第11話 H医師
至急案件だった。特「受け」として、このビル内の当社の医院で出産させることとした。すぐ、エッチ医師に電話する。
「そんな、急に言われても困るよ。患者の容態も何も分からないんだよ」
エッチ医師の言い分ももっともだが、ここで言い合いをしても始まらない。こちらで用意する病院とは、このビルの中にあり、会社が委託している産婦人科の医院だ。そこのエッチ医師は、数年前に、自宅の掃除の下見に訪れた女性にわいせつ行為をしたとして強制わいせつ罪で懲役二年、執行猶予三年の判決を受け、医業停止処分を受けたトンデモない男だ。
その医師を雇用するところはなく、生活に困っていたことから、代表が、話しをつけて産婦人科にしたといういわくつきの人物だ。産婦人科としての経験は、最初はゼロだった。それでも、何例かこなしている内に、どうやら産婦人科医らしくなってきた。
トンデモない男だが、頭は良いらしい。かなり、有名な難関大学の医学部を卒業している。それなら、強制わいせつ罪になるようなことをしなければいいのにと思うが、それは別らしい。顎がしゃくれているが、本人は、もてると信じ込んでいる。煙草が好きで止められないといっては、ビルの外で煙草を喫っていることが多いが、仕事をしたくないというわけではないようだ。
彼の本名は、聞いたが忘れた。だが、みんなエッチ医師と呼んでいたので、苗字の最初を略して「エッチ」と呼んでいるのだと思っていたら、猥褻行為をしたことで、そういう渾名をつけられたらしい。
通常、出産は、ベビーハウスが用意する医院でしてもらってもよいが、健康状況が把握できていないので、事前に産婦人科での受診を御願いする。御願いと言うより、これは指示だ。健康状況が把握できないようでは、残念ながら、妊婦を受け入れることはできない。
別に母子の安全を考慮しているわけではない。出産というのは、母子双方に危険を及ぼす可能性があるものだ。それは医師にとっても同様で、医療過誤事件が起きやすい診療科だ。そんな面倒なことに巻き込まれたくはないので、産婦人科への受診を御願いしている。
代表は、もし出産事故につながると判断したのなら、即救急車を呼ぶように、そのエッチ医師に厳命している。万が一、死亡事件でも起きたら、責任が問われ賠償も絡んで、やっかいなことになるからだ。だから、助手として、経験の長い助産婦、看護婦をつけてある。
さらに、ベビーハウス絡みで事件が起きたら、その時は、弁護士がすぐ対応することになっている。この弁護士も変人と言う点では、先ほどの医師といい勝負だ。何よりも、金だという。手数料が百万円以内では、引き受けないと常々話している。だが、うちの代表の依頼は、断れないらしい。私には、わからないが、医師と言い、弁護士と言い、代表に何か弱みを握られているのだろう。
この会社は、医師、弁護士、税理士、福祉専門家を形式上、雇用していて、人材に投資をしていると思われるかもしれないが、全員が、代表を含めて、一度は警察の世話になったことがあるらしく、ろくでもない連中だと言える。因みに、私は、何か肩書きがないと困るので「社会福祉士」の資格を持っており、一応、福祉専門家になっている。私が警察のお世話になったのは、酔っ払って乱闘事件を起こしたからだ。昔の話だ。
エッチ医師が、引き受けをしぶっているので、代表に話しをする。鷹揚に代表が医師に電話をする。
「おう、俺だ。今の件、分かったな、至急手配してくれ」
そう言うと、話しはついていた。この人は、一体どんな人なんだ。やはり、やーさん?
