第19話 J
Jは、この母親と赤ん坊に対する私の関わりをじっと聞いていたようだ。帰宅すると、ワインが用意してあった。
「今日は、結婚記念日でもないし」
と言うと、
「結婚もしていないのに、結婚記念日なんかあるわけないでしょう」と言って、
「でも、あの母親に対するアドバイスを聞いて、惚れ直したわ。さすが、私の選んだ人だ」
「あんまり、褒めるなよ。そこいらで、転ぶぞ」
二人は、ワインで乾杯した。
Jは、すぐワインに酔って、
「結婚、いつするの」
と聞いてきた。
「え、結婚、結婚ねー」
とふざけると、私がいつまでもプロポーズをしないので、彼女はイライラしていたようだ。別に私は、今の生活で十分なのだが、女の気持ちはわからない。結婚してくれるのどうなのと彼女に問い詰められた。それでも、いい加減な返事をしていると、突然、彼女が台所から包丁を持ちだして、
「結婚するの、しないの、はっきりして」
と言って、私の胸先に包丁の刃を差し出した。
「まあ、落ち着けよ、落ち着いて」
「いい加減にしてよ、どうするの」
包丁は私の喉元に向いていた。
「はい、結婚します。結婚してください」
「結婚してくださいと頼んだね。それじゃ、結婚してあげるわ」
彼女は、包丁を台所に投げて、私にのしかかってきた。
私がプロポーズしたことになっているが、実態はこんなものだ。
次の日、前から疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「二週間に一度、病院に行くのは、どこか悪いのか」
「女性ホルモンの注射をしてもらってるの」
と答えた。
「あ、そうか、女性ホルモンが必要なんだ」
私は、彼女が、彼女なりに努力をしていることを認めざるをえなかった。
翌々日、二人で外食をした後、珈琲を飲んでいると、彼女が両親に紹介したいと言いだした。あまり気乗りはしないが、会わない理由がないので、彼女の実家に行った。
純和風の豪邸だ。土台には、大きな石が据えられて一段と高く、外部の侵入阻止のための塀の下には堀が取り囲み、まるで小さな城のようだ。
彼女は、一言も言わなかったが、親はかなりの高額所得者らしい。門には、若い衆がいて、門番をしているようだった。通された和室の床の間には、日本刀が飾られており、調度品がすばらしい。
父親には、今時珍しく威厳があった。特に母親のほうには気品があり、どこか雅やな雰囲気と殺気のようなものが漂っていた。
ふと、この雰囲気は、どこかで感じたようなと考えていると、代表の顔を思い出した。彼女の親はやーさん系? 代表が言っていた、ある筋って……、このことか……。
まあ、親と暮らすわけでもないし、そんなことを気にしては始まらない。それに、やーさんとは、まんざら知らない仲ではない。昔、乱闘事件を起こしたときの相手がやーさんだったよなと、一人でぶつぶつ言っていた。
父親からは、子どもをよろしくと言われた。娘ではなく、子どもと言ったところに、父親の苦汁がうかがえた。しかし、これで、私が浮気でもしたら、この父親は、日本刀を持って、怒鳴り込んで来るんだろうなと思うと背筋がぞくっとした。まあ、どこの父親でもそうだろうが、子どもの性同一性障害を認めるのは困難なようだ。
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