第3話

 はりぼてのドラゴンがホットチョコレートの湯気を引き連れて、中央のテントの周りを踊っている。

 サーカスの照明は観客がうっかり転倒しない程度に辺りを照らしてはいるけれど、控えめで、冬の星座はひとつもかすれていなかった。名前のない星も、いつもと変わらず夜空にある。移ろう星座の動きに乗ることなく、いつもと同じ位置から、サーカスを見下ろしている。

 ゲートをくぐるとまず見えてくるのは魔術師のテントで、入口からは絶え間なく細かなシャボン玉が湧き出ていた。去年までいたチケット売り場のわきの小柄な曲芸師は、今年はいなくなっていた。どこかのテントで技を見せているんだろうか。

 魔術師と占い師のテントのあいだには大小さまざまのおりがならんでいて、いつまでも歳を取らない猛獣使いの女の子が一人で番をしている。全身が真っ赤なクジャクはアクイラ翼国、てのひらに載るほど小さな象たちはトトイス円国で生まれた生き物だ。退屈そうな顔でおけに半身を浸している人魚は、ナビネウル鱗国の出身だろうか? 去年はいなかった新顔だ。

「コボル、大丈夫?」

 ぼそりと小さな声で、ノラユがいてきた。僕はうなずきながら、ふいに襲ってきた気持ち悪さに口を覆う。

「すごかったよなあ」

 ホリシイが笑いをみ殺しながら、ひじで僕の脇腹をつついた。

 正直なところ、まだあしもとがおぼつかない。噂には聞いていたけれど、ニノホの鯨油バイクの運転があんなにも乱暴だとは思わなかった。任務地で見習い写本士は同じ流派の先輩と二人組で行動するので、今日のサーカス見物は、乗り物の訓練も兼ねていた。十五歳ではまだ法律上運転できないから、見習いは全員、自分と組む先輩写本士の後ろに乗るんだ。

 ……だけど、ニノホだけほかの写本士たちと走り方が全然ちがっていた。宿舎の裏から、ホリシイの先輩であるユキタムと競うように発進したときから、なんとなく不穏な空気は感じていたけど。

 菜園の外側の下り坂をふもとの街まで、わだちあとのついた道を、ニノホのバイクは飛ぶように走った。文字通り、何度かは飛んだ。タイヤが完全に宙に浮く瞬間が何度かあって、そのたびニノホは短い歓声を上げていた。カーブのたびに後ろに乗った僕はふり落とされかけ、体をさらおうとする重力をいやというほど味わった。僕の安全への配慮も僕が味わっている恐怖も、ニノホは平気で無視した。一度も地面に投げ出されずに広場までたどり着いたのは、ほとんど奇跡といってよかった。

 あれに、メイトロンでも乗るのか……無事に帰ってこられるのか、心配になってきた。

「約束通り、ユキタムのおごりだよ」

 くしに刺さった飴菓子を手にいっぱい持って、ニノホが僕たちの方へ歩いてきた。高くくくった髪を揺らすニノホの後ろを、青い制服のユキタムがついてくる。先輩たちは、誰が真っ先にサーカスへ到着するか、けをしていたらしい。

「もうよそうぜ、結果がわかってて賭けるの。……ニノホは、軍に入ればよかったんだ。写本士が任務地であんな走り方したら、即刻送還されるぞ」

「ちょっと、ユキタム」

 アスユリが慌てた顔で、ブルー派の仲間を肘で小突いた。

「任務地じゃできないから、ここで思いっきり走るんじゃない」

 けろりと答えて、ニノホは見習いたちに、色とりどりの飴菓子を二本ずつ配った。飴の中に、小さな果物が閉じ込められている。

「あんたたちは、固まって行動してね。二時間後にバイクのところに集合。じゃ、あとで」

 一方的に告げると、ニノホはアスユリと連れ立って屋台の方へさっさと歩いていってしまった。モルタはすでに一人で行動していて、どこにいるのか誰も知らなかった。ユキタムは肩をすくめ、見習いたちに示しをつけなくてはと思ったのか、飴菓子を手渡された僕たちを指さした。

