異郷の使者

結城綾

拝啓、溶かした私に命をくれた貴方へ

真理で満たされた白日の世界に、一本の線がなぞられていた。

私?は「」である、名前はまだない。

名前がないと言うのにはそれなりの理由があって、魂のみで未だ白紙のままであるからだ。

故に無、姿形も白で構築された一枚のキャンパスだった。

そんなある日、空虚な「」にいくつかの点と線で私が描かれた。

透明人間であったしがない元素が、炭素によって不器用ながらも創造されたのだ。

最初に大円の顔が投影された。

つぶらな瞳に薄毛の髪、奇抜な関節にくっついた指、ぶっきらぼうな足で生きている人ならざる人である。

服装はいつもTシャツと短パンで、季節イベントや行事以外で滅多に着替えることはない。


新春はポッキーのような細さで、いつ折れるか不安で積もる桜の木。


盛夏は麦わら帽子と虫取り網、──の祖父母が欠陥建築の家で一緒に滞在していた。

この頃から鉛筆ではなく、顔料で作られたクレヨンで塗られていくことになる。

感覚としては、理容室で使用する髭剃りクリームを塗られるところだ。

くすぐったくてヌメヌメしているけど、生温かさがちょっぴり心地よい。


初秋は生き物としての体裁がない兎が丸い形状の何かに閉じ込められていた。

おそらくそれは月であったのだろうが、どうしても檻にしか見えなかった。


初冬にはクリスマスと初日の出と初詣、おまけにバレンタインデーと混色して何か理解しようがなかった。

こうして春夏秋冬が過ぎていき、段々形が整えられていく中で、とある出来事があった。



                             *




 サイダーもどきがなぞられた頃、黒に呑まれつつあった田沼の世界に透明感溢れる少女のレイヤーがやってきた。

名前は姫ちゃん。

ガラスコップや鏡、海に住んでいる人魚姫としての美しさを兼ね備えていた。

私と違い線や輪郭がはっきりしていたり、衣装の種類も多数揃っていたのかいつも違う形だった。

フリフリとしたドレスやメイドの姿、時に執事の格好をしたかと思えば体操服となったり、気分によって印象の変化が見える子だった。 


 彼女との出会いは全くの偶然であった。

時計のテクスチャが貼られた教育施設、いわゆる学校の裏庭らしき場所である三人組のトリオがいた。

私が普段通りに拙い曲線や直線で登場したかと思えば、そのトリオの横には水色で塗られた大粒の涙を流す子がいた。

この瞬間から、私の空中に吹き出しと台詞が追加され始めた。


「やめろよ!その子ないてるだろ!」


その台詞は今でも本心だと確信している。

トリオは一目散に散らばっていき、残されたのは彼女のみ。


「あんなやつらといるぐらいなら、おれとあそぼうぜ」


この言葉から、友人関係が始まった。

ある種の旅人に近い程、様々な場所へ訪れた。


春はキャンプ場。

画像拡大をミスしたんじゃないかと錯覚するほどの巨大なダンゴムシを眺めた。

あまりの恐怖に足をすくませる彼女を介助しながら歩み寄った。

一緒にいた『「」のママ』という大人の女性が誤って黒色の液体をご飯にかけてしまったので、あまりの辛さに四角形に入った波水はすいを全身がびしょ濡れになるまで飲み干した。