すぐ、車を運転して飛び出す。運転手などいるわけがない。大抵のことは、一人でやるしかないのが、零細業者の苦しいところだ。
場所が、よくわからない。誰かアパートの近くに、立っている訳でもない。車を運転しながら、電話をする。
「立って歩ける。アパートの目印はある。陣痛の具合はどう」
「アパートの近くに立っているよ」
声が落ち着いていた。あれっと思うと、
「さっきより、陣痛がうすらいだんだよ。だから立って歩ける」
その子は、大きなお腹をして立っていた。すぐに後部座席に乗せる。
「かかりつけの医者は」
「そんなのないって」
「子どもの父親は」
「それが、よく分からないんだ」
平然と今の若者は、そういう言葉を口にする。
「どうして、うちに電話したの」
「スマホで探したら画面の一番上に、電話番号が載っていたから、それが何か」
まあ、こんなもんだろうと思いながら、私は、ハンドルを大きく切った。
「急ぐぞ」
自動車は、タイヤをキーと鳴らしながら反転して、ベビーハウスに向かった。
事務所で、クライエントの氏名、年齢、住所、その他を確認した。氏名は、本田真理亜、キラキラネームだ。年齢十九歳、大学一年生だという。子どもの父親は、バイト先の上司か同級生のはずだが、本人も分からないようだ。父親を確認して、出産費用を出して貰えないのかと聞いても、面倒なことはしたくないという。
ベビーハウスでは、原則として子供の実親(産みの親)への費用の請求はしない。だが、この娘の場合は、別だ、この娘の移送費用と医療費は支払って貰う。
そのうち、真理亜の陣痛の間隔が狭まってきた。エッチ医師に渡す。エッチ医師は、どこかで診てもらったことはないの、血圧や尿の異常を言われたことはないかと色々聞いている。幸い、妊婦に異常な所見はないようだ。だが、この医者は、真剣な顔をしている。これが経産婦だったらなあとこぼすが、いつまでそんなことを言っても無駄というものだ。諦めて、お産に備えた方がいい。
翌日、あの娘はどうしたかなと思いながら出社すると、赤ん坊は産まれていた。男の子で、母子ともに異常はないとのことだった。エッチ医師は、ほっとした様子で、ビルの玄関前で煙草を吸っていた。
さて、これからが私の仕事だ。先日の養親希望の○金ケースと、この特「受け」ケースを組み合わせることにして、代表にこれからの展開を説明し了承してもらった。
○金ケースに電話をかけると、案の定、あの女性が出た。
「ベビーハウスです。お世話になります。突然の電話で恐れ入りますが、昨日、男の子の赤ん坊を預けたいとの依頼がありました。勿論、現時点での話しですが、障害等はありません。ご検討いただければ有難いのですが」
「なかなか、電話がないので、心配していたんですが、よかった」
「検討の上、明日中に電話をいただきたいのですが。なお、元気なお子さんですので、あるいは他からの申し出を優先する場合がありますが、その節は容赦願います」
他にも要望があると脅して、話しをまとめようとするのは、我ながら、犬の子をもらってくれと言っているブリーダーのような気がする。
こちらが電話してから、一時間後に、○金の夫から電話がきた。妻から話を聞いたばかりで、細かいことを知りたいという。先ほど、奥さんに電話したことと同様なことを説明する。
一応、子どもに会って、その上で決めたいとのこと。面会日を一週間後の一二月七日に決める。殆どの養親は、自分が一度抱いた赤ん坊を断ることはない。おそらく、このディールは決まりだ。
面会の日程打ち合わせの電話が終わると、また、子どもを引き取ってもらいたいとの電話だ。電話があるのは、会社としてはいいことだが、それにしても、妊娠したという相談が多すぎる。
子どもが欲しい場合を除いて、セックスのときには、避妊をするという習慣がこの国には、ないのだろうか。セックスのとき、女性から男性に避妊具を使用してとは、言いにくいのだろうか。 本質的な解決手段としては、ピルを解禁すればいいのだが、厚労省はどういうわけか、一向に解禁しようとしない。そのために不必要な妊娠が増え、子捨てにつながる。
それを防止するため、「こうのとりのゆりかご」ができたが、それでは余りに不十分だ。ピルが解禁できなければ、一県に一ヵ所、赤ちゃんポストを設置すれば良い。赤ちゃんポストがなくとも、現行制度で、つまり児童相談所や福祉事務所を利用すれば、同じことができるというが、そうとは思われない。児童相談所の若い職員では、とても女性の問題を解決できるとは思えない。
児童相談所では、児童福祉司という名称の担当が、未成年の事件を扱う。専門の教育を受けているのかと思えば、別に、昨日まで土木部で、用地の買収をしていたなどという若手が来る。結婚もしていないのに、夫婦の問題や妊娠、出産のことについてアドバイスできるわけがない。だが、国は、専門家の養成をしようとはせず、「四年生大学において、心理・教育・社会学に関する学部・学科を卒業した者であって、一年以上、福祉業務に従事した者」を児童福祉司の資格としている。
