本殿の北の角」

 軍が作成した城の見取り図を確かめる。どうもニノホは機嫌が悪いみたいだ。

「そのほかは、写本士立ち入り禁止の部屋ばっかり。……まあいいや。今日やるのは、救出する本のリストアップ。大事な仕事だから、見習いたちはよく見て覚えること。三日目以降は、ふた手にわかれて街に残っている本も探索する」

 王城の書庫だけを調べろと言われたはずだけど、ニノホに異議を申し立てる者はなかった。

 僕たちは、長い長い王城の廊下を進んでいった。ここでも兵士たちがライフルを手に、扉の前や曲がり角ごとに立っている。異様に緊張感が漂っているのは、アスタリットから軍の高官が基地を訪れているからだとニノホが説明した。

「ここにアスタリットの暫定当局を立てるつもりね」

 ニノホがささやくと、モルタが顔をしかめた。

「はぁ? それじゃ、もう一度メイトロンを植民地に──」

 廊下にいる兵士がまなざしだけをこちらへ向けているのに気づいて、ニノホが「しっ」と会話を打ち切る。

 ごとんごとんと、革靴の足音がやけにうるさく響いた。

 早く、ペンを動かしたかった。どこかにしゃがんでノートを広げ、なんでもいいから書きたかった。すでに習得した字体を一から復習するのだっていい。ペンを走らせていないと、インクがペン先から生まれて紙に定着するのを見ていないと、気が変になってしまいそうだった。

 王城の中にもともといたはずの人たち、この建物の主だったはずの人々は、影も形もない。それなのに建物の内部はどこも乱れていない。

 僕たちこそが、侵入者だ。

 そう感じたのをまるで見透かしたみたいに、廊下を進みながらニノホが言った。

「塵禍が過ぎ去ったあとには、かならず略奪者が湧く。人だけが消えて、財産がそっくり残された土地に。──だけど、わたしたちだって、立派な略奪者の一員かもしれない。もともとの国民からは、そう思われたって仕方ないかもね」

 ニノホの背中で、長い髪がリズムを刻んで揺れる。

「……ニノホ。だめだよ、この子たちははじめてなんだから。自信をつけさせないと」

 アスユリが声をひそめて忠告したが、ニノホは肩をすくめただけだった。

 王族が住む場所だけあって、建物はどこを見ても壮麗だった。アスタリットの建築様式とはかけ離れているけれど、高度な技術を使って建てられたのだということはわかる。一本の木から削り出された巨大な柱が幾本も、天井を支えている。天井と壁の境の雲の形の透かし彫り。金粉を混ぜ込んで施された壁画と天井画。ニノホの言うとおりなら建物自体に長い歴史はないのだろうが、それでも美しかった。すさまじい技巧が凝らされているのだと、詳しくない僕でも推測できる。

 ここから書物を持ち出したりして、ほんとうにいいのだろうか? いまにも、この城にふさわしい所有者が現れるんじゃないか──ここで国を治めるのにふさわしい者が、生き残ったメイトロン国民の中から。

 廊下の左側から、ちらちらと揺れる光がこぼれ込んだ。空だ。中庭があり、その上の雲間から光がさしている。それを見たとたん、ぐらりと頭の中身が回転した。どうやらモダたちが外ですませてきた吐き気が、やっと僕にも訪れたらしかった。

 口を押さえて壁に駆け寄る僕を、ニノホがため息交じりにふり返る。

「中で吐いちゃだめ。書庫の入口はあのドアだから、迷わないわね? 中庭ですませてきて」

 うなずく僕を心配して、ノラユがついてこようとしたけど、ニノホが許さなかった。とにかく重厚な床に汚物をぶちまけることだけは避けなくてはと、出口を見つけて中庭へ急いだ。

 木でできた簡素な階段を駆け下りると、まるで別の場所へ迷い込んだような錯覚が、平衡感覚をおかしくさせた。

 空からさす光は金色で、手で触れられそうなほどくっきりとした温度を持っていた。そして、緑。前庭の無残なありさまとちがい、ここの植物たちはまだ生きていた。庭の四方は細い溝で囲まれ、水が流れている。人工物なのか自然なのかわからない、澄んだすい色の池がある。塵禍が襲ったあとでなければ、豊富な種類の虫や鳥が戯れていそうな庭だった。いまがほとんどの植物が葉を落として寒さに耐える冬で、もうすぐ年が新しくなる時期だというのを、この庭は忘れてしまったのかもしれない。