「そのマフラー、なくさないようにしろよ。貴重品だからな」

 先輩写本士たちも僕たちも、そろいのマフラーを首に巻いている。これも制服の一部で、目を細かく編んだマフラーは、鼻の上まで引き上げてマスクとしても使えるようになっていた。塵禍の被害に遭った土地には粉塵が残っていることがあり、このマフラーは防寒のためだけでなく、呼吸器を守るための装備でもある。

 言われたとおり、僕とホリシイ、モダとノラユの四人でテントのあいだを練り歩くことにした。飴菓子は頭がしびれるほど甘くて、中の果物はいくらか汁気を失っていた。食べおわるとホットチョコレートを買った。日が暮れて気温は下がっているのに、サーカスにいると寒さは感じなかった。僕らがさっき食べたのと同じ飴菓子を持った子どもが、親らしき大人と手をつないで歩いてゆく。

 僕はサーカスが好きだ。サーカスの人たちは、座長やホットチョコレートの売り子をのぞいて、おおむねしやべらない。占い師はよく喋るらしいけれど、僕はテントに入ったことがない。口から生まれる言葉を使わずに、一風変わった人たちが、訪れた客を魅了し、楽しませている。このサーカスのどこか、ほの暗いひとすみに、ひょっとして僕の帰る場所があるんじゃないかと、そんな気持ちになる。

 いつでも丘の上に構えている図書館とちがって、サーカスは興行の期間が終わると、この街を去ってしまうのだけれど。

「メイトロンの龍は、あかいんだって」

 踊りつづけるはりぼてのドラゴンを見上げて、ノラユが言った。いつも気弱そうで青白い顔が、今夜はほのかに上気していた。ホットチョコレートのせいなのかもしれないし、図書館での平服よりもずっと温かい新品の制服を着ているせいかもしれない。

「あれ? 青いんじゃなかったっけ? メイトロンの神話の本をいくつか読んだけど、海と同じ色をしてるって書いてあったぜ」

 ホリシイが首をかしげると、ノラユがうなずいた。

「うん、わたしも読んだ。……何百年かに一度、紅い龍が生まれるの。それは大きな変化の兆しで、特別丁重に扱われるんだって」

「……龍は、伝説上の生き物だよね?」

 モダがたいして興味もなさそうに、青い目の蛇を肩にわせている曲芸師をながめる。

「メイトロンの王族は、龍の血を引いてるとも書いてあったぜ。龍の力で国を治めているんだって」

 ホリシイが口をはさむけど、屋台で買ったドーナッツをめいっぱい頰張っているせいで聞き取りにくい。

「ただの伝説だよ、そんなもの」

 モダが唇をとがらせる。しかめっ面をすると、モダの丸顔がモルタに似るので不思議だ。

「──だけど、これからメイトロンはどうなっちゃうんだろう。王族のいた王都が、塵禍にやられてしまって。ほかの土地が無事でも、これじゃ、アクイラと同じようになっちゃうかもしれない」

 ノラユの声は、古い物語を読み上げるような響きを帯びた。僕たちもつられて、それぞれ神妙な面持ちになる。これから自分たちが赴くのは、大勢の人が死んだ場所なのだ。

「ノラユとアスユリは、アクイラの出身なんだっけ」

 ホリシイが問うと、ノラユはサーカスに視線をさまよわせながらうなずいた。

「そう。といっても、わたしもアスユリもアクイラで暮らしたことはなくて、親たちがアスタリットへ移住してきたの。だから、どこにもほんとうのすみがないような気が、いつもする。メイトロンからも、そんな人が出てくるのかも……」

 ノラユのまだ幼げな横顔に、読み取りがたい表情が宿り、言葉にしきっていない何かが白い息になって吐き出された。息はテントの上空を舞うドラゴンへ届くずっと手前で、夜空に溶けて消えてしまう。

 はりぼてのドラゴンは、支えも操り手も必要とせず、ゆらゆらと空中をうねっている。その体は金と緑の格子模様に塗りわけられていて、紅くはなかった。どこを見るでもないすみれいろの目玉が、サーカスの全体とその上の夜空を映している。音楽に合わせて、ドラゴンは作り物の体をくねらせつづけていた。