公務員の大部分は、文系だから、大部分は該当することになる。こんな安直に専門家とされた人間が、複雑かつ機微に触れる案件を処理できるわけがない。
そこで、ベビーハウスが活躍する余地があるのだ。もし、出来るなら独立して、私が、赤ちゃん斡旋業者になりたいくらいだ。
一週間後、○金ケースが予定時刻より早く現れた。こんな時に、付属医院があるのは便利だ。看護婦が、赤ん坊をそっと抱いてきた。○金女性が嬉しそうな表情を見せる。看護婦から、女性に赤ん坊が渡されると、赤ん坊がエーンと泣いて、皆で大笑いだ。ぐずった後、今度は男性がこわごわと抱く。
「もっと、力を抜いて。力を入れているのが分かると、赤ん坊が泣きますよ」
そして赤ん坊は泣いた。
養親をテーブルに招いて、最終報告をする。先ず、母子手帳を見せる。
「女性が、これをもらうのが夢だった」
ともらす。
出産日 平成二九一二月一日午前二時三〇分。
性別 男
体重 三二〇〇グラム
身長 五〇.五㎝
アプガー指数 一〇点
出血 一八〇CC
出産時の状況 正常産
その他 母子ともに健康。
実親の年齢や養子に出す理由などについては、特に問題がない限りは、養親には何も言わないことにしている。養親は、かなり気に入った様子で、このまま連れて帰りたいそぶりを見せた。次回の引き渡し日を調整するとともに、後で請求額を知らせるので、引き渡し日までの振込を依頼した。
請求額は、代表室で、代表と向かい合って決定する。養親希望者のプロフィールも簡単に話した。
「GIDの夫婦です」
と言うと、代表がおもむろに口を開いた。
「性同一性障害か、昔は、そんな言葉はなかったし、つける職は限られていた。良い時代になったな。お前だから、話しておくが、各課にいる女の子は、二人ともMtFだ。ある筋から頼まれて雇っている。別に何の支障もないだろう」
「ははあ、そうですか」
そうだったのか、もしかして知らなかったのは俺だけ。
「でも、彼女たちは、よく働いてくれますね。助かっています」
と言うと、代表は、嬉しそうだった。
今までの諸費用の明細を見せる。提供者への謝礼、出産費用、緊急に対応した費用、カウンセリング費用、養子縁組の費用、弁護士費用、交通費、生活費、その他諸雑費等で利益は現れていない。利益は、専門家の対応するカウンセリングや弁護士の費用の単価を調整すれば、どうにでもなる。請求額が決定された。
ここで、何とか利益を出そうとして、寄付をいただいたりすると、どこかの同業者のように警察の世話になることがある。こういうときには、税理士の助言が役に立つ。
思いの外、案件が早く解決したので、Kのことを思い出した。Kが相談してきたということは、それだけ問題が切迫しているからだ。今、ここで何かアクションを起こさないと、どちらにせよ悲劇的な結末が待っている予感がした。Kの苦悩を放っておくことはできなかった。
人を愛するということは、どういうことなのだろう。私にも、好きな人はいた。だが、積極的に動かなかったので、そのままになってしまった。女性から、好意を寄せられたこともある。だが、自分の不安定な職に、もう一つ自信が持てなかった。
今度は、私がKを呼び出した。場所は、いつもの居酒屋だ。Kが先に来ていた。親父が、二人の顔を見比べた。先日のことを思い出してるのかもしれない。
「座敷にいくか」
今日も人に聞かれたくないので、私はKを座敷に誘った。
「ああ、そうだな」
外は、真冬で、座敷もかなり寒そうだった。
「忘年会で忙しいだろう」
「今に始まったことじゃない」
私は、疑問に思っていることを次々に聞いていった
「もしかして両性具有で、生まれた当時は男の子だと思われてて
染色体調べたら女の子だったとかはないの?」
「そうだったら、いんだけど。そうじゃない」
「アレしようとしたときに分かるだろ、本当の物とは色が違うからな 」
「性生活で作り物かもしれないなんて思ったこともなかった。女性経験は少なくないが、普通に濡れるし色形では、分からなかった」
「もう、話したの……」
「知ってしまったと嫁に言う勇気もないし。元男とわかっても好きで好きでしょうがないんだ。話してしまったら今の夫婦関係が完全に壊れそうで勇気が出なくて」
「いいか、これから言うのは、かなり厳しいぞ。お前にぶん殴られるかもしれないが、言わせてもらう」
「……」
「とにかく、はっきり嫁から聞かないと分からないんだから、取り敢えず逃げてないで嫁と話し合ったらどうだ」
「それができるくらいなら」
「お前も辛いだろうが、お前が苦しんでる理由が分からないままじゃ嫁だって辛いだろう。 ここぞという正念場に腹を割って話せない夫婦ならもう夫婦関係破綻じゃねーか。嫁が傷付くって言うが、本当はもうお前自体が嫁と向き合いたく無いんだろ?
