第15話 登山
趣味を聞かれて、私は、登山や読書を上げた。彼女の中で、登山とは、夏に北アルプスに登り、山小屋に泊まるようなレベルのことであったが、私の登山は、それとは隔絶していることを話すと、そんな風には見えないと言われた。
私の登山は、単独行で冬山専門だった。二〇代から三〇代前半までがピークで、その厳しさは、同様の経験をした者でなければ、想像を絶するものがあると説明したが、とても理解できたとは思えない。
逆に、何故、単独行をと問われると私は、口を閉ざした。それほど多くはないが、何人かに、何回も同じ質問をされて、私は次第に、あまり単独行登山について語らなくなっていた。
単独行をする人間は、限られている。技術も必要だが、それこそ人間離れした意志の力、あるいは人間の心を持たないことで単独行は、成し遂げられると私は信じていた。そんな気持ちを話しても、相手は理解できないだろう。
理解できるのは、同じタイプの人間だけだ。山で会ったときは、それなりに挨拶はするが、まず相手の力量を見て、話ができるほどの人間かを確かめる。相手も、こちらを見ているのは同様だ。
勿論、それだけからは分からないが、登山用具から相手の力量も見える。それらを使いこなしていなければ、自分の力量が見えない人間だ。そんな人間からの山の情報など、殆ど価値はない。
登山道で、後から登る姿を見ていて、惚れ惚れとすることもあった。その無駄のない動きは、そう簡単には身につくものではない。逆に、自分が、「全然、疲れていないように見えますね」と言われることもあった。そんな時は、「ああ、そんなことはない。かなり疲れているのだ」と思っても、長年、鍛えた足はリズミカルに動いて、疲れを見せないのだが、そんなことを説明する必要もない。
冬山は、死の世界だ。麓にスキー場があるようなところでは、山頂まで、足を伸ばすスキー愛好者もいる。そんなところで、出会った相手は、不思議そうにこちらを見る。見たこともないスキー板とビンディングとスキー場には似つかわしくないウエアをどう理解していいのか分からないのだ。
聞かれれば、説明はするが、こちらは、それほど時間に余裕はない。あくまで、登るためのスキーであり、いざ、それを持っていることで山行に支障が生じることになれば、ためらうことなく捨て去るだけだ。いくら高価であろうと、命には替えられない。
そんな生き方をしている人間がいると信じられないのは、仕方がないことだ。
Jは、無邪気に質問してくる。
「何故、あなたがそんな意志の力を持てたの」
「私の中には、怪物がいるからね」
と答えたが、彼女は理解できなかったようだ。だが、彼女は、自分の目の前に、彼女が理解できない怪物がいることだけは、わかったようだ。私は、
「君の中には怪物がいないのか」
と尋ねると、
「男の身体に女の心をもったものがいたが、あなたの言う怪物ではなかったわ」
と答えた。私は、
「ごめん、そんな話はやめて、普通の恋人が話すことを楽しもう」
と提案した。彼女は、ほっとしたようだった。
私の中の怪物とは、血を流しながらも痛みを感じることのない私自身の心であり、そのそばで、もう一人の私は、もう一人の私をじっと見つめている。
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