16杯目「赤石春花の話8」
8月15日(月)14:00
『私、昔ははるって名前でアカウント使ってたことがあったんだけどね。もうアカウント消しちゃったかな』
「そうなんだ、ちょっと意外だなぁ」
私は今日も千佳と通話をつなげている。世間はお盆休みで、私もその例に漏れず休みなのだが、私の家族はそういうわけでもなく、せっせと仕事に行ってしまった。そうなると平日の昼間に私一人という形になり、自由に騒いでも迷惑がられないので助かる。
『私の方こそ意外よ。本名が春花だからはるって名前にしてたのね。ちょっと身バレとか怖くないの?』
「私が住んでいるところって割と田舎だから、全然身バレなんて心配してなかったな……ねえ、千佳って苗字はなんていうの?」
『私はオハラだよ。小さい原っぱで小原。あんまりかわいくないでしょ』
「そんな、私も別にかわいい苗字じゃないでしょ」
赤石という苗字が、私はどうも好きではなかった。それは可愛いや可愛くないという感情的な話ではなく、私自身が家族に対していい印象を持っていないからだ。
私はかねてより大学を卒業したら、都会で仕事をするつもりだった。彼氏と同棲し、ゆくゆくは結婚し、幸せな家庭を築いていく。なのに私の家族は私を実家に連れ戻した。あなたは地元に戻って、親の老後を支えるのよ。絶望的な、屈辱的な思いを経て、私は今も実家で暮らしている。
『私にそんな簡単に本名を明かしてよかったの?』
「うん、千佳のこと、信頼してるから」
私たちはいい友人関係になれた。前回の通話と違い、気を楽に話すことができる。
『なんでそんなに私のこと信頼してくれてるの?』
彼女の気持ちが痛いほどわかるから。
状況は確かに違うが、私と千佳は家族に対して特別な感情を持っている。千佳の「家族に認められたい」という感情も、私の「家族から解放されたい」という嫌悪感も、一般的な人から見ると特別で、格別に私が憎悪するものだ。
「私も、千佳と同じだからだよ」
同じではない。明確に違う。でも、同じと表現しておくことで、自分と彼女の中の共通項が持てる。今はただそれでいい。
『はるちゃんも、家族となにかあるの?』
「そうだね。千佳には話しておこうかな」
家族とは元々不仲だったこと。大学で外に出て幸せに暮らしてたこと。最愛の彼氏と出会ったこと。実家に連れ戻されても彼が付いてきてくれたこと。でもその彼氏とは最近仲たがいが続いていること。
「……それで、それでね」
気が付けば、私は涙をこぼしながら必死で声を積みあげていた。
『無理しないで、はるちゃん』
優しく透き通った彼女の声が聞こえる。
「私は……私はね……」
私は、何がしたかったんだろう。
私の人生ってどこでおかしくなったんだろう。彼氏とうまくいかないのも、仕事で辛い思いをしているのも、家族との仲がうまくいかないのも。本当は私が……。
「ご、ごめん……ちょっと、ちゃんと話せない」
『大丈夫、私がついてる』
彼女は優しく私を受け止めてくれる。
「ありがとう、千佳」
『無理させちゃってごめんね。今日は終わりにしようか』
「そうだね、また話そう」
千佳は終始明るく話してくれた。千佳もまた、私と同じように苦しみを持つものであるが、千佳には私を労わるだけの優しさを持っていた。千佳にこれまで甘えられてきたものが、いつのまにか私が無理を言って通話をつないでもらい、慰めてもらっていた。
私は千佳のことが好きだ。
大切な友達として千佳のことを応援したい。千佳が幸せになることが、私にとっても幸せになることなんだ。千佳は自分が甘えられる男の人を探している。自分が本当に心から信頼できて、頼ることができる人を。
それは私ではダメなのだろうか。
私にはそれができないのだろうか。
私が……。
私が男だったから、彼女を幸せにできたのだろうか。
私は、心を決めた。
8月16日(火)13:00
「あのね、千佳。私、どうしても伝えなきゃいけないことがある」
私は心に決めた。「今日、どうしても話したいことがある」とLINEで呼びつけて、通話をつなげてもらった。
今日、私は千佳に告白をする。千佳のことが好きで、ずっとそばにいたいこと。自分が千佳のそばにいる役割を担いたいこと。自分の全てをささげても、千佳に幸せになってほしいこと。
『うん、昨日の話?』
「あ、そうだね。それもそうなんだけど」
私は少し言葉に詰まる。
千佳は私の話に興味を持ってくれた。私のことを信じて話してくれている。私のことを親身に聞いてくれる。でも、それだと千佳に甘えてしまう。千佳がいないとダメになってしまう。
『うん、いいよ。話してほしいな』
彼女は、やはり明るく、優しい声をする。
「私ね、ずっと千佳のそばにいたい。千佳が悩んだり、病んでる時も、ずっとそばにいる。千佳が幸せになれるのなら、私はなんだってする。それは他の人にその役目を取られたくない。私は、千佳のことが好きみたいなの」
私は、自分の言葉で思いを伝えきった。頭の中は真っ白で、自分でも気が付かなかったくらいに緊張していたようで、だんだん意識が朦朧としてくる。それでも恐ろしい無言の間が、私にとっては永遠のように続いた。
その暗い間を破ってくれたのは、やっぱり千佳だった。
『そっか。ありがとう』
「ごめんね。女の子のことが好きだなんて、やっぱり気持ち悪いよね」
私は少し目に涙を浮かべながら、声を振り絞る。
『ううん。実は私も言ってなかったんだけど』
彼女から出た言葉は、私が想定していたものとは大きく異なっていた。
『私、バイなの』
再び、その場に沈黙が訪れる。
彼女が放った言葉の意味を、私は少しの間、理解することができなかった。
「え、それって」
『女の子も好き、ってことだよ』
セクシャルマイノリティ。女性でありながら、女性を愛することができる人。私自身は、その存在はやや社会から疎まれる存在であり、女性を好きになってしまった私も疎ましいと思えるその考え方は、千佳の存在によって揺らいだ。
「じゃ、じゃあ、私は……」
『ううん、はるちゃんはダメ。はるちゃんにはちゃんと彼氏さんがいるでしょ。あなたは幸せにならないといけないの。私と一緒じゃダメよ』
千佳は、やはり優しく、少し悲しげに言った。
忘れたかった事実だった。私には彼氏がいる。
彼氏になんて言えばいい? ほかに好きな人ができた?
相手は女の子だなって言ったらなんて思われるだろう。あんな大変な思いをして私と一緒にいてくれているのに、私は彼を裏切れるのか。
『大丈夫、深く考えないで。私は今、はるちゃんにそう言ってもらえて幸せだから』
千佳は優しく私に告げてくれた。
やっぱり、私は千佳に甘えてしまっている。
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