意外とすっきりとした味だった。


夏は学校でプール。

泳ぎが苦手な彼女を献身的にサポートをしたら、何故か真っ赤なリンゴの顔面にしてしまった。

こっそりと持ち込んだスイカバーを二人で分けてひそひそと口に入れる。

お風呂の形状をしたプールは、日光の反射でより可愛らしい顔立ちをした不透明な水姫みきを写した。


食欲の秋、紅葉の秋。

さつまいもをアルミホイルでぐるぐる巻きにしてそのまま焼いたり、パンの形をした紫色のスイーツを一緒に食べた。

甘党でない私であれど、あれは美味であり豪華な食事であった。

しかし何よりの収穫はさつまいもや紅葉でなく、扇形で弧の長さをした双眸と口をした彼女であったのは言うまでもないだろう。


冬は赤門をくぐりおみくじを引いてきた。

大きい子供とではなく、水鏡のような美貌である姫と。

手水舎で『ひしゃく』を手に持ちながら、冷たそうに小指を擦るのをそっと触れて温めると、これまた初日の出みたいな色彩になった。

お参りをしてから定番のおみくじを引くことになると、我先にと引いた彼女がいた。


「だいきょう……」


吹き出しにはあまり嬉しそうにない炭素のズレと三つの句点が綴られた。

それが気に入らなかったのか、引いた『だいきち』を装備して、


「じゃあこれやるよ、これで今年もいい年になるな!」

と言い放ってやった。

ボソボソと微小な炭素で何か呟き、その度に何回も白い物体に吸引されたのは気のせいだろうか。


私達はお人形の部屋みたいな空間で、とあるゲームをしていた。

四人型対戦ゲームなのだが、コントローラーが少々特殊な形状をしていた為横持ちでプレイしていた。

二人で遊んでいたので、CPUを追加してプレイした。

老若男女で人気のキャラクターを操作できるのか、これまた世界中で人気があった。

設定としては、フィギュアが想像により命を吹き込まれたという体らしい。

何故だか、私にはその設定に親近感が湧いていた。

頑なにチーム戦がいいと意見を変えないショートの黒髪の少女。

仕方なくそれにしてキャラ選択画面に移行する。


「姫ちゃんはどれにする?」


「わたしはね〜……このお姫さまのふくをきた女の子!」


「あれか……じゃあおれはな〜に〜に〜しよおかな」


「あれにして!あのおひげ生えた赤いぼうしかぶったこ!」

この日は珍しく入道雲が多かった。


「あれか?おれあの仮面かぶったけんもったやつが」


「あれにして!」


「OK」


了承を合図にしばらく遊んでいたら、白い液体の入ったコップがやってきた。

ちなみに乳酸菌飲料である。


「う〜っまい!」


二人して同じ感想を抱くと、彼女が唐突に約束をしてきた。


「あのひげのひとみたいに守ってね、一生!」

身勝手なお姫様を支える護衛はさぞ苦労が絶えないだろうとため息をつきながら思い、その無茶振りに応えるのが王子の務めだと信じてゆっくりと縦に頷いた。


         *



毎日夢物語な舞台が幕を開いては閉じを繰り返した。

時には喧嘩をして不貞腐れるけど、謝罪でまた関係が続いていく。

この世界には無限の可能性や神秘が込められていたと思う。

確かに私は地を駆けたり、深海でクジラと会合したり、見えない翼で空を羽ばたき宇宙までたどり着いたのだ。

線が私を描き、点が全てを繋いでくれた。

しかし、唐突に私のキャンパスライフは終焉へ誘われた。

死、死、死。

回避不可能の出来事、それは彼女の転校だった。

それがきっかけで、私は長い眠りへつくことになる。

活動する全ての点と線が急停車した。

一生分の約束が綻んでいった。

世界は黒で支配されてしまった。

終点には水溜まりの小雨が降っていた。




         *



──終始は始終しじゅうの合図である。

心臓が動く。

五本指が動く。

停滞したP点も動き始めた。

ヘモグロビンが急激に活動を始めた。

どうやらタイムカプセルから目覚めたらしい。

ふんわりとした地面から二十年ぶりに掘り出された私は、現状が理解不能だった。

ここはどこであるのか?

少女はどうなったのか?

唯それだけが気がかりであった。

まだ閉じた目が開かない。

いや、そもそもまた魂だけになっているのかもしれない。

そう考えた矢先、急速に全身が構築されていくのが肌で感じられた。

のに気がついたのも束の間、視界が光で照らされた。

世界から黒が消滅していく。

トンネルのような風景から抜け出すと、そこは水の都であった。

美しい百合の花や清らかな水、心地よい音楽が耳に入ってくる。

清涼な風が私の存在を容認してくれている。


「ねえ、久しぶり!」


「君は……姫?」


「そう、姫ちゃんだよ!」

水星の如く現れた彼女は、昨日よりはるかに鮮麗であった。

腕の関節、肉付き、青色の双眸に焦点があったら頬だけが朱に染まる。

白のワンピースに麦わら帽子、透過したハイヒールは指先までよく表現されている。

心なしか解像度まで上がっているような。


「ずっと待ってたんだよ」


「ずっとって……いつから?」


「私が転校した当日、君の家に埋めたんだもん」

そうか、『この世界』の創造主はコピーされた私でなく、彼女の方であったのか。

線の描写が丁寧だったのも頷ける。


「ちょっと待って」


「感動の再会に水を刺すのはいただけないぞ〜」

こればかりは疑問を持たざるを得ない。

これが解決しないと物語は完結しない。

そう考え私は混乱した脳を切り替えて質問をした。


「いやいや、最初に作られたのは俺だぞ、持ち主が君ならそうなるはずが」


「ずっと好きだったの」


あっさりと返答されてしまった。

幼稚園からずっと恋心を秘めていたのか。

創造主から与えられた設定やプロットが、未だかつてない感情を持つ。

大胆な告白に、狼狽えてしまいそうになる。


「だ、だとしてもどうして今になって俺を呼び出した?」


「気になる?」


「……気になる」


「左手、見てみ?」

枝分かれした左手をよく触れると、薬指に高級感ある指輪がはめられていた。

それは、現実世界での私達の現在を物語っていた。


「おぉ、まじか!まじなのか!」


「まじなんです!」

あまりの歓喜に、思わずハグをして思いっきり抱きしめてしまった。

どっちかは分からずとも、体温が上昇し続ける。 


「姫野美琴からの命名で!これから未来永劫翔ちゃんと!呼びます!……いいですか?」

おっとりとした表情で、機嫌を伺う美琴。

私は体をそっとさすり、静謐せいひつな空間を甘く溶かしていく。

創造主の命だからとかでなく、自分の意志で受け入れる。

今度こそ約束を護ってみせる。


「OK、前の名称は少し恥ずかしかったからな」


「あ、王子様のことね!?あれ気に入ってるんだけどな〜」


「…………」


「ごめんごめん、ほら水あげるから!」


「……許す」

名前がなかったのは嘘ではない。

「」に当てはまるのは王子様。

固有名詞でなく、普通名詞などと書けるはずもない。

そうした羞恥心を一杯の飲料水で紛らわす。

あの二十年前とは違い、飲料水は透明と化していた。


                            




                              異郷の使者より/敬具
























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異郷の使者 結城綾 @yukiaya5249

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