9杯目「赤石春花の話1」

 あまりに世間は残酷である。

 雇われを辞めてフリーになってから、書きたいことを書くだけでなく、世の中から求められることを書くことに、私は慣れてきていたと思っていた。

 しかしながら、あまりにあの言葉は残酷だった。

「遙さん! 助けてくださいぃ!!」

「あらあら、どうしたんですか?」

 私はその足で、遙さんの喫茶店に転がり込んでいた。

「もう、聞いてください!! あの編集者ホントに嫌な人です!」

「まあまあ、落ち着いてください。今日もカフェモカをどうぞ」

「ありがとうございます!!」

 私は一口、カフェモカを口に含んだ。優しいコーヒー豆の香りが広がる。

「何があったのか、教えていただけますか?」

「遙さん、聞いてください。以前、萩原結月の話を聞いたじゃないですか」

「ええ、お話しましたね」

 遙さんはいつになく、自分のカフェモカも用意して、私の隣の席に座ってくれた。

「編集者にその話の執筆を持っていったら、『こういうダークな感じは今世の中に売れるから、こういうのもっと頂戴よ』って言われたんです!」

「へえ、そうなんですね」

 遙さんは興味があるのかないのかわからないように私に言う。

「遙さん、助けてください! 私、ダークな話なんてわかんないです!」

「あら、そうなんですね~……では…」

 あっという間に、遙さんの目の色が変わる。

 あ、もしかしてもう話のタネが思い浮かんでいるのか。

「少し、というか、かなり暗い話をしましょうか」

 この人が出会ってきた人っていったいどんな……

 そう考える間もなく、話が始まってしまった。


「カフェモカが飲み終わる頃におかえりください」


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7月18日(月・祝) 15:00

「ねえ、もういい加減にして!?」

 世間は海の日。私、赤石春花は大好きだった彼氏と一緒に喫茶店に来ている。

 今年は例年より暑さのピークが早く、6月には各地で猛暑日となり、7月に入ると外に出るのも憚られるほどの暑さとなっている。

 そんな暑い日ながら、私と彼氏は重い腰を起こして喫茶店に来ているのも深い理由がある。仕事の関係上、私は土日に休むことができず、平日と祝日のみの休みである。一方で私の彼氏は事務職で土日が休み。そんな私たちの休日が合うのは祝日しかない。ゴールデンウィークから2か月が過ぎ、久々に私たちどちらも休みが合うタイミングが今日だった。

「春花……なんでそんなに怒ってるんだよ?」

 二人で映画館に行った帰り道、最近できたかき氷が有名な喫茶店で私たちは小さなけんかを始めた。

「私ずっと言っているじゃない。二人でいるときはスマホ触らないでほしいって!」

 最初はほんの小さなすれ違いだった。たった一日しかない日中のデートも、今は午後3時。もうすぐ私たちの非日常が終わってしまうという悲しい時間帯に、彼氏は一足先に自分の日常に帰ろうとしていることが、私にとって少しだけ許せなかった。

「別に少しくらいいいだろ。じゃあお前が何か楽しいこと話してくれよ」

「そういう投げやりなところも気に入らないのよ」

 私たちも十分な大人になった。

 大学生の頃から付き合っている私たちは、お互いの就活を乗り越え、こうして交際を続けてきた。

『春花、俺はお前の地元で働くことにするよ』

 就活でお互いに遠方で過ごすことが多かった私たちの大きな転機を思い出す。

 私は自分の地元での就職がほぼ決まりかけていた時、私の実家にいきなり彼がやってきた。

『どうしたの!?いきなり……』

『俺はお前のことがやっぱり好きだ!だから遠距離なんか考えられない』

 そう言って彼は私に内定通知書を見せてくれた。私の実家にほど近い、小さなIT会社だった。

 彼は偉大で愛にあふれる人だった。心優しく、先輩にも後輩にも慕われ、頭もよくて運動もできる非の打ちどころのない人間だった。大学3年の冬、ダメ元で私からの告白に、しどろもどろしながら受け入れてくれた彼の姿を、私はいまだに忘れることはない。

「……」

 今の私たちにその時の感情を思い起こされる機会はない。

 お互いに仕事に打ち込み、こうして日中にデートできるのは月に1回程度で、関係は希薄になっている。夜になっても通話やメッセージのやり取りはなく、たまに私が彼の家に泊まりに出かけるだけの関係。最近ではそこに男女のやり取りすらなくなってきた。

