17杯目「赤石春花の話9」

8月17日(水)15:00

 私の夏季休業は最終日を迎えた。

『また、明日からお仕事なんだね』

 千佳と初めて声で言葉を交わしてから4回目の通話をしていた。

「そうだよ、もう世の中は休み明けムードだけど、私が逆に少し遅いくらいよ」

『私も早く働き始めたいんだけどな』

 千佳は深くため息をついた。求職中の千佳にとっては、毎日が求職活動の最中であり、心から休まる日はないのだろう。

「よさそうなところはあったの?」

『ええ、まあ何社かは受けてみたけど、まだいい連絡はないかな』

 明るく人当たりのいい千佳は、すぐにでも仕事が見つかると思っていたが、そうも簡単にはいかないようだ。心配はしながらも、きっと千佳なら大丈夫だろう、と安心しきっているところもある。

「どんな仕事に応募してるの?」

『結構幅広く受けてるよ。でも、一番は調理師かな。私、料理好きだし、やっぱり手に職をつけたいっていうのがあるからね。30歳までには調理師の免許を取りたいし、結婚したら専業主婦として家事は万全にこなしたいから』

 やっぱり、千佳の仕事を心配するのは杞憂だ。未来を見据えて行動する千佳の姿に、私が心配するのも余計なお世話に違いない。

 しっかり者。千佳の様子を見てるとそういった感覚になる。

 千佳の特異点。人に固執したい、人に依存したい。それは自らが危険に晒される可能性があったとしても手に入れたいものらしい。

「千佳は結婚まで考えてるんだね」

『そうだね、もう26歳になっちゃったから。はるちゃんは23だっけ?』

「うん、千佳とは3つ違いだね」

『はるちゃんって誕生日はいつなの?』

「私? 12月だよ、お祝い待ってるから!」

『え、うそ。私も12月なんだけど。私20日だよ』

「え、私15日だ。5日違いだね!」

『二人でお誕生日会しないとね!』

 他愛もない会話から、私たちは友人であるということが感じられる。その言葉自体は幸せだが、私の心の底にある黒い気持ちがそれをはねのけ、千佳と仲良くなりたいという欲がどうしても消えない。

『……はるちゃんは、私のどこを好きになったの?』

 千佳の声色が変わる。少し圧力をかけるように、真剣な声で話を切り出した。それ自体には、嫌悪感がないし、むしろ本心で話をしようとしてくれているところには好感すら持てる。

「……ちょっと放っておけないんだよね。どうしても守りたくなっちゃうのよ。千佳みたいな人を見ちゃうと」

 私は、言葉を紡ぎだした。けれど、それは言葉を選んで作り出したのではなく、私の本心から出た言葉だった。

『ふーん……そっか、ありがとうね』

 千佳の口から出た感想はそれだけだった。私にとっては私の気持ちを否定されなかっただけ、少し心を落ち着かせられた。

「ねえ、千佳ってさ……」

 そこから私たちは他愛もない会話を続けた。気が付けば3時間近くも話し込んでいたようだが、不思議と疲れは感じず、むしろ最後の休暇をリフレッシュして終えることができたようだった。


8月18日(木)15:00

「はあああ」

 いつもは心の中だけ、ひどい時でも口だけのはずの私の溜息は、もはや顔にまで出てしまうほどだった。休暇を明けた私のデスクには頭を抱えるほどの仕事の山がのしかかっており、時計は休憩の時間を指しているが、私は気づかずに作業に没頭していた。

 机の上のスマホが振動する。普段なら、そんなことも気にも留めないはずの私は、ここ数週間の間で、やけに自分のスマホのバイブ音を気にするようになってしまった。

「最近、先輩よくスマホ見てますよね」

「あ、ごめん、ちゃんと仕事するわよ」

「いえ、なんか先輩これまで硬かったんで、なんか最近やわらかい感じがしてていいですよ」

「何よそれ」

 後輩は話しかけはするものの、私を拘束しようとはせず、すぐに私のもとを去った。そのあたりが、また勘のいいというか、私の考えてることがバレてるようで怖い。

 また千佳かな。

 その予感は的中していた。千佳のLINEから通知があり、開いてみると、少し私の頬が緩んだ。

『はるちゃん、私仕事決まったよ!』

 契約社員ではあるものの、介護施設での調理の仕事らしい。

 彼女は、彼女の未来に向かって少しずつ歩き始めているのを感じた。


8月18日(木)21:00

『そうそう、少し今住んでるところからは遠いんだけど、頑張って通勤するわ』

「やっぱり首都圏って都会なんだね。私なんて歩いて5分のところが職場だから…」

『私もそれがいいだけどね』

 少し遅い時間に、私が仕事を終わった後に彼女と通話することは日常になっていた。

 時に夕食を食べながら、時にテレビを見ながら、割に長い時間一緒に過ごすことが多くなった。それは彼女との時間に少しずつ慣れてきて、一緒にいて苦痛を感じることが少なくなったことの裏返しだった。

 人と声を通して話している時は、文章だけの会話と異なり、相当の緊張感が伴う。その緊張感を持ちながら何時間も話すことは難しい。しかり、心を許せる相手に対しては気兼ねなく、相手と接することができるので、緊張せずに何時間も話すことが可能になる。

