第12話 Kの妻 自殺未遂

 Kからメールがあった。

「妻が手首を切り、救急車で運ばれたが、命はとりとめた」

 すぐに、電話をして、Kから簡単に話しを聞いた。Kは、あの居酒屋での話し合いの後、考えた末に妻に直接問い質した。その結果、妻が謝って別れようということになったが、すぐに話しはまとまらなかったので、翌日、Kは仕事に出た。

 その日、仕事を休んでマンションに閉じこもっていた妻が、浴室で手首を切ったということだった。詳しい経緯は、後になってKが教えてくれたものだ。

 Kが妻の自殺未遂を知ったのは、妻が最後のメールを送ってきたからだった。

「あなた、今まであなたを欺していてごめんなさい。結婚する前に、話しておくべきでした。今まで幸せでした。さようなら」

『さようなら』このメールの別れの言葉は、どういう意味だ。今から家を出るということか。Kは、何かひっかかるものを感じたという。

 急いで自宅に戻ったKが見たものは、浴室で手首から血を流している妻の姿だった。Kの妻は、最後までKを愛していたのだ。問題に立ち向かうのは、いいが、一歩間違えるととんでもないことになるという見本のような自殺未遂事件だった。

 私は、一瞬、病院に行くかどうかと迷った。Kの友人ではあるが、K夫妻の微妙な問題に立ち入っていいのだろうか。しかしと、私は思い直した。こうした事件を惹き起こした責任の一端は、私にある。やはり、行ってみようと思った。

 病室に入ろうとすると、Kが出て来て症状を説明してくれた。Kの奥さんの傷は、意外に深かったようで、もう少し出血が多ければ危なかったようだ。傷口の縫合も終わり、鎮静剤で静かな寝息を立てていた。Kは、私を廊下に連れ出した。

「あんまり簡単に物事を考えすぎたな。すまん」

と私は謝った。私には、それしか言えなかった。

「お前のせいじゃない。俺の責任でやったことだ」

夕方になって看護師が交代する時間らしく、病室に顔をのぞかせていた。

 私とKは、病棟の隅にあるラウンジに行った。弱々しい夕日が見えた。二人で珈琲を飲んで時間をつぶしていると、Kからの報せを受けた奥さんの両親がやってきた。報せを受けて、山形から駆けつけて来たのだ。私にとっては、結婚式のときに会って以来だ。

 父親は、もう七〇歳に手が届くだろうか。だいぶ髪も薄くなっていた。米作り農家をしていると聞いていたが、日に焼けて元気そうではあるが、今回のことで申し訳ないと思っている様子だった。母親も、今度の事件の理由を察していたようで、昔会った時よりも小さくなった印象だった。

 私は、両親のせいで、あなたの子どもがこんなことになったわけではない。奥さんの気持ちを考えずに、無理に話を進めようとさせた私に罪があるのだと言いたかった。

 両親は、命はとりとめたとのKの説明に大きく頷いていたが、我が子の自殺の理由を知ると、二人の顔が強ばった。

 二人は、Kを廊下に促した。Kを前にして、二人は突然、廊下に膝をついて、本当の事を話さずに申し訳なかったと土下座をした。Kは、何と言って良いのか分からないようだったが、とにかく立ち上がるよう二人を促した。

 Kにとって見れば、今になって謝られてもという思いがあったろう。二人は、Kに話しがしたいからと一階のフロアに行った。行く前にKは、ちらっと私を見て、その夜はそこで別れた。Kとご両親の間で、どんな話があったのかは分からない。人のいない夜間のフロアでKと両親は、ずいぶん長く話し合ったらしい。全てが終わってからKは、話の内容を語ってくれた。

 始めは父親が、Kの奥さんのことについて話をしていたが、その内、母親が詳しいことを話し出した Kの妻は、性同一性障害の診断を受けていた。母親は、あの子を妊娠中に切迫流産の恐れがあったので入院していたが、もしかすると、その時のホルモン注射が原因かもしれないと後になって思ったという。

 小学生までは、普通の男の子と思っていたが、男児が興味を持つ自動車には全く関心がなく、動物が好きだったのを不思議に思ったようだ。小学校も高学年になると。母親は色白であったが、それ以上に肌が白く、クラスで写真を撮ると一人だけ浮いていた感じだった。

 中学では、男子生徒がポルノ雑誌などを持ってきて、クラスで騒ぐものだが、あの子はそういうものには、一切興味を持たなかったと言う。高校生になって、成績はよかったが、自分の性別に違和感を感じ始め、次第に自分の性別は「女性」だと思うようになった。 どうすればいいのかと母親には相談したが、母親も何と言ってよいものか分からず、しばらくは夫に言うのを控えていた。高校を卒業する頃、父親にカミングアウトしたが、受け入れられず、家を出るように言われた。

 家を出てから、ネットで、自分と同じような気持ちを抱いてる者がいることを知り、クリニックで性同一性障害という診断を受けた。性転換手術を受けるために、無理をして一年で百万円を稼ぎ、その金をもってタイに行き手術を受けた。Kと知りあったのは、それから一年後だったらしい。

 そんなKの奥さんが、プロポーズをされたと聞いて両親は、悩んだという。真実を話せば、結婚はできない。それは、これからも同じだろう。しかし、夫となる人に、これほどの秘密を話さないでおくべきだろうか。両親は、その事を話すかどうかは、子ども自身の判断に任せたという。

 そうかもしれない。親であっても、子どもの幸せを左右できないのだから。そして、奥さんは、Kに話さなかった。奥さんの気持ちを考える。子どもを産めないばかりか、性生活でも、旦那に不都合を味わわせているのではないだろうか。それ以上に、元男と知ったら、旦那はどんな反応を示すだろう。幸せな日々の影に、不安が常に潜んでいただろう。

 病院からの帰り途の電車の中は、騒がしかった。明日は土曜日なので、酒を飲んだ客が多かった。Kは、どうすれば、よかったのだろうか。人が人を愛するとは、どういことなのだろうと考えたが、何も浮かばなかった。

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