第6話 幼児 改心の責め
第二次流罪で津和野に来た幼児にも改心の責めは行われた。少年ならいざ知らず、四、五歳の幼児を対象にした責めというのは、世界史的にもあまり例がないのではないだろうか。
母親は、自分の僅かな食いぶちを子どもに与えたが、とても飢えを満たすものではなかった。そうして、幼児だけが広間に呼び出された。
役人達は、手に菓子を持ち
「切支丹を止めれば、これをやる」
と言って棄教させようとした。当の幼児にとって、棄教という意味が正しく理解されていたとは思われない。ただ、子ども達は、役人と取引をすること、又棄教することのないように母親に強く言い聞かされていた。
責めから戻った子ども達に、母親達は心配のあまり、どのように答えたかを問うた。
「切支丹を止めぬと言ったか」
「はい」
「なぜ切支丹を止めぬと言った」
「お菓子を貰えばパライソへ行かれませぬ。パライソへ行けばお菓子でも何でもありまする」
悲惨な問答であり、詮議の役人達も、信徒の信仰心の篤さに改めて驚かされたであろう。
子ども達が如何に飢えに苦しんでいたかを示す一例がある。たまたま用があって光琳寺に来ていた近くの村人が、可哀想に思ったのか、竹矢来の中にいる子どもたちを喜ばそうと生きた蝉を投げ入れた。すると子ども達は、その蝉を捕らえると、そのままほおばったという。
金森にとって、幼い者を飢えさせて、菓子で棄教させようとしたり、又その様子を親に見せることなどは、いくら改宗を迫ることが役目とはいえども真の御役目とは思われなかった。それは孔孟の教えに反し、人の道を踏み外したものと思われた。
浦上四番崩れで各藩に流された切支丹は、津和野と同様に多数の改心者と少数の不改心者に別れた。どのように思ったのか、改心者達は、自分達が帰郷できない原因を不改心者にあると誤解し、役人に入れ智恵をする者まで現れた。
幸い、津和野では、改心者と不改心者の間で、そのような対立は見られなかった。むしろ不改心者は、改心者を責めることなく改心戻しをすれば、棄教の罪は許されると励まし、また改心者は信仰者に食物などを与え、厳しい拷問を受ける身の上を気遣うなどの交流があったという。
第二次流罪の一二五名の内には、十名の妊婦がいて男児六名、女児四名が産み落とされた。女児を生んだ婦の内一人は、肥立ちが悪く夫も既に亡くしていたことから、既に生きる気力を失い早々に死に到った。
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