 しま模様の襟巻をつけた銀色の熊が、背中に道化師を乗せて向こうの通路を歩いてゆく。その後ろから、ふわふわと浮かぶ風船の群れが近づいてきた。ワニの頭骨のお面をかぶった風船売りと、背の高い奇術師が腕を組み、寄り添いながらこちらへ歩いてくる。

「こんばんは。いかがですか、おひとつずつ」

 金色に近い砂漠の色のしようをまとった奇術師が、僕たちに頰笑みかけた。頭髪をすっかり剃り上げているせいで、表情がとても広々として見える。確かこの奇術師は、いつも中央のテントにいるはずだ。一昨年だったか、一番背が高く大きなテントで、この人が指先に乗せた象をまばたきのあいだに消してしまうのを見たことがある。

「丘の上の図書館のみなさんでしょう? これから外国へ行かれるとか」

 二人のサーカス芸人の上で、銀色と紺色に塗りわけられた風船が揺れている。紐の先におみくじを結わえた風船だ。しゃべらない風船売りと腕をからめ合った奇術師に尋ねられ、僕達はまごついて、顔を見合わせた。サーカスでこんなふうに話しかけられるのは、はじめてのことだった。ごくんと口の中のドーナッツを飲み下したホリシイが、真っ先に向き直り、うなずいた。

「メイトロン龍国へ行くんだ。塵禍の被災地から、本を救い出すんだよ」

 奇術師は、サーカス流の所作でうなずき返した。大きな目と大きな顎。ひとみはほのかに青みがかり、角度によって金色にも見える不思議な色をしていた。

「龍国では、白亜虫とかいう虫が大量発生しているとか」

「そうだよ。そいつらが本の中身を食い荒らす前に、図書館へ救出してくるんだ」

「アスタリットで、救出した書物を保管しているのですね」

「それだけじゃなくて、必要とする人のもとへ届くように、写本士が書物を複製するんだ。俺たち全員、もうすぐ見習いが明けて、正式な写本士になるんだよ」

 はじめて口をきく相手にも、ホリシイはものじしない。それどころか、サーカスを訪れている高揚感と任務を前にした期待がないまぜになって、その声ははずんでいた。

 奇術師が笑みを浮かべると、口の両脇にくっきりとしわが並んだ。

「それはすばらしい。ぜひサーカスからのお祝いを贈らせてください」

 奇術師が両手の指先を合わせ、大きく広げると、空中に包み紙を数珠つなぎにしたチョコレートが出現した。先日終わったばかりの冬至祭の飾りみたいなチョコレートだ。奇術師との距離が近いので、どこに隠してあったのか見えるかと思ったけれど、それはなにもない空気の中から出現したようにしか見えなかった。

「よい旅を」

 奇術師はチョコレートの鎖を一人一人に渡すとそう言ってお辞儀をし、風船売りだけをその場に残して立ち去った。

 風船に結わえられたおみくじは、十歳で外出を許可されるようになってから、サーカスへ来るたびに買っている。冗談半分で読んで、すぐ忘れてしまえるところがいい。占い師に予言を求めるほど未来に興味はないけれど、風船売りのおみくじはほんのひととき、未来や過去や僕たちのいまを、意味のあるもののように錯覚させてくれる。おみくじの風船を、僕たちはひとつずつ買うことにした。

〈真水を飲み干すこと 吉なり〉──ノラユの風船のおみくじ。

〈歌う鳥の声 く聞くべし〉──モダのおみくじ。

〈月の重力をあなどるなかれ〉──ホリシイのおみくじ。

 僕のには、こんな言葉が書かれていた。

〈雨は吉 雪ならば凶〉

 それぞれの託宣を見せ合って、僕らはあいまいに笑った。毎年そうだけど、サーカスのおみくじには意味のわからないことばかり書かれている。奇術師がくれた数珠つなぎのチョコレートをそれぞれ首にかけ、ごく短い言葉の書かれた紙を、開いたときとは反対の折り目でたたんでまた紐の先にくくりつけると、四つの風船を夜空へ放した。

 シャボン玉の群れを抜け、ドラゴンの背中のとげをかすめながら、風船たちはあっというまに上昇し、見えなくなった。

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