第2話 隠れ切支丹の発見

 元治二年(一八六五年)三月、フランス寺と呼ばれた天主堂を見物に来た一五人の男女がいた。入り口でまごついている彼等に、プチジャン神父は心安く声をかけた。

 一五人の男女は、少し遠くの村から来たものか、初めて見る長崎の事物を珍しそうに眺めていた。神父は、彼らをおいて、一人聖堂の中に入り、祭壇の前に座った。

 神父が祭壇の前で祈っていると、一人、中年の女性が彼のもとに近づき、「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」「サンタ・マリアの御像はどこ」とささやいた。

 これが浦上四番崩れと呼ばれた事件の発端だった。この事件は、後に世界宗教史の奇跡と呼ばれることになったが、実に二百五十年以上の長きにわたって、秘密に耶蘇の教えを守り続けたことは、信じ難いことであった。この後、耶蘇教の信仰を告白する者が多数続いた。

 だが、これだけでは、切支丹の弾圧には到らない。己の耶蘇教信仰を外に表明し、奉行所がその事実を把握して、初めて事態が動き出したのである。

 天主堂での信仰告白の二年後の慶応三年(一八六七年)に、浦上村の切支丹達が、以後仏式の葬儀を拒否し、自分達で耶蘇教の教えに基づく埋葬をするとの口上書を庄屋に出したことが発端となった。二百五十年以上も信仰を秘密にしてきた隠れ切支丹達がなぜ、このときになって己の信仰を公にしたのかは、わからない。

 天主堂の建立と神父の姿に、江戸時代の初期に幕府に捕えられて殉教したバスチャンなる伝道士の予言、「七代耐え忍べば、再びローマからパードレ(司祭)がやってくる」が成就したものととらえたためであったのかもしれない。あるいは、明治維新直前の変動期であり、新しい時代の息吹を感じたのかとも考えられる。

 これは、すぐに長崎奉行所の知るところとなり、切支丹の探索が始まった。その結果、中心的人物一一四名が捕らえられた。切支丹の総数は、三三八〇名と膨大なものであったが、これは村落全体が切支丹であったためである。その共同体的規制のために、隠れ切支丹として信仰が堅く守り通されたものと思われる。

 この時、江戸幕府は潰え、明治新政府が発足した。明治新政府は、信教の自由、特に耶蘇教の信仰という厄介な問題を託されたはずであるが、その扱いについて、当初、慎重な議論が交わされた形跡はない。確かに、それは日本という国の内政に関するものであったが、当時の列強は全て耶蘇教を奉じており、又、信教の自由という列強が有していた市民社会の原則を踏みにじるものであった。

 三百年間の切支丹御制禁の歴史は、維新の為政者達にとって、古来より永続する国法として受けとめられていた。又、「宣教師によって当地の民を教化し、後に信徒を内応させ、兵をもってこれを併呑するにあり」とする三百年前の西班牙人の言を基にした旧幕府の国土防衛論が頭をよぎったとも思われる。

 さらに維新は成ったが、新政府の基礎は必ずしも盤石ではなく、若し耶蘇教の扱いを過ることになれば、島原の乱の再来もありえるとの恐怖感もあったようだ。それは「邪」宗門という言い表しにも現れている。

最大の原因は、耶蘇教が、王政復古により神道に基づき祭政一致の施政を行うとする神道国教主義(津和野本学)に反するものと受けとめられたことであろう。

 新政府は旧幕府と同一の対処方針を堅持することとして、その扱いを「五榜の掲示」の中に改めて示した。


一、切支丹邪宗門之儀は堅く御制禁たり、若不審なる者之有れば、其の筋之役所に申出可、御褒美下さる可事。

                          慶応四年三月 大政官


 五榜の掲示とは、慶応四年三月十五日(一八六八年)に、太政官(明治政府)が民衆に対して出した最初の禁止令であり、次の五つの札から成っていた。切支丹御制禁は、その第三札にあたる。

第一札:五倫道徳遵守

第二札:徒党・強訴・逃散禁止

第三札:切支丹・邪宗門厳禁

第四札:万国公法履行

第五札:郷村脱走禁止


 五月十一日、捕縛された浦上の切支丹の扱いについて、大阪行在所で御前会議が開かれた。三条実美、木戸孝允、伊達宗城、後藤象二郎、由利公正らが会し、長崎裁判所と名を変えた旧長崎奉行所の申請に基づき、

「耶蘇宗門は神国之大害であることは、素より明らかであるが、禁教令は国の始めよりの祖法であり、切支丹弾圧政策を踏襲すべきである」

と意見が一致した。なお、その処分に当たっては、巨魁を斬罪梟首し、余類は諸藩に配流することとされたが、捨て置きがたき事件であり、議定、参与、徴士から各人の意見を徴することとした。

 これに対し、津和野藩主亀井茲監公と福羽美静(福翁)は、

「百姓は子どもも同然である。神国とは何かを知らない輩を徒に罰することなく、諸藩に預け、神官、藩儒に説諭させれば改心するであろう。それでもまだ改宗しないというなら、役人も加わって皇国の大道を説得に勤めれば改心しないわけがない」

との言上書を提出した。

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