第21話 見てほしいもの
Jが両親に会わせてくれたので、私も見て欲しいものがあると話した。東北は、新幹線でそう遠いところではなくなった。昔、新幹線のなかった頃は、日帰りなどは考えられなかった。駅からは、レンタカーで行く。東京のように私鉄などは走っていない。公共交通機関は、それこそ一日一往復のバスだけだ。
先ず、私の両親の墓に行った。大都会で暮らす者から見ると、東北の寂しい街の霊園だ。両親の墓には、初めに母が入った。実母が私を産んで亡くなったことは、既に伝えていた。父親は、その後、色々な女と関係し、脳溢血で亡くなった。骨を入れるところがなかったので、私が用意した墓に入れた。思えば、死んでからも世話を焼かせた父だった。
その後、Jにに見せたものは、すっかり昔の面影をとどめていない児童養護施設だった。見せてもいいのだろうかと迷ったが、隠しておいても仕方がない。過去は過去だ。みすぼらしく、悲しい過去だが、恥ずかしい過去ではない。そう思って、Jを施設の全景が見える場所に連れて行った。
今でこそ、新築されて耐火建築になっているが、その当時は、木造の平屋建てで、六人部屋に七人が居住していた。自分専用の部屋などはない。あるのは、私物入れだけだが、それにも鍵などはかけなかった。そこには、布団と私服が納められ、カーテンで見えないようになっていた。掃除は、きちんとされていたが、雨漏りのため床が傾いていた記憶がある。
食事は、全員がそろって食堂で、所々つぶれているアルマイトの食器に、麦が混じった米飯だった。カレーの時は、おかわり自由で、その時は、満腹したが、他の料理でお腹がいっぱいになった記憶はない。
おかずは、野菜の煮付けが中心だったような気がする。だが、それに不服を言う者はいなかった。食べなければ、すぐに下げられ、代わりはなかった。
その施設の名前は「あおぞら」と言ったが、何かの機会に、どうしても、その名前を言わなくなったときは、人に言うのが恥ずかしかった。
集団には、それが動物であれ、序列が存在する。施設内にも、何のために序列があるのかと考える暇は、なかった。序列のために、この集団が存在するのかと思えるほどだった。
年小の者は、どうしても年長の者に腕力でかなわない。その時期をやり過ごすしか手立てはない。そうして、自分が一番上に立つのを待つのだ。
便所掃除は、嫌な事の代表だった。自然、それは弱い者の仕事になった。集団で使用するくみ取り式の便所というのは、すさまじい汚れと臭気に満ちていた。もう少し、きれいに使ってくれてもと思っても、いつも汚れていた。
その施設の周辺を歩きながら、私は、あまり深刻にならないようにJに話したつもりだった。勿論、その施設に当時の私を知る人は、もういなかった。フェンスの中では、子ども達が遊びに興じていた。
私も、この中にいたのだ。ここで、遊ぶ以外に気を紛らわせることはなかったのだ。
叔父夫婦は、別の場所に新しい家を建てていたが、最後に、祖母の家があったところも見せた。そこは、建物が取り壊されたまま整地されて、ただの空き地になっていた。彼女は、あなたのルーツがわかったと言って泣いてくれた。
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