第8話 乙女峠を目指す異人と女
あの迫害から二十年が経過した明治二十四年の夏、訪れる人もいない乙女峠をめざして歩く一人の異人と女の姿が、里人によって目撃された。灼けつくような夏の日差しが照りつける中、二人は、あの場所を目指していた。
異人の名は、アマトゥス・ビリヨンと言い一八六八(明治元)年に長崎に来日し、主に西日本で布教活動を行っていたフランス人神父だった。彼は、前年にあたる明治二十三年に長崎で行われた隠れ切支丹発見二五周年祭に集まった浦上の信者達、特に仙右衛門や甚三郎から津和野での殉教の話しを聞き、その墓所を訪れるように懇願されていた。
女は、景色を見渡してこの当たりだがと見当をつけては見たものの、どうにも確信が持てないようだった。ふと円頂の僧侶の墓を見つけて、女の足が止まった。流れ落ちる汗を拭きながら、女は首をかしげて光琳寺の跡を確かめるように周りを見渡した。
光琳寺は既に取り壊され、その跡地は田となっていたが、蝉の声だけはあの時と同じだった。
「ここです。ビリヨン神父様、ここに八畳敷の牢屋があって、二十七人もの人が入れられていました。父も兄二人もここで死にました」
女は、こんな狭いところに閉じ込められていたのかと見つめていると、微かな田の起伏から寺の跡がうっすらと浮かび上がってきた。その時の情景が脳裏に浮かんできたのか、女は言葉を続けた。
「その上、食べる物もろくに与えられず、着物は捕縛された時のままとなれば、それで津和野の冬が乗り切れましょうか」
そう述べると女は、堪えていたものを一気に吐き出すかのように話した
「そうして責めに責められ、三尺牢の中で死んでいったのです。私は、一刻も早く親兄弟に会いたく天主様の元へ行かれるようにと念じました」
その悲しみと苦悩に終わりはないようであった。
女は少し落ち着くと田の隅に水が溜まっているところを見つけた。
「ここに四畳敷きほどの池がありました。仙右衛門さんたちは、ここで氷の池に入れられたのです」
まだ出穂にまで到っていない稲が、青々と風にそよいでいた。
「生きながらえて、今、私がこの津和野に再び立てるとは思いもよらぬこと。それにしてもあの金森一峰がこの地に安住していると親兄弟が知ったら……」
女の顔が涙に濡れた。神父は、女の言葉にいつにない険しさがあるのを感じた。女の名は、ヨハンナ岩永と言った。
女が、どうして、この津和野の地に、当時の説得方の一人であった金森一峰が存命していることを知っていたのかは分からない。乙女峠を訪れて、光琳寺跡もなかなか探し当てられなかった彼女が、これ以前に津和野に来たとは考えられない。あるいは、津和野のクリスチャンと親しく手紙を交わす内に、金森の所在を知ったとも考えられる。
ここで三十六名もの信者が犠牲になったのか、ただ耶蘇を信じているというだけの理由で、こんな何もないところで人に知られることもなくと考えるとビリヨン神父に虚しさがつのった。神は、その栄光を彼らに示さなかったのだろうか。いや、安太郎のもとに聖母マリアが現れ慰めを与えてくだされた。神は祝福なされたのだ。兎に角、この事を広く知らせなければならない。
ビリヨン神父は、前年、新緑の美しい季節に、この津和野の地を訪れていた。長崎で、信徒の弾圧の話しを聞いていた神父は、その跡を捜し、顕彰したいと考えていた。異国人が一人で、二十年前の切支丹迫害のことを調べているという噂は、すぐに町内に広まった。いまさら何を調べるのか、もう既に記憶の彼方に埋もれてしまったことを何故、掘り出そうとするのか。津和野の人々は、不安に捕らわれた。
もしや異国人が、その当時、迫害に携わった人々を罪に問おうとするのか。あるいは、あの事実を知りながら、見て見ぬふりをした人々をも裁こうとするのではないか。光琳寺の牢番を勤め、切支丹の埋葬にも立ち会った岡村市太なる人物が、存命していることが分かった。岡村は、信徒の振る舞いを良く記憶していた。その口から語られる言葉の一つ一つが、信徒の義しい生き方を示していた。
ビリヨン神父は、切支丹が居住し、埋葬された跡を探すのに、最適の人物を選び出した。今は、広島教会の伝道婦であり、当時、そこにいたヨハンナ岩永であった。
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