第8話 神乃 道照 48歳 旅立ち?
「神乃さん、献体入るよ」
「わかった。行きます」
PCから、目を離し、立ち上がる。
神乃は、医学部の解剖学に籍を置く、教室系の技術職員。昔で言う所の文部科学技官。肩書きは立派そうだが、行政職二となり給料は凄く安いし、昇級する為の上部職が無く、部下もいない為昇給もない。
実は、法人化するときに、他大学では行政職一に統合されたようだが、『えっ。なりたいって、聞いてないからそのままですよ。今頃言われても』そんな無慈悲なことを言われた。
ちなみに、行政職一は、その当時公務員試験に合格した人がなる職種。
仕事柄、入った頃少しして行われた実習により、半年ほど肉が食えなくなった。
無論、今では慣れてしまい平気だ。
「このサンプル。HE用に、一〇パーへ入れておいて」
先生から受け取ったサンプルを、トリミングして、なるべく一センチメートル以下に小分けする。無理なものは切る方向を考えながら厚みを薄くする。固定液が浸透しないと腐るから、大きさはとても重要。
サンプルバイアル(サンプル用の小瓶)に分けて、ナンバーを振り、一〇分の一に希釈したホルマリンにサンプルを浸漬する。通常の光学顕微鏡用なら蒸留水で希釈。
気合いの入ったサンプルなら、リン酸緩衝液を使用する。PAPやABCなどの酵素抗体法。in situ ハイブリダイゼーションなどの、遺伝子を検出する染色などがある。
ホルマリンは、元々四〇パーセントのホルムアルデヒド。それの一〇パーセントなので四パーセントホルムアルデヒド溶液となる。
HEというのは、よく見る基本の染色方法。ヘマトキシリンとエオシンによる2重染色。
ヘマトキシリンは、細胞の核を青く染色して、細胞質はエオシンで赤く染める。
形態系の基本となる方法。
ヘマトキシリンは大体、一定の染まり方をするが、エオシンは、染色後。洗浄中にどんどん抜ける。水から、五〇パーセントエタノールから、六〇パーセント、七〇パーセント、八〇パーセントエタノールまで、一気に通過させ目視で染まり方を調整しなければいけない。職人芸となっている。
光学顕微鏡用ならパラフィンに包埋して、四ミクロンから六ミクロンほどに、ミクロトームという機械で薄くスライスしたサンプルを使う。
このミクロトーム用の、硬組織用ナイフが炭化タングステン製である。脱灰と呼ばれるカルシウムを抜く作業は必要だが、骨までスカッと切れる。
電子顕微鏡用などは、ダイヤモンドのナイフを使う。
事務系職員が、バカ高いナイフを、消耗品と認めてくれず。でかい管理シールを貼られて喧嘩したことがある。そういえば昔は、ハードデスクも備品扱いで、もめたなあ。
それはさておき、そんな、実習用サンプルも作製するし、お預かりした検体の処置なども手伝う。当然職務に必要な勉強は必須で、最初十年はひたすら勉強をした。
解剖手技は、主にネズミで覚えた。
ラットの腹腔に麻酔を打ち、皮膚を正中線で開く。
解剖用には、灌流固定をする為、剣状突起の腹腔側で横隔膜を切り、左右の肋骨を切り開く。心臓が出たら左心室へ針を刺し、右心房を切り開く。
そんなことを、数え切れないほど繰り返した。
ついでに継続実験のときは、きちんと縫って治療する為、傷の縫合も上手いものだ。結束時、組織は潰さないように縫っていくが、でも少しだけ盛り上がるくらいに縫う。その方が傷跡が減る。と形成学の先生が教えてくれた。
小児外科の先生は、擦り傷などは乾かさずに湿潤環境を保った方が綺麗に治るよ。
医学部の先生は、以外と自分の専門を教えたがる。おかげで、医師ではないが、体の構造はそこそこ詳しい。
そして、生き物を殺す禁忌感も、適度にぶっ壊れている。
それが、神乃 道照。人呼んで、研究室の便利屋さん。
そして。
「神乃君、パソコンが壊れた。直して」
「神乃君、ミクロトーム刀と、ついでに包丁も研いでおいて」
「神乃君、液クロが壊れた。直して」