「あ、そうだ。千佳、私新しい服買ったの。写真見てよ」

 昨日、千佳と話していた後に買い物した写真を送った。

 私は元の骨格が極度になで肩になっているために、和服を着ることが好きで、よく温泉地に旅行に行って浴衣で歩くことが好きだった。この夏はどこかに旅行することがなかったので、夏の終わりの記念にと思ってシックな模様の和服を買った。

『え、かわいいね。黒いのってなんか珍しいね』

「そうそう、黒って喪服のイメージあるから帯とか合わせるのが難しかったんだけど、すごくおしゃれな帯もあったの」

『……』

「どうしたの?」

『ううん、なんでもないよ』

 珍しく、会話の中で千佳に間が空いた。思ったことをそのまま話す千佳が、言葉に詰まることは珍しかった。

「そんなことないでしょ、何考えてたの?」

『……』

 やはり少しだけ間が空く。

 私の千佳のことをかなり理解できるようになった。千佳が何を言えば喜ぶのか、どんな反応をすれば喜ぶのか、を考えることは私にとってはとても楽しかった。

『ねえ、その写真。誰と一緒に撮ったの?』

「え……」

 この写真は昨日撮ったもの。昨日の夜、千佳に見せようと思ってこの写真を撮って……その時に一緒にいたのは……

「か、彼氏だけど」

『ふーん……そうなんだ』

 千佳の声が少し張り詰めたことが分かった。

 刹那、私のスマホには一つの通知が届いていた。

「あ、ごめん、誰かからメッセージもらったみたい」

『全然いいよ、返してきな』

 千佳の声はすぐに元に戻った。違和感のある千佳の声色の変化に、最近おびえてしまっているのも事実だった。

「あ、最近よく話してる人からのメッセージだった」

『へー、どんな子なの?』

「そらちゃんって言うんだけどね……」

 千佳に「そら」を紹介した。千佳は訝しげにこの子のツイートを見あさっていた。

『この子とはLINEの交換はしてるの?』

「いや? まだしてないけど……」

『そうなんだ、じゃあいいかな。私もフォローしよっと! ごめん、通話切るね!』

「はーい」

 彼女は突拍子もなく会話を終わらせた。

「なんだったんだろ……」

 私は少しの違和感を残して、ツイッターに画面を移す。

『ねえねえ、はるさん。もかちゃんって子からフォローされたんだけど、この子知ってる?』

 「そら」からメッセージが届いていた。早速行動に移すのも、千佳らしいところだった。

「うん、知ってるよ。悪い子じゃないから仲良くしてあげて!」

『そうなんだ! なんか妹がたくさんできたみたいでうれしい!』

 そらも、少し変わっている子だった。

 日常的なツイートの端々に少し闇を感じる。彼女自身が過去につらい経験をしてきたという印象ではなく、彼女自身が今置かれている状況に対して思うところがあるような発言が多い。逆に、私にとっては話しかけやすくて優しい人だと印象を受けたのだが。

「妹なのかな笑 私もう23だし、もかちゃんも26だよ!」

『知ってるよ! ツイート見たもん笑 やっぱり年下なんじゃない!』

(あ、そうなんだ……意外だな)

 SNSの中でも、中学生や高校生が多い愚痴を言うアカウントの界隈では、私やもかのように成人してもツイッターをやっている人は限られている。多くの人は大学に進学する、就職するにあたってアカウントを抜けることが多いのだが、そうではなく私たちのようにこの場所に居続ける人は、相応の闇を抱えている人か、あるいは……

 ともかく、意外なことに26歳のもかよりも年上だったということにはとても驚いた。

「そうなんだ! じゃあ3人で仲良くしようね!」

『うん、三姉妹だね!』

 姉妹か……

 私には妹がいる。今も大学に通っている妹は、医療系の職に就くために日々勉強している。というのは建前で、親からもらっている支援や奨学金を使って毎日のように飲み歩いて遊びまわっているのは、家族で知ってるのは私だけ。

 昔、妹の大学がある街に出かけたとき、風俗街で飲み歩いている妹を見かけた。似合わない濃い化粧をしながらカバンを引きずり、男に抱えられながらホテルに消えていくのを見たときに、このことは家族に話すのをやめておこうと思った。

 医療職に就く母親の影響で、私たち姉妹は勉強ばかりさせられていた。「大学は国立の医学部を目指しなさい」その言葉から逃げたかった私は文系の大学に進んだ。結局、母親には、もう私の娘じゃないとまで言われたが、一方の妹は国立にこそ行けなかったが、地元近くの私立の医療系学部に進み、今も家族からも多額の援助をもらっている。

 私は妹のことが嫌いだ。それ以上に両親のことが嫌いだった。妹のこの惨状を親が見たときの苦しい顔を見るために、私はそれからもずっと、この妹のことを黙り続けている。

「うん、私お姉ちゃんが欲しかったからうれしい!」

 本心から、そうだった。

 千佳が姉になってくれたら。そう思う日も日に日に増えていくのだった。

『私とLINE交換しようよ!もかちゃんも一緒に!』

「うん、いいよ!」

 私はその日の夜、ネットで知り合った人では千佳以外で初めて、「そら」改め鹿屋美鈴と通話した。

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