第32話 橋の対価

 待ってる。まだ待ってる。ずっと待ってる。

「どこまで行ったんだあいつは、つい、ぼのってしまったじゃないか」

 脇で、一生懸命剪定と間引きを行っている、獣人、いや亜人だったな。


「ところで、あんた名前は?」

 チョキチョキと剪定をしている彼に聞いてみる。


「ベドジフとユスティーナの子」

「それは、親父さんと母親の名前だろう」

「そうだ。個別の名前などない。他にもプリミスと呼ばれている。一番目という意味だ」

 そう言って笑う。


 そうか、名前すらないのか。


「……父親は、名前以外知らないが、母親からは、ラグドールと呼ばれていた」

 しらっと、そんなことを告白してきた。

 あるじゃないか、名前。俺の同情を返せ。


「じゃあ、それが名前だな。きっと。彼女は?」

「かわいいよ」

「じゃなくて、名前は?」

 そう聞くと、いきなり警戒を始める。


「名前を聞いて、どうするつもりだ?」

「助けるときに、困るだろう」

「助ける? そうか……」

 警戒というか、人を信じないというか。そういう生活環境だったのか。


「彼女は、サイベリアンという」

 彼はそう言ったまま、意識がどこかへ行ったらしい。

 にまにましたり、泣き始めたり。どうも、多感なお年頃らしい。


 そうして、その後。葡萄の剪定テクと、重要性についての考察と推論を十分聞いた頃。

 遠くの方から、疲れ果て、憔悴しきった様子で歩いてくる馬鹿が、やっと帰ってきた。


「お疲れだな」

 魔法で、水の玉を浮かべる。

 それを見て、飛びつくヌフ。

 元気じゃないか。獣人の身体能力恐るべし。


「ひどいじゃないですか。追いかけていたら、姿が見えなくなって。置いていかれたと思い、必死で走りましたよ」

「勝手に突っ走ったのは、あんただ。身体強化の一段目とはいえ、凄い脚力だな」

「それが獣人の獣人たる所以(ゆえん)です。我らトラ系は、そこに居る猫系とはとは違うのですよ猫とは。格が違います。おっと、亜人と獣人。そもそも身体能力が全然違いますけどね」

 ナチュラルに、馬鹿にする言葉が出るくらい。差別が普通なんだな。


「まあいい。あんたに用事ができた。橋の対価を払って貰おう」

 そう言うと、ビクッとする。

「夕食で、何卒。対価を払うのは、貴族のメンツとして行いますが、今少し、都合が悪くてですね」

「そんなものは、要らん。そのかわり、このベドジフとユスティーナの子だったか、それと」

 そこまで言うと、口を挟んでくる。


「そこの亜人は、男ですが。やはり」

「やはり、なんだ? つまらないことを言ったら殴るぞ」

「あっ、いえ。性癖は、個人の自由ですよね」

 そう言いながら、何故か腕を組み頷いてやがる。


「まあ、それとだな、サイベリアンという子。この二人を自由にしてもらおう」

「そんな事でよろしいのですか? 財産とはいえ、あの橋とはとてもじゃないが釣り合いませんが?」

「ああ良い」

 後ろから、ラグドールが会話の途中から、服を引っ張り始めていたが、無視をしているとバシバシと叩き始めた。


「ラグドール。気がついていない訳じゃない。話し中だろう」

「いや、そんな事より、この人、いやこの方は?」

「ヌフ・コンストリュイールだったよな?」

 本人は、凄く嬉しそうに頷く。


「コンストリュイール男爵家の、長男のようだ」

 そう言うと、話を聞いたラグドールはひれ伏す。

「申し訳ありません」


 それを見て、平然とヌフは返す。

「普段なら、鞭うちだが、今は良い。許す」

「ありがとうございます」


「さてと、彼の放棄の話。どちらにしろ、館へおいでください」

「仕方ない。おい。ラグドール行くぞ」

 立ち上がらないから、引きずりながらヌフと移動を始める。


 結構走ってきていたようで、五キロメートルくらいは歩いただろか? 例の馬車があったところへ到着するが、そこに馬車はなかった。

「人望がないな。置いていかれたぞ」

 そういう言葉も必要ないくらい、ヌフは驚いていた。


 そこから、屋敷のある方向。地味に勾配があり、小高い丘の上に向かって歩いて行く。

 おおよそ、十キロくらいだろうか。


 屋敷に着くと、例の嫌みな奴がうろうろと門の前でしていた。

 ヌフを見つけると、一目散に走ってくる。

「おけがはありませんか? どこをうろうろしていたのです。おかげで、お父上に私が叱られてしまったじゃありませんか」

 そう叫んでくる。


「こいつは、どういう立場なんだ?」

 思わず、ヌフに聞く。


「我が家の使用人です。すみません。貧乏なので、少し質が悪く。教育が行き届いていません」

 そう言い切った。

 従者は、目を白黒している。


「なんだおまえは、亜人のくせに」

 また、いきなり殴りかかってきた。

 懲りない奴。


 当然、迫ってくる拳を掴み、思い切り引く。

 それだけで、すっ飛んでいく従者。


「サイベリアンという子は、多分地下室にいます。思い出しましたが、先日逃げ出した奴隷ですよね」

「そうだと思う」

「彼の傷はどうしたのですか? 教育を受けたはずですが?」

「ひどかったから、治した」

 そう言うと、当然目を見開いて驚く。


「なんという規格外。あなたという方は。実に素晴らしい」


 そう言って、屋敷脇の小屋へ向かう。

 小屋と言っても、石造りの丈夫そうなもの。

 ドアも分厚い。


「さあ、この中です。どうぞ」

 ついなにも気にせず進む俺と、ラグドールの後ろで、丈夫なドアは閉じ。ガシャンと重そうなかんぬきの閉まる音がする。

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