 私たちもずいぶんと大人になった。ここでこれ以上声を荒らげてお店の迷惑になるようなことはしない。

 この冷え切った私たちの関係は、もう少しで届く名物のかき氷のように、冷たく、私たちに頭痛を引き起こさせるようだった。


 7月18日(月・祝) 21:00

『マジで私の彼氏ありえない。せっかくのデートも台無しになったのに、そのあと謝罪の一言もないのよ、考えられない』

 今日は、結局その喫茶店で別れた。私は最近の彼氏との関係の憂さ晴らしにSNSを、特にツイッターを多用している。同じ悩み、同じ考え、境遇を持った人とやり取りをできるし、この憂さが彼氏に見つかることもない。

『ホント、男ってデリカシーないよね!』

『女の子のこと、好きなら自分から話し振れよ!って思うよね』

 私は、ネット上の【はる】は、顔も名前も知らない女の子から共感をもらう。ただそれだけで私の心はある程度満たされるし、それ以上は望まない。ここまでで私はいったん息をつく。

「……やっぱり女の子と話してる方が楽だわ」

 自分しかいない部屋でそっとつぶやく。

 大学の頃に知り合った友達はみんな離れ離れになった。私の地元にいるのは彼氏ただ一人だけ。高校までの友達も今となってはほとんど連絡も取り合わず、会社の人としか話さない日が続いている。

「ツイッターってかわいい子が多いよね……加工なのかな?」

 私は自分の顔をネットには出さないようにしている。それはネットリテラシーがどうというより、自分の周りの人に私の本心を知られたくないことや、仕事柄自分の顔を出したくないというものある。

「……この子かわいいな……」

 私より少し年上、出してるのは目の周りだけの写真だけだが、美人の雰囲気を感じられる素敵な女性。ツイートの中に、彼女の録音された声があった。

『ザザ……良かったら、私とお話しませんか?』

「……よし」

 私は5秒間考えたのち、「ねこ」というアカウントの彼女にダイレクトメッセージを送ることにした。

『こんばんは、はるって言います。よかったら少しお話しませんか?』

 しばらく間があく。

 この場合、返信がすぐくることは稀で、多くの場合20分から、多い人だと夜が明けて、10時間ほど空けて返ってくる。けれども彼女の場合は例外で、どうもダイレクトメッセージが届くと通知を受け取る設定にしているらしく、彼女からの返信は早かった。

『こんばんは。いいですよ~』

 シンプルな返答はわずかな困惑を生む。彼女ほどの美しい声を持つ人ならば、私と同じように彼女に声をかける人は少なくないに違いない。

 私も、彼女にとってのその他大勢のうちに含まれているだろう。

彼女との会話一つひとつに力がこもる。

『ねこちゃん、よろしくお願いします! 気軽にはるって呼んでくださいね!』

 2,3度、文章に間違いがないかを確認してから、送信する。少しだけ自分の呼吸が早くなるのを感じた。

『はるちゃん、よろしくね!』

 その返信からは少し時間が空く。彼女から話が振られることはない。私は当たり障りのないところから、少し砕けた話し方になるように少しずつ話を詰める。

『ねこちゃん、素敵な声ですね♪ 私23歳なんですけど、ねこちゃんは何歳ですか?』

『私は26歳です。はるちゃんより年上だね笑』

 少しずつ少しずつ、彼女のことを知れるように、彼女のことを聞き出していく。

 しかし、彼女の最も関心を寄せることに、私は少し、自分と彼女との間に距離を感じざるを得なかった。

「ああ……」

 私はそっと呟く。それは小さな囁きにすらならない溜息だった。

『私、ツイッターで恋人を探しているんです』

 その可能性は考えられなくなかった。自分の顔や声を不特定多数の目に触れることを恐れない彼女が、過剰な自己開示の末に求めるものは、最も妥当かつ、私には考えられないことだった。

『素敵な彼氏さんが見つかるといいですね♪』

 私は、自分の最愛だった彼氏の顔を少し思い浮かべながらメッセージを送った。

 その言葉に対する返信が、その日のうちに届くことはなかった。

 

 次の日の朝、彼女のアカウントは消去されていた。

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