第23話 新婚旅行 ヒジュラー
新婚旅行は、南の島にという花嫁の希望を無視して、私たちは、インドに旅だった。Jは、なぜインドなのと執拗に迫ってきたが、私は、これだけは譲れないと言った。だが、彼女は、一流のホテルでマハラジャのような一週間を過ごすと、結構ご機嫌になっていた。
最後の日に、私が、これからヒジュラーに会いに行くというと、
「ヒジュラーって何?」
と聞いてきた。どう答えるべきか、しばし迷った。
「インドに見られる両性具有の集団だよ。ただ、最近は、単なる女性化した人間の集団とも受け取られているけど」
「そんな人達に会って、どうするの、言っちゃ何だけど、私に対するあてこすり」
「日本も欧米もそうだが、大抵の文化では、性別を男性か女性にしか分類しなかったんだ。だが、インドという国は、分類できないものは、そのままで認めるという国らしい。昔は、半陰陽の子どもが生まれると、その家庭ではヒジュラーの集団に渡したらしい。そのほうが暮らしやすいからと」
「会ってどうするの」
「 その集団にいて幸せかどうかを聞きたいのさ」
「あなたって、変な人ね」
日本人が、ヒジュラーに会いたいという、おかしな依頼にガイドは、嫌な顔をした。彼らは、アンタッチャブル(不可触民)だと言う。
しかし、彼らは、聖者としてヒンドゥー教の寺院で宗教的な儀礼に携わったり、一般人の家庭での新生児の誕生の祝福のために招かれたりするだろうと言うと、ガイドの態度が変わった。
この日本人は、意外にインドの裏の面に詳しく、単なる興味本位でヒジュラーに会いたいと考えているのではないと考え直したようだ。
だが、物事には、表の面もあれば裏もある。ヒジュラーが、男娼として売春を生活の糧にし、不浄のものと軽蔑されていることもまた事実だ。
ガイドが、どうやって手配したのかはわからないが、最初に頼んだタクシーの運転手は、その場所に行くことを拒否した。仕方なく、ガイド自身が、レンタカーを運転してようやく面会することができた。
細い路地に面して石造りの建物がびっしりと並ぶ中に、そこはあった。
ガイドが、ドアを叩いて声をかける。中に導かれると、一人の長老らしき人物がいた。顎髭が濃い。
日本人が、なぜ我々に会いに来たのかという視線が、すさまじい。
異様な感覚、
通訳を交えての会話は、やむを得ない。彼らの話す英語があまりにブロークンで、とてもではないが理解できない。
「貴方たちの中に、半陰陽の人はいるのか」
「昔は、いたと聞いている。だが、今は、そのような者はいなくなった」
「なぜ、いなくなったのか」
「そのような子どもを生かしてはならぬと英国の宣教師が言ったからだ」
「あなたは、キリスト教徒か」
「ヒンドゥーだ」
「なら、宣教師の言うことなど、聞く必要はなかったのではないか」
「その通りだ。だが、我々の国は、あの国に滅ぼされた。滅ぼされた国の民は、滅ぼした国の宗教に従わざるをえなかったのだ」
ここにも、近代インドの悲劇があった。
「だが、貴方たちは、性別を二分しないと言う素晴らしい智慧があったのではないか」
「そうだ、その智慧に武力があればの話だが」
私は、黙った。その通りだ。滅ぼされた国なのだ、ここは。
その集団との接触は、一時間で終わった。料金を支払っての面会だったが、彼らから人間としての別な生き方をしているとの印象はうかがえなかった。
ヒジュラーも、設立当初は、半陰陽の人々の集団であったはずだ。彼らを人間の集団から除外せずに、別なジャンルに入る人間として扱ったことは、他の文明からみても素晴らしいことだ。
だが、時代が下がるにつれて、当初の思想は衰退し、半陰陽であることの生きやすさに目がくらんで、半陰陽でない人間。特に男が、単に男根だけを切断するという乱暴な方法で非男性になった。そうやって、物乞いをする。インドでは、物乞いは、恥ずかしいことではない。だが、それは、本来のヒジュラーではないはずだ。
しかし、インドという国の不可解さをどう表現したよいのだろう。この国が生み出した思想の深さは、驚異的だが、それを整理するという知的営みが乏しい文明なのだろうか。それを文字にし、考察しなければ、せっかくの営為が消え去っていくのだが。
インドという国は、独立してから八〇年がたち、自力でロケットも打ち上げているのに、この社会の差異化のエネルギーは、いったいどこから来るのだろう。しかも、ブッダの頃から存在する階層が、殆ど壊されることなく、現代に存在している。不思議な国だ。
私は、こういう集団が日本にも存在できるのではないかと考えていたのだ。現代では、俗の面はともかく、聖性を維持することは、できないだろうと思った。
Jは、世界には、性別に関しても多様な考えがあることに驚いたようだった。
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