13杯目「赤石春花の話5」

7月30日(土)20:00

 彼女からの連絡が来なくなってから1週間が経とうとしていた。

 私自身は彼女のことが忘れられないが、彼女との連絡手段が途絶えたわけではないので、特に深く考えないようにしていた。彼女は彼女の彼氏のために一生懸命に努力している。それならば、私も彼氏のために一生懸命頑張らなければならない。

 今日は久しぶりに彼氏の家に泊まりに来ている。昔は毎日のように泊まり込んで楽しくおしゃべりをして、一緒にゲームをして、笑いあった日々を過ごしていたが、最近ではそんな楽しい話もできなくなっていた。

「春花、早く風呂入ってこい」

 彼との心の距離を感じる。彼との会話は最小限しかない。

 ねこちゃんは今頃、新しい彼氏と一緒に楽しい生活をしているのか。いっそ私も新しい彼氏候補でも探してみようかな。

 ネットでの出会いも、最近では忌避感がなくなった。私のことを本当にちゃんと見てくれる人がいるのなら、その人のもとで私自身も努力してみたい。

 彼氏の家にいるのに、そんなことを考えてしまっていることに、罪悪感を抱くこともなく、ただ虚無感に襲われるだけ。

「ねえ、ねこちゃん」

 私は、大切な友人にメッセージを送る一歩手前で踏みとどまった。

 しかし彼女はいつだってそういう時に、私のことを監視してるかのように、私の心をすべて見透かしてるかのように、私のことを助けてくれる。

『はるちゃん!』

 それは「もか」という名前のまったく見ず知らずのアカウントだった。けれどもそのアカウントのプロフィールには見覚えのある情報が詰め込まれている。そしてそのアカウントのツイートには写真が載せられている。その写真の主は、間違いなく「ねこ」だった。

「ねこちゃん??」

『そうだよ! 良く気付いたね!』

 さすがに、彼女自身にあなたのことを考えていたから、なんてことは言えない。

「アカウント変えたの?」

『うん……彼氏がかまってくれないから新しい彼氏探し始めたんだ!』

「え、そうなの」

 彼女から明かされた事実に、本来であれば驚き困惑するところが、私は彼女からのメッセージが来たことに喜びを抑えられないでいる。

『うん、最近彼から返信が来なくなってきて』

「そうなんだ」

 彼女のプロフィール写真が私を見つめる。その瞳は美しく輝き、私の視線を誘う。

『そう、もうひどいんだよ、全然かまってくれないんだもん』

「それは大変だね」

 彼女のツイートから、彼女の声を再生する。美しく、清らかな声が私の部屋に響く。

『だからまた、はるちゃんにかまってほしくなったの!』

「それはありがとう、私も話せてうれしいよ」

 私は、彼女のすべてに魅了される。彼女の纏う雰囲気が私を甘美に誘う。

 私は、彼女のことが好きだ。

『だから、新しい彼氏を探すの! 今度はちゃんと私のことをわかってくれてて、優しい人!』

「それなら、私でもできるよ」

 私は意地悪に、彼女に対してそんなことを言ってみる。少しでも彼女がこの言葉で困ってくれたらうれしいな。私のことを少しでも意識してくれたら面白いのにな。

『はるちゃんは私にとって特別だから、大丈夫だよ』

 彼女に見透かされた私の心は、どうも彼女の掌で転がされてるような気がしてならなかった。


7月31日(日)21:00

 昨夜はそのあとも他愛のない話しかしなかった。最近はどんなことをして過ごしているのか。これまで付き合ってきた男の愚痴はお互いの話のネタが尽きず、大変な思いをしてきたと笑いあった。

 その時間は私のとってかけがえのなく、そしていつまでも続いてほしい時間だった。

『はるちゃん!!』

 そして今日も、やはり彼女から連絡が来て、私との他愛もない会話を始める。

 しかし、この日もやはり、彼女からの連絡は一つの報告を伴って現れた。

「もかちゃん、どうかしたの?」

 彼女の呼び方は、ネットでの登録名に合わせてもかちゃんとすることにした。

『私、みずきと別れた!』

「え? 今度はうまくいってるんじゃなかったの?」

 彼女の報告はいつも前触れがなかった。いつだって本題から入る癖があった。私自身は普段の何気ない話や雑談も、すぐに本題から入る人もどちらも特に苦ではないが、彼女のペースに飲み込まれることが多々ある。しかし、私にとっては彼女のペースが心地よく、彼女にあらがえない1つの罠だった。

『そうなんだけどね! このアカウント作ってたことがばれちゃった!』

「え、それ大丈夫なの?」

 その言葉に、私は私の中の何かが壊れる音がした。

 それは戦慄から始める彼女への恐怖にやがて変わっていく。

 彼女は、自らが犯した過ちによって彼女自身の精神的支柱だった人間を遠ざけてしまったのだ。

『悲しいよ! もう嫌になっちゃう!』

 彼女は本当に欲しいのは彼氏なんかではなく、彼女自身を美しいと告げてくれる男なのだろう。彼女自身を突き動かすのは、誰かが隣にいることではなく、彼女のことを認めてくれる存在。

「ねえ、それでもかちゃんはいいの?」

『よくないよ~、これからどうしよう!?』

「本当は彼氏なんか作る気ないんでしょ!?」

『そんなことないよ、私は本気だもん』

「じゃあなんで彼氏さんに疑われるようなことをしたの!!」

 私は躍起になって彼女に責め立てた。彼女はだんだん冷静に返すようになった。

『はるちゃんは、私が求めているものがわかってるの?』

「わかるよ! もかちゃんを支えてくれる人が欲しいんでしょ! でもそれは彼氏が背負うことじゃないと思うよ!」

『じゃあ、誰が私のことを支えてくれるの。言ったでしょ、親は無理。私友達もいない。だから彼氏に頼むしかないのよ』

「友達なら、ここにいるでしょ!!」

『……』

 彼女からの返信はしばらく届かない。

 彼女にはきっと誰にも頼ることができない彼女なりの苦しみがあるに違いない。でもそれを、性愛と勘違いして誰かに補ってもらうことなんて間違っている。それなら……


 その役目なら……私でいい。


『ありがとう、はるちゃん』

「……ううん、私も言いすぎちゃった」

『友達って言ってくれて、すごくうれしい。これからもよろしくね』

 その日はそれきり、話はできなかった。私は彼女にとってただの友達で、その友達がどんなことをしようが、私には関係ない。

 私は決意した。彼女と文面越しではなく、声を聴きたい。

 次に話す機会には、通話越しで話をしよう。


 しかし、その日を境に、また彼女と連絡することはなくなった。

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