第7話 居酒屋で

 退社して、○○線に乗り△△駅で乗り換えて、目的地の駅に着いた。駅を出ると、九月半ばだというのに、十月末のような寒さだった。もう、冬のコートを着ている人がいる。夏も異常だったが、秋もおかしいのか。降雨、台風、地震といろいろと災害が多い年だったが、自分の身の上には、何もなかったと考える。しかし、あと三ヶ月あるのだから、何が起こるかわからない。

 Kとは、しばらく会っていなかった。時には、電話で話すこともあったが、以前ほど、親密に付き合うことはなくなっていた。Kが、勤務先の商事会社で課長になっていたこともある。かなり忙しいポジションのようだから、それもやむを得ないと思った。私はと言えば、四〇歳近くになっていたが、結婚はしていなかった。

 場末にある居酒屋に着いた。この居酒屋を使うようになって一〇年は経つ。この店もきれいに磨かれてはいるが、手を加える気はなさそうだ。親父も少し年老いた感じがする。忙しいときは、女の子を頼むが、今日はまだ来ていないようだ。私が、早かったようで、一人で酒を飲んで待っていると、Kが少し遅れてやってきた。

 Kが入ってきたが、元気がなさそうだった。Kは、開口一番、

「ウヰスキーをロックで」

と言った。えっ、ウヰスキーをロックで飲む。嫁さんと大げんかでもしたのかよ、今日は荒れそうだな。

 私は、静かに切り出した。

「仕事のほうはどうだ」

「まあ、貧乏暇なしというところか」

「おいおい、暇はないだろうが、貧乏ではないよな」

「まあな……」

「何か、あったのか」

「うん……」

何か、言いにくそうだった。

「まあ、言いにくいことは、言わなくても……」

と私が言うと、Kは、

「嫁が元男だったんだ」

とぼそっと言った。私は、えっと、驚いた。冗談を言っているようではなかった。こいう話は、誰にも聞かせたくないことだ。親父が、包丁を動かしながらも、聞き耳を立てていることがわかった。

「ちょっと声がでかい」

と、私はKに注意してから、

「親父、座敷は空いているかい」

と聞いた。

「ええ、どこでもどうぞ」

 我々は、カウンターから斜め向かいの狭い座敷に移った。とりあえず、親父が酒とコップだけは運んできた。親父が出て行ってから、私は、自分の聞き間違いかとも思えたので、もう一度、尋ねた。

「どういうことだ」

「嫁さんが、昔は男で、俺と結婚する前に、性転換手術を受けて女になり、戸籍の性を変更していたんだ」

何を言っているんだ、こいつは、嫁さんが男だったって。

「おい、結婚して何年になるんだ。今まで分からなかったのか」

「結婚して、もう八年か。子どもはいないけど」 

Kは、ウイスキーなので、こちらは手酌だ。どうしてもピッチが速くなる。

「今更だけど、結婚する前に、戸籍の確認なんかは……、普通はしないよな。でも、結婚する前に、彼女と」

と言って、私は、彼女という言葉を使って良かったか、Kの顔をうかがった。気にはしていないようだった。

「その彼女と何をしたとき、気がつかなかったわけ」

「なにもあったし、それで困ることはなかったんだ」

「何か、変な感じはしなかった。まあ、言ってもどうなるものでもないようだが」

「変な感じがしたら、結婚なんかしないよ。普通の女より女らしいくらいだ。でも、結婚する前に、彼女は、病気で子宮がないとは言っていたんだ。でも、自分は子供が嫌いだからって、お互い納得して結婚したんだ」

「でも、どうして気がついたんだ。まさか喧嘩して、とても腕力では敵わなかったとか」

「あのなあ、茶化すのはやめろよ。彼女の親が亡くなって、相続の手続が必要になったんだ。それで彼女の戸籍を見たら、何か変な記載があったから、嫁に何これって聞いたら、嫁が慌てて隠すから、嫁から戸籍を奪って、もしや養子か?バツイチか?帰化人か?と調べたら、まさかの性転換…調べたら戸籍法二〇条の記載があって、従前の性別が「男」となっていたんだ」

 私は、コップに残っていた酒をぐいっと飲み干した。

「あのさ、聞きにくいんだけど、おたくら、ホモだったの。それで彼女が、女役とか」

「おい、いい加減にしろよ。怒るぞ。何で俺がホモと結婚しなくちゃならないんだ」

Kは、ウイスキーを飲み干して、また注文した。

「うーん。そうすると、レズではないし、一体、何なんだ」

「俺にも分からない。こんなこと、親にも言えない」

 人の気配を感じて、私が襖を開けると、親父が立っていた。いつ入るかと悩んでいたようで、慌てて下を向いた。私も酒を注文した。

「ちょっと待てよ、奥さんのほうの両親から、結婚の時、何か話しはなかったの、娘が○○なので、よろしくとか」

「あれば、その時、じっくり考えたよ。なかったから結婚したんだ」

「結婚する前に、そんな大事な事を将来の伴侶に打ち明けなかったのか」

「子宮がないことを打ち明けてくれただけでも、勇気のいることだっただろうと、それ以上は深く聞かないでいたんだ」

「嘘をつかれたというより、肝心な所を伏せられたんだな」

何と言ってよいか分からなかった。結婚式を思い出した。

「あれ、結婚式のとき、ジミ婚かと思っていたら、奥さんの親戚から小中高の同級生から、ずいぶん来ていたよな。あれって、全員、事情を知っていたの」

「いや、嫁の両親以外は、皆、代行出席だったんだよ。後から聞いてわかったけど」

「代行出席って、あの二時間だけ出席して、招待客の振りをしてくれるあれか、ふーん、やるもんだなあ。しかし、女って、いや代行のほうだけど、演技がうまいなあ」

と良いながら、私は、その時、何人かの女性に声をかけても、交際には到らなかった理由がわかったような気がした。

「そんなこと、感心したってどうなるんだ」

Kは、かなり酔ってきた。

「それで、どうするんだ」

「どうして、いいかわからないんだ」

「彼女のこと、好きなんだな。うーん、結論がでないな」

 とにかく、聞いたこともない話しで、助言もできなかった。安易に別れろとも言えなかった。Kが心配だったが、その日は、そこで別れることにした。そうでもなければ、私も悪酔いをして、次の日に差し支えがありそうだったからだ。

 自宅まで、タクシーで帰ろうかとも思ったが、つかまらないので地下鉄で帰ることにした。時間は遅くなっていたが、乗客は、まだ多かった。

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