「神乃君、今朝くるとき、車がパンクした。直して」
「神乃君、実験用のラット拘束ケージ作って」
「ねえ、神乃君、今晩飲みに行かない?」
「先生、セクハラするから嫌です」
等々。様々な要望にも対応できる、便利屋さん。一家に一人欲しい人と言われたこともある。
こんな彼だが、実家は大きくは無いが、歴史の古い由緒ある神社だったりする。ご神体は黒曜石の鏡と勾玉 。穢を司る。
おかげで、実家に帰ると、思いっきり塩を振りかけられる。
********
馬鹿な思い出から復活して、できあがった燻製をかじってみる。
好みで、塩水を薄めにしたので、日持ちはしないだろうが、まあ食える。
つい、先日までの日々を懐かしみ。見慣れない空の星々を眺める。
つい星を掴むまねをする。星を見たら、ついするよね。「道照よおまえもか」とか言いながら。
そんな感じで遊んでいるが、周囲には、濃厚な血の匂い。
翼竜を、さっきまで、さばいていたからだ。
新しい方は、きっちり内臓を抜き、肉を小分けして軽く塩を振り、凍らせて亜空間収納を行っている。
「さて、食料は出来た。水は魔法で出せる。武器もナイフと、魔法。大丈夫かな。問題は川を真っ直ぐ下るか、森を突っ切るか? 森を突っ切れば早いだろうが、角度を間違えると行きすぎる可能性があるな。常識的には駄目だが、川を真っ直ぐ下るのが正解か? 滝があっても飛び降りれば良いし。多分この世界の生き物でも水は必要だろうから、この川に続く道くらいはあるだろう」
でかい独り言で、考えを纏める。
そうして、三日目の夜が終わる。
朝、シェルターから這い出して、顔を洗う。
昨日、この崖。
鉄鉱石ぽいから、精錬できるよね。と、思ったが、精錬には、確か炭と石灰かなにかが要ったはず。覚えていないから却下。
Feだから、二六だったよな。
諦めて、創造してフライパンを創った。
そして、やっと素焼きだが、茶碗と皿が出来た。これで、まともそうな朝食が食える。
だが米がないので、茶碗が汁椀になり。魚のあらと骨で出汁を取ることになった。
魚を捕って、三枚に下ろす。
軽く炙った骨を煮込み、一度ゆでこぼしす。
霜降り造りでも良いが、ボウルがない。霜降り造りは湯引きとも言われて、材料を熱湯に通して、すぐ冷水に通す。つまり表面のみ軽く火を通す。やる目的は、臭み、ぬめり等を取るためだ。
ヤマメっぽい魚の塩焼きと、ヤマメっぽい魚のすまし汁。
炙ったものを入れたので、以外と香ばしく美味い。
材料が、魚、水、塩。
非常に偏った食事。
まるで、カーニヴォアとかミートイーターと言われる肉食主義者だな。肉食主義者はベジタリアンとか菜食主義者の反対語である。
そんな豆知識が、ふと頭をよぎる。
「そうだ、川を下りながら、米がないか探そう」
そう言って、また独り言を叫ぶ。
古代米は赤米だったか? もっと暖かい地方が原産だが、此処自体が今の季節。冬だったりすると可能性はあるが、それはそれでいやだなあ。
昼間は、結構暑いくらいだが、夜はかなり涼しい。
「五月くらいかな」
周りの草木の状態を、今更確認をする。
「最悪、ジュズダマ。ハトムギの原種だったか。あれも食えるが、あれ自体も帰化植物。原産は東南アジアだったよな。ここでも誰か南蛮貿易(なんばんぼうえき)をしてくれていると良いなあ」
到頭(とうとう)、そんな馬鹿なことまで言い始める。
食事が終わり。腰を上げる。
食器などを洗い、収納すると、周りをかたづける。
「さて、キャンプは終了。いざ旅に出よう!!」
一人で宣言し、腕を空へ突き上げる。
言った後、人に聞かれていないか不安になり、思わず周りを見回す。
だが、「逆に人がいれば嬉しい状態だよな」 そんな訳の分からないセルフ突っ込みを一つ。
下流に向かい。ゆっくりと歩き始める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます