2杯目「東雲結月の話1」
私、東雲結月は東京で生まれ育った。大きなビル群から少し離れた郊外に、私は生まれた。でも、私の家族は普通じゃなかった。
ヒステリックな母。娘に欲情する父。男におぼれた姉。私の生活は普通とは違う。
「お前、早くバイト行って来いよ」
母は、私をただの金稼ぎの道具としか思ってない。今日は夜からしかバイトを入れていなかったが、母は私に家を出て行ってほしそうだったので、特に用はないけど外に出ることにした。
母は、私と唯一血のつながった家族だ。私がまだ幼いころ、両親が離婚した。本当の父親がどんな人なのかは全く知らない。母は父のことをいつも悪く言う。女好き、ギャンブル依存、アル中、能無し……結月もあいつと同じでクズなのね。いつも、母は、私に向けてそう言う。
「クズなのは果たしてどっちなのかしら」
街の街路樹はそのか細い身体を露わにし、行く人々はみなポケットに手を入れる。今日はどうやら東京でも雪がちらつく様だ。スマホを触るのにも手袋を外さなきゃいけないから億劫なのだけど、それでも少しでも寂しさを紛らわすために、誰かと話していたかった。
「ねえ、今暇?」
『は?普通に学校なんだけど。いきなり電話してくんな』
最初の宛てである彼氏が空振りに終わった。いや、この前あんた「学校なんていつでも抜けていいんだよ」って言ってたじゃん。都合のいい時だけそういうこと言うんだから。
「ねえ、今から会えませんか?」
『ごめん、最近しばらく地方にいるから会えないんだ』
二つ目の宛てであるセフレも外れた。嘘つけ、お前昨日の夜、女と二人で歩いてるところ見たよ。別に彼女じゃないんだから堂々としてたらいいのに。
「はあ」
今日はあんまりツキがないな。
ツキ。月。
私は、自分の名前がとっても嫌いだ。
「月を結ぶ」なんだよそれ。月は結ぶもんじゃないだろ。結ぶなら例えば心置きなく過ごせる友達との縁とか、決して離れない恋人との赤い糸とか、理性的な両親のもとに生まれる運命とか。なんだ、私は自分の周りの人を妬んでるだけだ。
「はあ」
私は今日何度目かのため息を吐いて、近くのスタバに入った。
『それくらい一人でできないの!?』
『わざわざ私の手を煩わせないで』
『あんたなんか! 生まれてこなきゃよかった!』
体の節々が痛む。無理な態勢を続けていたような感覚。気が付くと、私はそのままスタバで寝てしまっていたようだ。
ひどい夢を見た。それは小さい頃からの記憶のよう。思い出したくもない、煩わしい記憶。でもそれを忘れたことは一度だってない。それは悍ましいほどの母からの罵詈雑言。
手元のiPhoneの時間を見るとバイトの時間が近くなっていた。
ジーっと時計の画面をのぞき込んでいるといきなりiPhoneが揺れた。画面が切り替わり、表示されたのは彼氏からの通話画面。
「祐樹、どうしたの」
『おう、結月。今からカラオケ行かね?』
「……ごめん、今からバイトなの」
『はあ? お前自分勝手だな。次会うとき覚えとけよ』
「——ごめん」
一方的に通話が始まり、そして終わる。ホントはカラオケなんてただの口実で、結局ヤりたいだけなんでしょ。わかるよ、それくらい。
きっと次会ったときにまた殴られるんだろうな。少し頬の奥がチクリと傷んだ気がした。
男性と女性には大きな体格の差があるのは当然のことで。
だからこそ、女性は男性には逆らえないようになっていて。
だから女性には守ってくれる男性が必要なんじゃないのかな。
「痛った……」
客の40代の男に強く掴まれた左手には赤い跡が残っている。随分と乱暴な客だった。あんな客、二度と対応するものか。そもそもボーイも止めに入るのが遅すぎる。わざと私が乱暴されそうになるよう仕向けたんじゃないかなとすら思う。
痛みが滲む手をさすり、私は終電が終わったあとの東京の街の中をタクシーで移動する。水商売で稼ぐ私の身辺はできるだけ不便がないようにバイトの生き帰りはタクシーを使うことが日課になっていた。
もう人が歩く様子もまばらになった。すでに午前2時を過ぎる街の中は明かりもなく、ただ空しい黒い世界が沈んでいるだけ。
昼間見た夢を思い出した。初めて母に怒鳴られたのは忘れもしない、父と母が離婚する2日前。それはまだ小さかった当時は理解していなかったが、父の不倫が発覚した時期だった。いつも温厚なはずの母が、いつも笑顔でいた母が、壊れた。
「お前みたいなクズは———」
最初こそ、びっくりして泣きわめいていた私も、次第に慣れてきた。私はクズ男の血を継ぐ女。私は生きる価値のない俗物。私はゴミ。
私は———
「結月、おかえり」
母と姉が寝ている中、義父が出迎えてくれた。
午前3時。世は寝静まっているにも関わらず、義父は私のために迎え入れてくれる。
大嫌いな母と結婚した義父。大嫌いな姉を連れ子にしていた義父。
大嫌いな義父。
義父は優しい。気遣いができる、優しい言葉をかけてくれる。ブランドの服を買ってくれる。
彼はそっと、私の肩に手をかける。
私は大嫌いな義父に連れられて、彼のベッドに向かうのだった。
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