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 自分の顔が真っ赤なのがわかる。


 呼吸が苦しいからだけではなく、羞恥のせいだ。自分の心が白日にさらされて、たまらなく恥ずかしい。


 本当に私だけだったの? 


 瞳が真也のほうに向かう軌道で目に入ったクラスメイトの表情を確認しながら、愕然とする。


 今まで笑いをこらえていた人は、一人もいなかったの? 

 本当はみんな、今だってつられて笑いそうになるのを必死に我慢してるんじゃないの。


 


 あの日、花壇を直すのを手伝った後、宝条有栖に一緒に帰ろうと急に持ち掛けた真也を止める術は私にはなかった。

 

 どんな言葉を選んだとしても、私の醜い心根がにじみ出てしまう気がした。


 だから黙って同意して、今日だけの辛抱だと、周りから向けられる奇異なものを見る目に耐えながら、しっかり宝条有栖にも笑いかけて、三人並んで歩いたのだ。


 真也に向けるのと変わらない笑顔を、彼女にも投げかけてあげた。


 でも、なかなか彼女と道が分かれなくて、ついに団地の前まで来てしまい、私たち三人は顔を見合わせた。

 宝条有栖も同じ団地に住んでいることが発覚したとき、思わず笑みは引っ込んだ。


 

 あの日を境に、私たちは二人で帰ることはなくなった。私と真也が一緒に帰らなくなったのではない。私たちの帰路に宝条有栖が加わったのだ。


 今まで、お似合いだとうらやむように向けられていた目が、好奇の目に変わったのはつらかった。

 帰り道、人がすれ違いざまに向ける視線一つで私は耳まで真っ赤になった。視線の先にいるのは自分でなく、宝条有栖だというのに、まるでそれと一緒にいる自分まで馬鹿にされたような屈辱に唇が震えた。


 でも真也は、周りの反応なんて全く意に介さず、ごくフラットに、歩きながら言葉を交わしているのだった。宝条有栖もそういう視線には慣れっこなのか、生まれ持っての性質なのか、そもそも会話の相手しか目に入れていなかった。

 

 周りを気にしながら歩いている私は、気がそれて受け答えがおろそかになってしまい、まっすぐで堂々とした二人の会話だけが弾んだ。


 一度、並んで歩く二人の一歩後ろを歩いている自分に気づいたことがある。慌てて割り込もうとしたけれど、日差しを浴びて光る二人の黒髪と、まっすぐな背中を見たら、そんなことはできなかった。


 宝条有栖は、後ろから見れば、少し首を傾けただけの、きゃしゃな女の子なのだった。


 春になり、クラス替えが行われ、私たち三人は同じクラスになった。

 

 最初の休み時間、教室でも帰り道と変わらない態度で宝条有栖と接する真也を見て、私は焦った。

 そんなことをしては、真也が宝条有栖と同類だと思われてしまう。私は必死で真也は宝条有栖とは違うということを周りにアピールした。

 それは両者と接するときの言葉や表情の使い分けであったり、私と真也が宝条有栖の面倒を見てあげているというような構図を作り出すことだったり、間接的に。

 二人にはわからなくても、周りにはそれとなくわかるように、ともかく尽力した。


 真也はどこもおかしいところのない、みんなと同じ人なんだよと。



 数日たって、周りの見る目は変わった。真也を見る目ではなく、宝条有栖を見る目が。

 真也のように穏やかで整然とした人がまともに相手をしているというだけで、宝条有栖に対する見方は、かなり変わるらしかった。

 

 最初に、クラスの別の女子グループが私たちの会話に入ってきた。お昼時、三人でごはんを食べている私たちに、隣の机から流れ弾のように話題がふられた。


 真也は状況が変わっても同じ態度を維持していたし、宝条有栖もそんな真也を見てか、意外にも落ち着いた様子で受け答えしていた。

 

 一番苦労していたのは、だから私だ。二人の空気感になじむために必死で言葉を選び、宝条有栖のことを普通の人だと思っているふりをして、発言量が少なくならないようがんばって口をはさんだ。


 数日前まではむしろ逆の行動をしていたのに。


 けどその努力が功を奏して、三人の中で私だけが浮くということはなく、私も周りから真也と同じような人間だという認識を持ってもらえた。


 宝条有栖と接する人は増えていった。

 

 そのほとんどは、弱い立場の人を見下さずに接している自分に酔っている人間だったり、そのことを周りにアピールしているような人たちだったが、会話をしていくうちに、宝条有栖が身体以外はなんの変りもないことを知り、気づけば割と自然にやり取りしているのだった。


 宝条有栖のことをいじめていた人間もクラスにはいた。花壇の花を荒らした人間の一人が同じクラスにもいたが、真也を中心にみんなが宝条有栖と話しているのを見て、戸惑っているようだった。


 ある日、そいつが、宝条有栖に心ないからかいの言葉を投げかけたことがあった。正直に言って、その言葉にはセンスがあった。たとえ宝条有栖のことを見知った人が過半数になった教室内でも、半分は自分の側に引き込めるような、そんなユーモアに富み、かつ尊厳を貶めるからかいだった。

 

 私は、吊り上がった唇の端をあわてて手で隠した。真也は椅子から立ち上がり、彼女を守る言葉を発そうとした。


 しかしその前に宝条有栖自身が……言い返した。


 それがまた心地いいカウンターだった。


 最初に揶揄した相手は少し顔を赤くして言い返し、宝条有栖も多少ムキになって罵倒を返した。


 次第に積み重なっていく悪口の応酬に、やがて真也がぷっと噴き出した。クラスのみんなも笑ったり、呆れたりして、教室に平和なざわめきが満ちた。


 当の二人はどうしてそんな反応をされているのかわからない様子で、戸惑ったまま顔を見合わせ、やがて苦笑しあった。ふと目をやった先の真也が、ひだまりのようにあたたかい目で、その空間を見ていた。真顔の私だけが、その空間の外にいた。


 毎日必死だった。周りと同じような反応をすることに。軽蔑の目で見ないように。哀れみをそっと隠すのに。わざとらしくならないように。真也に失望されないように。また二人だけで帰りたいなんて、思わないように。

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