第1話 村一番の仕立屋
軽やかな鳥の声で私は目を覚ました。
ベッドに横になったまま天井の木目模様をぼんやりと見つめ、さきほどまで見ていた夢を思い出そうとした。でも、どんな夢だったか思い出せない。ただ、とても悲しい気持ちに包まれたことだけは確かだ。
そのうち畑仕事に向かう村人たちの声がし始めたので、まだ寝直したいと訴えている身体を無理矢理に起こすと、冷たい水で顔を洗い、何の味付けもしていないパンを一口かじった。
「さっ、私もお仕事頑張らなきゃね」
私は空になったお皿を片付け、作業机の上に針と布切れを置いて縫物を始めた。
作業を始めてしばらく経った頃、扉をノックする音がしたので外に出てみると、頬に土汚れを付けた中年の男性が、なぜか上半身裸で立っていた。
「キュラスさん! 畑仕事してたら服が破れちゃってさ、急ぎで直してくれない?」
「はいはい、いいですよ。そこにあるイスにかけて少しだけ待っていてください」
「あぁ、助かったぁ。キュラスさんの腕は確かだから、村の皆も頼りにしてるよ」
「ふふっ、ありがとうございます」
「こんなに器量も良くて美人なのに、一人で暮らしてるなんて勿体ないねぇ。そうだっ! 俺が結婚してやろうか?」
「あら、そんなこと言って大丈夫ですか? 奥様に言いつけますよ?」
「ダメダメ! 母ちゃん本当に怖いから!」
男性は両手を顔の前で大きく振りながら怯えているフリをした。
いつもこんな冗談ばかり言っているが、男性は奥様をとても大切にしていて、村でも一番のおしどり夫婦で有名である。だから、時折二人が仲睦まじくしている姿を見かけたりすると、一人暮らしを謳歌している私でも、多少なりとも結婚に憧れたりすることもある。
「はい、お洋服直りましたよ」
「おぉ、ありがとうね!」
丁寧に縫われた洋服を受け取ると、男性は満足げに畑仕事に戻って行った。
私はラナ・キュラス。この村で仕立屋をしている。あの男性が言ったとおり、家族も想い人もいない気ままな一人暮らしだ。そして私には不思議なことに過去の記憶がない。気づけばこの村に住んでいて、仕立屋を始めていた。
この村に住む人たちはとても心温かで、こんな素性も分からない独り身の女を不気味がることなく、逆に『村一番の仕立屋』と言って頼りにしてくれている。
そんなある日――
仲良くしている老婦人がいつものように、『畑で作りすぎたから』と両手いっぱいの野菜を持ってきてくれた。お礼に庭でお茶をしていると、少し遠くの道に光り輝く馬車が見えた。
「まぁ、綺麗ね。あれはどこの馬車かしら?」
「あれは隣国の貴族の馬車のようだ。きっと王子の結婚相手になる女性を城にお連れしてるんだろうよぉ」
「王子様の結婚相手……」
「おっ! さすがのキュラスさんも王子の話には興味があるかの? うんうん、その気持ち分かるぞ? この国の王子はかなりの男前で有名だからのぉ」
「いいえ、王子様には興味はありませんわ。それよりも女性がどのようなドレスを着ているか気になったのです」
その言葉に老婦人は呆れながらも、お前さんらしいと言って笑った。
私は仕立屋を営む傍ら、ドレスのデザイン画を描くのを趣味にしている。別に誰かに学んだわけでもないのに、洋服作りの基本知識は以前から備わっており、ドレスのイメージも自然と湧いてきた。
完成したデザイン画を眺めては、『いつかはこのドレスが誰かの手に届いてほしい』と願っていたが、城から離れたこの小さな村では貴族が着るような高貴なドレスをまじまじと見る機会なんてない。だから、生地感や細部の装飾に至るまで細かく描くことができず悩んでいたのだ。
「そんなにドレス作りに興味があるのなら、城に出入りしている仕立屋の知り合いがいるから紹介してやろうか? 頼めば一緒に城に連れて行ってくれるかもしれん」
「本当に!? もしそれが叶ったらとても嬉しいわ!」
その数日後、私は老婦人に紹介された、お城の近くにある街の仕立屋を訪ねた。
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