第10話 ビリヨン神父の講演
予告していた時間よりも、やや遅れてビリヨン神父が現れた。だいぶ慣れているとは言え、話し方には、クセがあった。
「此処に集まって下さった皆様に感謝します。私が日本に来てもう二八年になります。私が来たとき、日本にはまだ幕府がありました。ヨーロッパから来た私にとって、日本はとても魅力のある国でした。ここにお集まりの皆さんはご存じでしょうが、まだ武士、お侍がおりました。彼らは、刀を差していました。大名もいました。
日本は、ようやく外国と交際を始めたところでした。その頃、戦争が起こり、幕府と朝廷とで争った結果、朝廷がこの国を治めることとなりました。それからの日本の進み方は、とても早くて言葉では伝えることはできません。武士はなくなり、藩もなくなり、髷も結わなくなりました。男の人は、洋服を着て散切り頭で人力車に乗る様になりました。学校ができ、銀行ができ、蒸気機関車が走るようになりました。文明開化です。キリスト教の布教もお咎め無しとなって、信徒の数も増えました。
今日、私は岩永せきさん、洗礼名をヨハンナ岩永と言いますが、一緒に光琳寺跡に行って参りました。此処にお集まりの皆さんには、そこがどのような場所かをご存じだと思います。
今から二十年前、そこで不幸な出来事がありました。明治の初めの頃です。長崎県の浦上村から一五三名のクリスチャンが連れてこられました。何か悪いことをしたのではありません。その人たちが、ただキリスト教徒というだけで、お咎めを受けたのです。彼らは、今はありませんが、光琳寺という寺に入れられ、キリスト教の信仰を捨てる様にと命令されました」
光琳寺という寺の名が出たことに、聴衆は声をのんだ。やはり、あの時のことが語られるのか。これから何が起きるのか。
「今は何を信じるかは、その人の自由です。でも、私が日本に来た二十八年前はそうではありませんでした。まだ幕府がありました。幕府があった時代は、耶蘇教、そうです、その頃は未だ耶蘇教と言っていましたが、禁止されていました。明治時代になって、その禁止はなくなったのかと思っていましたが、そうではありませんでした。邪宗門と呼ばれました。そして浦上村の信徒が捕まえられました。信徒達は分けられ、西日本の大きな藩に送られました。ここ津和野藩では、氷の池に入れられたり食べ物を与えられなかったり、辛く耐えられない様な拷問がありました。三十六名の信徒が亡くなりました。そこで、信仰を捨てた人もいました。それは別に悪いことではありません。拷問で改心させることは、出来ないのです」
金森は、神父の話が次第に核心に及び始めたのを感じた。やはり、来るべきではなかった、おとなしく家に居れば良かったかと思いながら、今さらここから出るわけにもいかず、固唾をのんで、なりゆきを見守った。
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