第9話 三国座での講演会

 そして、今日、神父は、ヨハンナ岩永とともに津和野を訪れ切支丹が弾圧された寺の跡などを見、彼女から悲痛な訴えを聞き、今日こそ、あの時の迫害事件を語らねばならないと決心したのだった。宿としている「松屋」の主人中島勘十郎が切支丹講演会 於三国座」と書いた紙を用意して町うちに張り出してくれた。

 「三国座」というのは、最近、建てられた芝居小屋で、二十名をいれることができ、人を集めて話をするのには好都合だった。中は格子に切られて座敷があり、花道や奈落も作られていた。

 講演会を開くには、一、二週間前から貼り紙をして知らせておく必要があったが、当日の午後から急に開くことにしたのでは、どれだけの人が集まってくれるだろうか。ビリヨン神父は早まったことをしたかと一瞬悔やんだ。

しかし、今日、殉教の跡地を訪れることができたことに特別な力のご加護があったことを信じたビリヨン神父は祈った。講演会に人の来てくれるようにと祈り続けた。

 その日の夕べ、金森の元に、長崎から来た神父が「光琳寺の切支丹講演会」を三国座で開くという知らせが届いた。この近辺に住んでいる者は、旧藩士と関わりのある者が多く、昔の切支丹の迫害事件を知っており、もしやその時のお役人の金森などに意趣返しをするのではないかと噂し合った。

 金森は、その会に行くべきか迷った。説得方の他の方々はどうなされるのか、それを聞いてからでも遅くはないと思った。日が暮れてはいたが、未だ昼の暑さは残っており、蚊遣りの煙が目に沁みた。犬が吠えた。

 当時、説得方であった三人の内、森岡氏は、十年前に五十歳で亡くなっていたが、千葉氏は未だ健在だった。金森は、今夜、三国座で開かれる講演会について話を切り出した。千葉氏は、その会合については、知らされていなかった。歳のせいか惚けてきてはいたが、金森が、用件を伝えると過ぎし方を思い出すように虚ろな目が宙をさまよった。

「今更何を申す、あれは御役目だったのだ。御役目だったのだ……」

と同じ言葉を繰り返していた。

 三国座へ向かいながら、金森は、その当時の事をもう一度蒸し返したいのなら、それでも構わないと思った。自分ももう歳だ。あの事で罪に問われるのなら、潔く腹を切ろうと心に決めた。自分だけでも出てみよう。未だ二十年しか経っていないあのことを覚えている人は、いくらでもおるだろうし、勿論聴衆の中にもおるだろう。

 三国座に着いた。どこからこれほど集まったのかと思えるほどの人が溢れ、息苦しいほどだった。小屋の中には、歌舞伎芝居の時と同じく、百目蝋燭が至る所に立てられてはいたが、うす暗く目が慣れるまで時間がかかった。

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