24杯目「古川優愛の話2」
はるは不思議な人だった。
SNS上でふらふらと近寄っては、ただ私の話を聞くだけだった。
最初は彼女のことを信用できずにいた。何を企んでいるのかわからない彼女の様子は、不気味ささえ感じた。
「『ゆあ』さんの過去の話を聞きたいです」
ずけずけと人の過去に干渉してこようとする姿勢も好きにはなれなかった。私の人生などどうでもいいのに、なぜか執拗に干渉しようとする。
「あまり楽しい話はできないですよ」
「だからいいんですよ」
ますます不気味だった。
午後五時に仕事が終わる。
仕事を始める前はあんなに憂鬱なのに、している時は特に何かが気になることはない。それは、どんな苦しいことがあっても、目の前の業務に集中できるから。一日中パソコンを前にする仕事ではあるものの、自分のペースでできることに、周囲への感謝もあった。
この日は、仕事終わりに病院に行く予定があった。
乗りなれない電車で数駅。それなりに大きな病院であり、若干25歳の私にとってはなぜか疎外で空虚な空気を感じる。
「ごめんね、今日は病院に行ってから帰るからもう少し待ってて」
私は、朝来ていたはるからのメッセージに返信する。はるからすぐに返信が来ないことを確認してから病院に乗り込んだ。
「……よく頑張りましたね。もう少しだけ、様子を見てみましょうか」
主治医からのその言葉にとても励まされた。ありがとうございます、と深々と頭を下げて、私は病院を後にした。
診察を待つのに30分かかったけれど、結局主治医と話せたのはたった5分だった。
体調に変わりはありません。仕事も順調です。
たったそれだけを伝えて、薬を受け取ってから帰路につく。
続かないと思っていたこの日々が、いつでもいつまでも続きますように、と願いを込めて空を見上げた。
『そう、お疲れ様。ゆあさん、よく頑張ってたもんね』
はるに今日のことを報告すると、彼女からは優しい口調で返ってきた。
彼女のことについてわかっているのは私より一つ年下の女性であるということ。それ以外の自分の素性を良く話そうとする人ではなかった。
「ありがとう。はるちゃんが応援してくれていたおかげよ」
メッセージ上でのやり取りを続ける。彼女の声は一度も聞いたことがない。
『私は何もしてないよ。ただ、あなたの傍にいるだけ』
傍にいるけど、近くにはいない。
人の温かさを感じていながらも、それを肌で感じることはできない。
けれど、その関係性がちょうどよかった。
それだけである程度の満足ができていたから。
悪性新生物。
この年齢でその診断書が渡されることは非常に稀なケースだったようだ。
だからこそ、発見までに時間がかかってしまった。気が付いたら取り返しがつかないところまで来ていた。
「乳癌です。かなり症状が進行しているようで、早期に入院が必要です」
最初はちょっと胸が苦しく感じる程度だった。
昔から、少しだけ我慢する性格だったから、ちょっと体調が悪くなるくらいだったら何も気にしていなかった。そんな自分の性格を、ほんの少しだけ恨んだ。
診断を受けても、不思議と怖くなかった。
それよりも、これで早くこの世から消えることができるということにうれしい気持ちさえあった。
『私は、ゆあさんの力になりたい』
だから、彼女からそんなことを言われたときはびっくりした。びっくりすると同時に面倒くさいとも感じた。
病気で死んでしまいたいという気持ちがあろうが、私の意志とは関係なく、病気が見つかってしまった以上は、治療しなくてはならない。診断されたその日から、私は入院生活が始まった。
治療に対するその想像を絶する苦痛は、この世のものとは思えないほどだった。
「そう、体の節々が痛むの。腕も足も全部引きちぎってしまいたい」
『ダメだよ。ゆあさんが動けなくなっちゃう』
「もうこんな出来損ないの体なんていらない。動けなくてもいい」
『私は、ゆあさんが元気になったら一緒にいろんなところを歩いてみたいな』
「髪の毛も全部抜けちゃった。酷い姿になっちゃったわよ」
『ゆあさんがどんな姿になっても、私は絶対離れない』
苦痛の日々は終わらなかった。
私の心の奥底に、どうもまだ死ねないという気持ちがあったらしく、退院できるまでには回復してしまった。
真っ先に報告したのも、はるだった。
「はるちゃん、私退院してしまった」
『うん、おめでとう。早く元気になってね』
「あなたのせいで退院しちゃったんだから、もし誰もいないところで急に倒れたら助けに来てよね」
『倒れないように傍で見守っててあげるから』
彼女は私に会おうとしなかった。
私も特別、彼女に会いたいと思うこともなかった。
「無事、退院しました」
同時期にとある人に送ったメッセージには、既読の印がついたのは3日後だった。
しかし、そのメッセージに対しての返信は一切来ることはなかった。
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