 茂みの陰に身をかがめて胃が空っぽになるまで吐くと、僕は思う存分空気を吸った。清澄で湿った空気で、肺をふくらませる。メイトロンは湿度が高いと感じたけれど、外とは比較にならないくらいにここの空気はみずみずしかった。まるでつい数時間前に、雨が降ったかのような……

 中庭のあちらこちらに、腰の高さほどの石像が立っていた。何かの生き物の形をしているらしいけど、にゆうるいなのか両生類なのか、それすら判然としない、奇妙な造形だ。

 胃の中身をぶちまけて少し体が軽くなると、中庭のようすにきつけられた。図書館の建つ丘には、菜園があり、ふもとの森へ出かけたことも何度もある。だけど、こんなに豊かな植生は見たことがなかった。本の中、文字でならこんな光景に出会ったことがあるけど、自分がそんな景色の中に立ち入るのはまったくのはじめてだ。

 僕は白い玉砂利の敷かれた小道を、庭の中心へ向かって歩きはじめた。珍しい植物が、それぞれの形の葉を広げ、呼吸をしている。花はない。いまはその時季じゃないのだろう。よく観察すれば、土からまだ硬い芽だけを宿して突き出ている細い切り株もあり、暖かくなればこの庭がどれほどにぎわうのだろうと想像させた。

 僕はほとんど、何かに導かれるように歩いていた。庭の造りが、人を誘い込むようにできているのかもしれない。ちりん、と音が鳴る。見上げると、木の枝から枝へ細い糸が張り渡され、その赤い糸に、金色の鈴がいくつも結わえられているのだった。鈴と一緒に紙でできたらしい飾りが垂れている。よく見れば庭のあちらこちらに、同じような飾りつけがあった。紙の飾りには何か文字が書かれているが、メイトロンの古語なのか、読めるものはひとつもなかった。この国の、冬至祭りか何かの飾りだろうか?

 小道の形状、石像と植物の現れる順序、そういうものが奥へ奥へと足を進ませる。庭の奥にある何かに向かって。

 小道のつきあたりにひときわ古そうな巨樹が構えていた。ひと目見てこれこそが庭の主なのだとわかった。何年、何百年ここに根を張っているのか想像もつかない、堂々たる巨大さだ。大きさだけでなく、その形も異様だった。何百という枝から気根が垂れ、幹の前面はごっそりえぐれて空洞になっている。人工的に彫られたのではなく、どうやら自然にこの形に育ったらしい。

 なめらかな凹凸としわの寄った樹皮、シダなどの着生植物が柔らかな葉を差し伸べる、それは人の手を使わずに生まれた聖堂のようだった。

 腹の底を、さらさらと寒気がよぎった。

 ここに、人の背丈よりはるかに大きくまろやかな空洞に、何かがいたんじゃないか──この空間にふさわしい何かが。

 おそるおそる幹の表面に手を触れ、空位の樹の洞を見上げた。みんなのところへ戻らなければという焦りを、僕は自分の手足にうまく伝えることができなかった。

 頭上でかすかに枝が揺れる。

 顔を上げた。大樹の枝に、小さな影が見える。

 視線が合う。まばたきをする目が、こっちを見ている。

 動物……じゃない。子どもだ。

 とたんに、どうが突き上げた。生存者? 都市ごと塵禍にまれたのに、生きている者がいたのか? 軍の人間じゃないことは明らかだった。枝に隠れてはっきりと確認できないけれど、幼すぎる。僕らの仲間の誰かでもない。

 とっさに僕の喉から、ひしゃげた音が漏れた。呼びかけようとしたんだ。みんなみたいに。枝の上の顔が、首をかしげた。でも、決して下りてこようとはしない。

 何かを書いて伝えようとノートとペンを取り出しかけて、ここからでは相手に文字が見えないだろうと思い直した。みんなに知らせなくては。あそこに誰かいる、生き残った誰かが。

 あたふたときびすを返しかけたときだった。その声が耳にみたのは。

〈誰?〉

〈──え?〉

 驚いた。話しかけられたことにではなく、自分がすんなりと返事をできたことに。ありえないことだった。僕は返答していたんだ、声を使って。

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