それだけ心に打撃を受けたんだから仕方ねーよ、お前は悪くないんだよ。だが、ガチで向き合えないんなら第三者を入れて、受け入れて結婚生活継続なのか、無理だから離婚かはっきりさせないとお前壊れるぞ。このままお前が黙って受け入れる覚悟があるなら、見た事全て忘れて吐いたりせず嫁も抱いてやれよ それで、何か今支障があるのか? 子供いらない前提なら困ることないじゃないか」
私の口調は、かなり乱暴になっていた。
「この野郎、好き勝手な事を言いやがって……」
「殴るなら殴って見ろ」
Kは、下を向いていた。泣いているようだった。
「立たないってことは、それはもう「生理的に無理」ってことなんじゃないの? だとしたら、子供もいないんだし離婚を考えてもいいんじゃないか? 離婚は考えてないのかい? 正直、俺がお前の立場だったら、子宮がない病気とかより元男だと言う事を隠された事自体が許せない。長年愛して信頼して来たなら尚更だ。そんな大事な事、付き合ってる時や最悪、結婚前に嫁は打ち明けられた筈なんだよ どうして打ち明けてくれなかったんだって、騙し討ちされた感が拭えんよ」
少しKは、落ち着いてきた。
「まだ気持ちが整理できてなくて離婚までは考えられていないが
いずれ方向が決まったら覚悟を決めて嫁に確認する」
「俺なら、そんな大事なこと、今まで黙ってたことで一気に愛情が冷めて嫌いになって別れたくなるだろうけど、 まあ人それぞれだよね。人生の伴侶にカミングアウトって必要かなってところでいくと自分にだけは、嘘ついたままでいてほしくなかった。って気持ちはあるけどな」
Kは、深くうなづいていた。私の言葉が、どれほど彼に影響を与えたかは分からなかった。最後に、
「お前は、本当にキツイことをいうぜ。でもありがとう」
と言った。
翌日、私は自分の言ったことの厳しさにうろたえた。Kが問題に立ち向かうのはいいが、相手あってのことだ。何もなければいいがと願った。
○金ケースから、三百五十万円の振込が確認された。後は、引き渡すだけだ。十二月一四日、○金の夫婦が来社した。オフィスに、夫妻が待っていると、ベビーシッターが、赤ん坊を連れてきた。ベビーシッターは、
「はい。赤ん坊です」
と言って、赤ん坊を女性に渡した。女性が恐る恐る赤ん坊を抱く。
「可愛いー。私の赤ちゃん」
赤ん坊が泣き声を上げる。
「おー。赤ん坊だ」
男性も抱いたが、孫を抱いているようにも見えた。
冬将軍がやってきて都心にも雪がちらついていた。今までの経験では、年末になると赤ん坊を譲りたいという電話が多かった。年の瀬を迎えて、人は何故か決着をつけたくなるのだろうか。
引き渡しから、一週間が経った頃、赤ん坊を育てられないという電話があった。妊娠八ヵ月だという。いつものように来社するように頼んだ。二日後、女性が現れた。大きなお腹を目立たせないようにと思っているようだったが、隠しきれるものではなかった。
相談室で話しを聞いた。先ず、名前と住所を聞き、健康保険証か免許証で確認する。可能であれば、勤務先も確認する。大事なのは、体調だ。
「現在の体調はいかがですか(妊娠して高血圧になったり、急激に体重が増加したりして、治療が必要になるケースは多い。そういう場合は、医者にかかって適切な治療を受けているかが問題となる)」
やや肥満気味かなと思えたが、健康に問題はなさそうだった。
「まだ、産婦人科には行ってないんです」という返事がかえってきた。次に確認するのは
「子どもを産んだとして、人に譲るまで育てられますか」
ということだ。
しかし、こういうケースでは、夫婦として暮らしている女性が、来所することは殆どない。大体は、恋人とセックスをしたが、避妊に失敗したか、あるいは不倫だ。避妊を確実にしていればとつくづく思う。念のため、もう一度確認する。
「妊娠八ヵ月ですね。中絶手術はできないので、出産以外、選択肢はないということですね。お産をする病院は決まっていますか」
「いいえ」
と女性が答えた。
この質問に対して、イエスと答える来所者はいない。育てられない子どもを、どこで産もうかなどと考えるゆとりはないからだ。
「それでは、産んだ子どもは育てられないので、養子縁組をするということですね。里親に委託するという手段もありますが、それは希望しないですか」
可能な限り、養子縁組を勧めるというのが、ベビーハウスの方針だが、里子という選択肢もあると説明はすることとしている。
案の定、
「養子縁組で御願いします」
という返事だった。私は、次々と事務的に質問する。
「出産する予定の病院は決まっていますか。また出産には、健康保険が効かないので、出産育児一時金が支給されますので、普通はお金はかかりませんが、帝王切開などの場合は、医療費を支払う必要があります」
「その場合、医療費はどのくらいかかるのでしょうか」
当たり前だが、医療費の負担が心配なようだ。会社の決まりでは、胎児にしろ新生児にしろ、子どもを受け入れる場合は、医師の診察を受けて健康なことが証明された場合となっている。しかし、暫く、子どもを養子にしたいという申し出がなかったので、今日のこのケースを逃すのは惜しいと思った。そこで、私は、
「もし、今日付けで、子どもを養子に出すことを承諾するという契約書にサインいただければ、今日以降の医療費や生活費は、養親で負担することもできますよ。ただし、重篤な病気にかかっていて、胎児に障害が予想される場合は別ですが」
と提案した。女性が、大きく目を見開いた。かなり、心が動いたらしい。
「もし、出産する病院が決まってなければ、こちらで用意することが出来ますが、どうしますか」
と最後のとどめのように質問すると、女性は、観念したように、あるいは、一切の気がかりがなくなったかのように、
「御願いします」
と言った。
赤ん坊を養子に出したいと希望していた女性が、少し安心した表情を浮かべて、帰って行った。私は、妊娠八ヶ月なので、これを「八受け」ケースと名付けた。
三日後、あの「八受け」ケースから電話がかかってきた。産婦人科で受診した結果、妊娠糖尿病と診断され、入院が必要になったとのことだった。医者によれば、入院してインスリン注射をして、併せて栄養管理を行う予定だと言う。
こういうケースの扱いが難しいのだ。妊娠中に病気になる女性は多い。その病気のために、胎児にまで影響が出てくるようであれば、産まれた児を斡旋することはできない。そうなれば、当社の持ち出しで赤字になってしまう。
私は、すぐにあの女性の受診した病院に行って、女性の容態と今後の見通しを医師に確認した。医者には、守秘義務があるから、「八受け」の女性から、委任状をもらっていたのは、当然である。
胎児は、やや大きくなっているが、一週間ほどの入院で様子を見て、その後は自宅で血糖管理してもらい、このまま出産に到れば、胎児には、それほどのダメージはないと予想しているとのことだった。私は、女性をすぐに入院させた。
それと同時に、女性の生活費と医療費の支払を少なくするために、女性に「生活保護」の申請をさせることとした。なお、女性には、ベビーハウスが関与していることは、話さないように念を押した。
福祉事務所からケースワーカーがやってきて、簡単な質問をしただけで保護は開始になったという。後は、出産を待つだけだ。
医者には、患者の容態が変化したら、すぐに連絡をもらうことにした。
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